日曜講義7

藤恒教授の日曜講義8


[第八十一講]VE、顧客優先の原則(2003/06/08)
[第八十三講]イラク戦争――ネット戦とゲリラ戦(2003/07/21)
[第八十七講]ノー・リスク、ノー・リターン(2003/11/03)
[第八十八講]東西南北と東南西北(2003/12/14)
[第八十九講]東海地震注意情報について(2003/12/27)

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[第八十一講]VE、顧客優先の原則(2003/06/08)

名古屋沖合いで、2005年2月開港を目指して、中部国際空港の建設が進んでいることはご承知のことと思います。
この大規模公共工事を実施する中部国際空港株式会社に、トヨタ自動車が社長ほか主要な幹部として自社の人材を送り込んでいるのが注目されます。
『日経ビジネス』(2003.5.5号)によれば、この工事の総事業費が当初の7680億円から1割以上安くなる見通しだということです。しかも、空港オープンを1ヶ月前倒しにする。
公共工事では例のないことです。(関西国際空港の場合、総事業費は当初予算の1.4倍、工期は1年半遅れました。)

その秘密は、"トヨタ・ウエイ"にあります。
そのなかに、工事を設計段階から徹底して見直すVE(バリュー・エンジニアリング)ワークショップによる改善提案があります。
VEについては、以前にこの日曜講義でも触れました([第16講]、[第21講]、[第24講]など)。

VEの進め方を分かりやすく説明したものに、「VE 5原則」というのがあります。

その第1が、「顧客(使用者)優先の原則」というものです。
前述の中部国際空港工事に、次のような事例が紹介されています。
旅客ターミナルが上から見ると、折り鶴のような優美な形状をした設計になっていたために、屋根が複雑な曲面にならざるを得ない。
これを直線の平面形状にすると、大幅に工事費の低減が可能になるという提案に、社長(トヨタ出身)は「折り鶴の形はいいとして、乗客はそれをどこから観賞できるんだ」として、折り鶴型を退け、平面型の採用に決したとのことです。

優美な折り鶴のターミナルビルは設計者の自己満足に過ぎず、顧客である乗客はそれを見ることはできない。しかも、着陸料が上がり、テナント賃料が上がり、結局は乗客の懐に跳ね返ってくるのです。「顧客優先の原則」に反するわけです。

民間企業で、長年にわたって取り入れられて競争力強化に役立っているVEが、公共部門でも盛んになることは、一納税者としても大いに歓迎するところです。

関連して、最近すばらしいエッセイを読んだので紹介します。
木津広美さんの「『VE 5原則』で自己を変え人生を変える!」(『日本VE協会会報』NO.216、2003.5月号)です。
木津さんはかって、バドミントンの選手として実業団チームに所属し、全日本代表にも選ばれ、また国内ランキングでもずっと上位の常連として活躍した人です。
木津さんは書いています。

高校時代から社会人になるまでスパルタ指導で鍛えられた私は、恥ずかしいことに自分の頭で考えるという習慣がなく、 いつのまにか自分にすべての指示を出してくれる専属コーチが側にいてくれないと何もできない人間になっていた。
木津さんは悩み、退団を決意。全日本代表も辞退して、競技生活に別れを告げ、仕事と家庭に専念していました。そんなあるとき、一般市民対象の指導依頼をどうしても断りきれず、引き受けることになりました。
以前にも、これと同じような教室(指導)を何度も経験していた木津さんには条件的には何の問題もありませんでしたが、 ちょうどその頃、彼女はVEL(バリューエンジニアリング・リーダー、日本VE協会認定資格)に合格したばかりだったので、「VE 5原則」をこの指導に適用してみようと決心したのです。

使用者優先の原則(受講者優先)

(競技スポーツの世界では)指導者が選手に向かって「何でこんなことができないのだ!」と怒る。しかし、選手にはその理由がわからない。分からないからできない・・・。
私は自分自身が選手だったとき、「そんなことは監督が原因を見つけてアドバイスすべきこと!」と恨んでいたことを思い出す。気を遣い、瞬時に原因を見つけ、知恵を出すのは指導者の方なのだ。
一番目の原則から「自己変革の必要性」を強く意識させられ、苦しいスタートとなった。
機能本位の原則(何のためにそれをするのか?)
こんな質問はナンセンス。参加者はすべてバドミントンを楽しむために集まった人たち、のはずである。
(しかし)もしやと思い、参加理由を聞いてみると、「ストレス解消」「肥満解消」「健康増進」「コミュニケーション」という答えが6割以上、「バドミントンが上手になりたい」という人は2割弱だった。
ここにいたって、木津さんは教室の指導プログラムを全面的に見直さざるを得なくなりました。 顧客(受講者)満足を中心に据え、彼女は、エアロビクスを取り入れるなど、競技スポーツのための指導とは全く異なる指導方法を編み出すのです。
それが、木津さんにとっての自己変革となり、人生を変えることになったと述べています。彼女はいま、「人生を楽しむ(enjoy)」と思えるようになった自分に驚いていると述べています。
一部だけを引用したので、木津さんのすばらしい文意と表現をお伝えできないのが残念です。

