藤恒教授の日曜講義7
[第七十一講]偶然は選択されるのか(2002/10/13)
[第七十三講]プロジェクトマネジメントはペイするか(2002/11/30)
[第七十六講]標準化による思考停止の怖さ(2003/02/02)
[第七十七講]リスク・マネジメント――スペースシャトル事故から(2003/02/23)
[第七十九講]プロジェクト・マネジメント成熟度の評価(2003/04/27)
- [第七十一講]偶然は選択されるのか(2002/10/13)
- 先週の10月8日、東大名誉教授の小柴昌俊さんがノーベル物理学賞を受賞したというニュースが日本中を駆け巡ったと思ったら、翌9日には今度はノーベル化学賞を島津製作所の田中耕一さんが受賞したというニュースが飛び込んできました。
同じ年に2人ものノーベル賞受賞者を出したのは、日本では初めてのことだそうです。小泉首相ではないが、「日本は捨てたものではないどころか、たいしたもんだ」といえます。物理学賞を受賞した小柴さんは、自分が考え出し作ったカミオカンデが完成した2ヶ月後・定年退官の1ヶ月前という、まさに絶好のタイミングに、383年ぶりの超新星大爆発による大量のニュートリノが飛来し観測できたという"幸運"に恵まれた、とのことです。
化学賞の田中さんは、間違えてグリセリンの液体をコバルトの微粉末に落としたとき、大きい分子の親イオンが"偶然"観測でき、それが今回の受賞につながったということです。田中さんは「ひょうたんから駒だった」と述べています。これらは、本当に「偶然」で「幸運」な出来事なのでしょうか。私でもこうした偶然の幸運に恵まれればノーベル賞がもらえるでしょうか。
勿論、そんなことはありませんね。話は変わりますが、私は先々週10月3日に、勤務する大学の公開講座で、「偶然と必然」という標題で地域の人たちを対象に短い講演をしました。
この世の中では、偶然の一致と見えるようなこと――たとえば、四国遍路での人との出逢い――、あるいは奇跡と呼んでよいようなきわめて低い確率事象――たとえば、聖歌隊15人全員が遅刻したために、教会のボイラーの爆発から逃れることができた――などが時として起こります。(こうした事例に関心のある方は、このホームページの四国遍路の小さな体験5、6、8、10などをご覧ください。)
偶然性の科学である確率論は、そういった現象をどのように説明するのか、説明できるのか、といった話をしました。勿論、私の力で十分な説明ができるわけもなく、聴衆の皆さんに疑問を残したまま終わってしまいましたが・……講演が終わってからたくさんの人から質問が殺到して、私もたじたじでした。この講演のなかで、冒頭のノーベル賞の小柴さん、田中さんの話にみられるような"偶然"に関連した話をしましたので、それをここでもう一度考えて見ます。
まず、この世の中は偶然とか異常としか思われないようなさまざまなことが起こりますが、その奥には全体を支配する秩序ないし法則が存在しているはずです。そうでなければ、科学は成り立ちません。
ところがそうした秩序も統計