ちなみに、「VE 5原則」には、上の2つのほか、「創造による変更の原則」、「チームデザインの原則」、および「価値向上の原則」があります。

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[第八十三講]イラク戦争――ネット戦とゲリラ戦(2003/07/21)

新聞報道によると、イラク駐留米軍の死者はブッシュ大統領が戦闘終結宣言をした5月1日以来、35人になったということです(2003年7月20現在)。3月のイラク戦争開始時からの死者累計は149人となり、91年の湾岸戦争の総計を超えました。
戦争中、破竹の勢いで進軍し、開戦後8日にして早くも首都バクダッドへ50マイルの地点に到達し、16日目にはバクダッド国際空港を占領し、20日には首都中心部に達した米軍が、なぜ“戦後”の治安回復と平和維持ができないのでしょうか。

米中央軍の新司令官に就任したアビゼイド氏は7月16日、イラク国内で続く米軍への攻撃は古典的なゲリラ型の軍事作戦であり、「これは戦争だ」と述べています。
イラクの状況は、“戦後”どころではない、というわけです。

ともあれ、強力な軍事力攻撃によって敵政権を倒すことと、ゲリラに対抗して占領地の平和を維持することとは全く違う概念に属するといえます。

しかも、このフセイン政権を倒すまでの軍事攻撃について、湾岸戦争とは大きく異なる戦略がとられました。それは、現国防長官の名を冠してラムズフェルド・ドクトリンと呼ばれます。
「小さく、軽く、早く、ハイテク化した、より柔軟な軍隊」による攻撃ということで、「通常兵器に、より依存した圧倒的軍事力」というパウエル・ドクトリンの対極をなす戦略が取られたということです。
現実の作戦進行は、異常なスピードで展開し、まさにラムズフェルド・ドクトリンの正しさを証明した形になりました。(パウエル氏も必ずしも軍事イノベーションを否定しているわけではありません)

これに関連して、ひとつの論文を紹介しましょう。(原論文は、下の文献を参照してください)
今度のイラク戦争は、戦争の考え方に新しいアメリカン・スタイルを導入した、と著者は述べています。
ひとつは、ご存知の「衝撃と恐怖」によって敵に心理的な影響を与え、戦意を喪失させるというものです。

もうひとつが、「ネット戦」と呼ばれるものです。コンピュータ・ベースの、迅速な情報通信に強く依存する戦い方です。
米英軍は空と宇宙からの監視とコンピュータ・ベースの通信によって、数分以内に敵兵力の正確な情報を得ることが出来る。
自軍の兵力展開についても、更新されたデータが常時、司令官のディスプレーに映し出されている。すべての米軍単位は、GPS(全地球測位システム)を装備しているからです。
偵察衛星からの監視によって、どんな悪天候でも標的に向かって正確に空爆できる。
地上軍の司令官は、空母に対し目標の正確な位置を知らせ、空母から発進した航空機は数分以内にその位置に到達できるばかりか、飛行途中に目標が変更されても、それに柔軟に対応できる。

まさに、「高度に情報化された(information-rich)環境下では、ネットワークはヒエラルキー(階層)に打ち勝つ」のです。
それに反し、イラク軍は高度に階層化された軍隊組織のままでした。

ある論者は、今後数年以内に、“蜂戦争(swarm warfare)”と呼ばれる新しい戦闘ドクトリンが開発されるだろう、と述べています。
それは、小さく、軽い、高度に機動的な軍事単位のネットワークが、敏速に目標に向かって集中し、その後、たちまち散っていく、蜂の攻撃と同じことです。

このような「ネット戦」が、これからの戦争の主流になるだろうというのですが・・・・
しかし、この論文では、このネット戦についての弱点についても触れています。

そのひとつは、相手もネットワーク化された非正規軍である場合、その攻撃に弱いということです。イラク戦争中も、長く伸びきった補給線上でイラクの非正規軍の攻撃を受けたことは米軍にとってショックな出来事でした。

また、イラクでは空と宇宙からの監視に妨害がありませんでしたが、もしこの点に敵の干渉があったとしたら、情報ベースの戦いはその脆弱な(vulnerable)欠点を露呈したことでしょう。

そして、このネット戦は有効な平和維持能力を持っていない、ということです。
補給と支援が手薄で脆弱なネット戦の方法は、戦闘行為の後に続く伝統的な平和維持活動に利用できる非戦闘資源が十分に投入できていないからです。
イラクで「ゲリラ戦」に米英軍が手を焼いている現状は、このことの正当性を示していると見ることができます。

このようなイラク戦争は、経営にも多くの示唆を与えてくれるように思います。
急激に変化し、スピードを要求される状況下での情報ベースのネットワーク組織とピラミッド型階層組織の勝負。
その勝負に勝利するネットワーク組織も、さらに小さな単位のネットワーク連合には必ずしも優越を誇示できない。つまり、ゲリラ商法には有効な対抗手段がない。

文献
Douglas A. Samuelson,"The Netwar in Iraq" ORMS Today, Informs, June 2003 Vol.30 No.3.

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[第八十七講]ノー・リスク、ノー・リターン(2003/11/03)

先日、雑誌を読んでいたら、オムロン社長作田久男さんの、次のような言葉に出くわしました。
社内で「リスクがあるけど、どうする?大丈夫か」なんて問い続けると、社員は死んじゃいますよ。世の大半の経営者はそうおっしゃっているようですけどね。 (『日経ビジネス』2003.10.13号)
作田社長は、オムロンで創業家の家系以外から出た初めての社長で、今年6月に就任しました。

私は、この作田さんの言葉に深く賛同するとともに、「リスク」ということについて少し考えてみようと思いました。
辞書を引くと、リスク(risk)とは「危害・損害などの危険・怖れ」であり、dangerと違って、「危害・損害などにあう高い可能性」または「みずから覚悟して冒す危険」とあります。

ここで、私はこのリスク(危険)という言葉が、未来に関係した言葉であることに注目したいと思います。
過去のこと、過ぎ去った出来事に“危険“はないからです。
未来は不確かであり、何が起こるか分かりません。私たち人間は明日をも知れぬ世界に生きています。明日死ぬかも知れぬし、リストラにあうかもしれない。
企業とて同じことです。人気商品の売れ行きが突然、下降し始めるかもしれないし、莫大な投資をした新製品がヒットするとは限らない。

しかし、このような世界で私たちは生きていかねばならないし、経営者たちは企業の存続・発展のため、意思決定を先延ばしにすることはできません。
神頼みもできないし、占いに頼ることも出来ません。自分で決めなければならないのです。

将来、何が起こるか、それがどんなに不確かであってもそれを定義するよう努力し、代替案を考え出し、その中から最善と信じるひとつの行為を選択していかねばなりません。

ここで、話題をちょっと変えて、確率論の話をしましょう。
確率論という学問は、1654年、あの有名な神学者で哲学者、かつ世界初の計算機発明者、「考える葦」のブレーズ・パスカルによって創始されたといわれます。
賭博に趣味のあった友人、シュヴァリエ・ド・メレがパスカルに投げかけた質問に対する返答が、それです。
その質問とは、次のような趣旨のものです。
2人のプレーヤーA、Bが100円づつ出し合って、コイン投げゲームをしている。表が出たらAの勝ち、裏が出たらBの勝ち。これを何回も繰り返し、先に3回勝った方が賭け金全部(200円)を取るというルール。

いま、Aが2回勝ち、Bが1回勝った時点で、AにもBにも責任のない、よんどころない事情でゲームを中断しなければならなくなった。
賭け金をどのように分配したらよいか。
この質問を、私も多くの学生に投げかけてみました。
答えは、いくつかに分かれます。

@ 一番多い答えは、このゲームは終了していないのだから、つまりノー・ゲームであるとして、A、Bそれぞれ拠出した100円を返してもらう。

A 次に多いのが、200円をAとBに、2:1に分配するというものです。なぜなら、Aは既に2回勝ち、Bは1回勝っているから、その割合に応じて分配する。

B 第3の答えは、かなり少数派ですが(直感的ですが、全体の10%以下)、次のようなものです。
もし仮にゲームを続けていたとしたら、Aが次の回で勝つ確率は1/2、そこで負けて次々回に勝つ確率は1/2*1/2=1/4、いずれにしても、その回で勝負は決着する。
したがって、ゲームを続けていたとしたら、Aが勝つ確率は1/2+1/4=3/4、それに対しBの勝つ確率は1/4である。したがって、賭け金の分配は3:1、つまりAに150円、Bに50円とすべきである。

では、パスカルの答えはこのうちのどれだったのでしょうか。
それは、第3の答えです。

これが、なぜ確率論の始まりといえるのか。
この中断されたゲームの賭け金分配を、表が出るか裏が出るか分からないという、未来の不確かさにもとづいて決めているからです。
しかも、その不確かさを確率という数字で示しているのです。確率もまた、リスクと同じように、未来に関係した概念です。私たちは、過去の出来事に確率は使いません。

先ほどのメレの質問に対する第1の答え、100円をそれぞれに返す、というのは、それまでに得られた情報(Aが2回勝ち、Bが1回勝っている)を全く使わず、無視しています。
第2の答えは、過去の出来事(あるいは、過去の情報といってもいい)のみに目を向けた決定です。

第3の答えだけが、過去の情報だけでなく、未来にあり得る可能性(それはリスクでもある)、に目を向けて決定しているのです。

意思決定とは、未来のあり得る状況を測定し、その脅威と機会を評価し、決断することです。
未来に目を向けるならば、そこに多くの可能性、多くの代替案を見出すことが出来ます。それぞれの代替案にはリスクがあります。そのリスクをあえて冒すところから、見返り(リターン)が得られます。

それをみずからの意志で選択するのです。過去に縛られ、過去の延長線上でしか考えないようでは、この激変する世界のなかで、多くの代替案(新しい道)に、目を閉じてしまっていることになります。
「ハイ・リスク、ハイ・リターン」とはかぎらないかもしれませんが、「ノー・リスク、ノー・リターン」は確かにいえます。

リスクをとろうとしない経営者、責任を部下に押し付けようとする経営者は、過去にのみ捕らわれており、未来を見つめず、したがってリターンを得ることはできないでしょう。
そのような経営者をもつ企業は衰退に向かうでしょう。

そもそも「リスク(risk)」という言葉は、イタリア語のrisicareという言葉に由来するといいます。この言葉は「勇気を持って試みる」という意味だそうです。(ピーター・バーンスタイン著、青山護訳『リスク――神々への反逆』上巻、日経ビジネス文庫、2001)

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[第八十八講]東西南北と東南西北(2003/12/14)

ずーっと以前(1997/05)に、[第7講]で方位の呼び方について議論しました。今回は、その続きを考えてみようと思います。

その時、疑問のまま残していたことがいくつかありました。
例えば、早稲田大学の校歌は「都の西北、早稲田の杜に・・・・・」で始まり、「都の北西」とはいいません。また、東北地方とはいいますが、北東地方とはいいません。
これに対し、欧米ではNorthwestとはいっても、Westnorthとはいいません。
これは、日本では「東西南北」というよう東→西→南→北の順序で呼ぶからではないか、というのが私の考えでした。
では、中国ではどうでしょうか。麻雀では東場から始まりますが、この場合は東→南→西→北と廻り、順序が違います。中国ではまた違うのでしょうか。

こうした疑問を残したままでしたが、つい最近これに関連する面白いエッセイを読みました。
一海知義さんの「東西南北と東南西北――日本と中国の方位」(『図書』岩波書店、2003/11)です。ここに先程の疑問に対する答えが明確に述べられています。

一海さんは、日・中の辞書や中国の古来の文献などを引用しながら、中国では東南西北が口頭語では一般的だが、文語文では東西南北も古くから出てくるといっています。
言い方が日中いずれの国でも一定に決まっているわけではないが、
しかし方位を順に並べる時、現在の日本ではふつう「東南西北」とは言わず、現代の中国で、特に口頭語の場合、「東西南北」といわないのは、たしかである。
と、述べています。

試みに、私も中国からの留学生にこのことを聞いて見ました。
彼らの答えも、上の一海さんの述べたことと同じでした。彼らはこのようにいいました。
ふつう、方位をいうときは「東南西北」だが、地理のときは「東西南北」という、あるいは「東西南北中」という。

そこで、一海さんのエッセイにあることを思い出しました。
「四方八方」(つまり、世の中全体)をいうときには、やはり対立概念の組み合わせである「東西南北」を用いねばならず、同じく四方を表す言葉とはいえ、時計回りの一方向しか示さない「東南西北」では、具合が悪い。
中国留学生が、「地理」といったとき、この世界全体を語るときのことをいったとすれば、一海さんのいうことと一致します。 ただ、中国留学生が言ったことで、もうひとつ気になることがあります。それは、「東西南北中」の「中」です。 なぜ、「中」が方位の中に出てくるのか。
中国の日常生活の中で、「東南西北」という時計回り方式の言い方が定着してきたのは、たぶん「五行説」にもとづいているに違いない、と一海さんは言います。
五行説によれば、この世界を構成しているのは、木、火、土、金、水、の5つの元素だといい、これを方角に配置して、東に木、南に火、中央に土、西に金、北に水を当てる。
ということで、ここに「土=中」が出てきます。

ただし、中国留学生の言ったのは、「東西南北」に「中」を入れたのであって、「東南西北」に「中」を入れたのではありませんでした。もう一度、確認する必要があります。 いずれにしても、方位の中に「中」が出てくるのは、中国の特徴ではないかと思いますが、どなたかご存知でしたら、ご教示いただければ幸いです。

[第7講]ではもうひとつ、気象庁の天気予報の話をしました。
予報官は、「北西の風、5メートル」とはいっても「西北の風、5メートル」とはいわないのはなぜか。
また、沖縄地方のことを「南西諸島」と呼び、風向きの呼び方とあわせていますが、東北地方のことを北東地方とは呼びません。

私の推測は、気象学が西洋伝来の学問だから、日本と呼び方が違うのではないか、ということでした。
そこで、今回は横着をしないで、辞書を引いてみました。そこで分かったことは、英語ではnorth,south,east,and westの順が普通、と出ていました。
それで、私は了解しました。気象庁では、この英語の順に従って方位をよぶ慣わしなのだと。だから北西であって西北ではない、南西であって西南ではない。
東北地方という言い方は、欧米の文化が入って来る前からの呼び名なのだと。

どなたかもっと詳しい方がいたら、お教えいただくとありがたいのですが。

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[第八十九講]東海地震注意情報について(2003/12/27)

12月25日、NHKテレビを見ていたら、東海地震に関する情報体系(気象庁発表)が見直されたというニュースがありました。
そこで、さっそく調べてみました。

東海地震の場合、これまで地震情報は、発生の危険度に応じて「東海地震観測情報」、「東海地震予知情報」の2段階でしたが、これに今回新たに「東海地震注意情報」が加わり、3段階で出されることになったとのことです。
以下、静岡県防災局発行の、地震災害に備えるためのコミュニケーション紙『自主防災』56号(2003/11)によります。

「観測情報」とは、東海地域の観測データに異常が現れたり、特異な地震が起きたりしているが、東海地震とは関連性がないと判断できる場合や、しばらくの間変化の様子を見守る必要がある場合に出される情報です(青信号)。

「予知情報(警戒宣言)」とは、東海地震が発生すると認められた場合に出される情報です(赤信号)。これと同時に、“警戒宣言”が発令され、さまざまな社会的対応がとられます。

今回新たに加えられる「注意情報」はこの両者の中間段階に位置する情報で、東海地震の前兆現象が起きている可能性が高いと認められた場合に出される情報です(黄信号)。

では、この注意情報が出された場合、静岡県はどのような対応を取ろうと考えているのでしょうか。

『自主防災』56号には、Q&Aがあって、次のように述べています。
Q:“注意情報”が出されたときの社会状況はどうなるんだろう?
A:児童・生徒の帰宅や介護が必要な人たちの避難の準備、旅行の自粛など、“警戒宣言”の発令に備えた動きが出てきます。
ところで、冒頭にあげたNHKのニュースによると
・児童・生徒を帰宅させるのはよいとしても、家が留守だったらどうするんだろう、とか
・介護や看護を必要としている人を避難させるといっても、どこへどうやって、といった疑問、
・あるいは、デパートなどは平常通り営業していいというが、大勢の客の安全の責任はもてそうもないから、デパート側では閉店したいという希望があるとか、
そういった声があることをテレビは伝えていました。

最後に述べたデパートの対応の仕方は、12月25日の牛海綿状脳症(BSE)に感染した疑いのある牛が米国で見つかったニュースで、米国政府の安全宣言にもかかわらず、日本国内では小売店からの米国産牛の撤去や飲食店のメニュー変更などが相次いでいることと軌を一にしています。

さてここから、不確実な情報にもとづくリスク対応策のあり方、という問題を私なりに考えてみることにします。
膨大な資源の投入によって得られた科学的知識にもとづく東海地震予知情報といえども、そこに大きな不確実性があります。ましてや、その前段階の注意情報については尚更です。

事故や災害が人災とみなされるときは、まずその原因の追求がなされなければなりませんが、地震は天災ですから、問題は専らその前兆などに関する情報開示の内容と手続き、そしてそれに対する対応策(予防的処置)のあり方に集中します。
その点から見るとき、東海地震注意情報と静岡県がとろうとしている対応はどのような意味を持つか。

「注意情報(黄信号)」という段階を、気象庁が今この時期に、設けた動機や経緯は私は全く存じませんが、このこと自体、結構なことだと思います。
青信号から、ある日突然、赤信号が出されるより、よっぽどましです。より詳しい情報をできるだけ早く、関係者に公開することは大切なことです。
ただ、黄信号はとかく人を困惑に陥れ、意思決定を困難にします。

道路交通の黄信号を考えてみましょう。
交差点に差し掛かったとき、黄信号が出たら車は停止線の手前で停まり、交差点の中にいる車は速やかに交差点外へ出る、というのが交通ルールだと理解していますが、黄信号に出会うと急いで交差点を突っ切ろうとする車は少なくありません。
現に、わたしの経験でも、乗ったタクシーが交差点手前で追突したことがありました。運転手いわく「前車が黄信号で停まるんだもの」。
黄信号は、停まるべきか行くべきか、悩ましい問題なのです(警察には申し訳ありませんが、現実がそうなのです)。

BSE発生のニュースで、いち早く店頭から米国産牛を撤去した店も多いけれど、撤去しないお店もあり、そうしたお店は「買う、買わないは消費者に任す」という姿勢です。
かって、日本で初めてBSEが発生したとき、焼肉屋ではばったりと客足が途絶えました。そのとき、いま、肉を食うチャンスだから、焼肉を食べに行きましょう、と言った学生がいました。

注意情報が出されたとき、どのような対応策をとるか、行政にとっても悩ましい問題だと思います。
あまり仰々しいことをやると、それこそ「泰山鳴動して、ねずみ一匹」といわれかねないし、あまりに軽く受け止めて大した処置をとらず、不幸にして事故・災害が起こると責任を追及される。
赤信号の方がまだ、意思決定しやすい。赤信号で交差点に突っ込んでくるドライバーはまずいません。

注意情報を設けることの意味は、それを受け取る人の自己責任の範囲が拡大するという点にあります。
地震観測情報(青信号)が出ていながら、地震が発生すれば、それは情報開示の手順に誤りがあり、情報を出す側に多くの責任があります。(もちろん、100%ではありません。そこまで地震学が進歩しているわけではありませんから)
地震予知情報(赤信号)が出ているにも拘わらず、警戒宣言が十分な形で発令されず、的確な対応が取れなかった場合、災害の責任の多くは警戒宣言を出す側にあります。

地震注意情報は、基本的にはそれぞれの関係者の自己責任において対応する、「自らの命は自ら守る」「自らの地域は皆で守る」(『自主防災』56号)という防災の基本をより鮮明に打ち出したものといえるでしょう。
情報の不確かさが増せば増すほど、意思決定者は広範に分散し、失敗の責任は拡散するのです。

にもかかわらず、専門家といわれる人々や行政のなかには、一般の人々を無用の混乱に陥れる危険があると称して、情報を秘匿しようとする傾向がなきにしもあらずです。「知らしむべからず、依らしむべし」というわけです。
では、彼らはその後に起こることに対して、全責任をとるのでしょうか。そんなことはでき得べくもありません。
そこで出てくるのは、情報が不確かだったのだからやむをえない、という言い訳だけです。

繰り返しますが、情報の不確実性が増せば増すほど、多くの人が自己責任で対応せざるを得ない(意思決定者が分散する)のですから、その後に起こることに対して、それぞれ応分の責任を負わなければならない(失敗の責任は拡散する)のです。 (今回の「東海地震注意情報」が情報体系に取り入れられたことは、この方向に沿ったものと考えられます)

取るべき道は、あらゆる情報を公開し、できるだけ多くの機会を設けて、多くの関係者がその対応策の意思決定に参加できるようにすべきである、と考えます。

2003年も多くのことがありました。皆さま、よいお年をお迎えください。

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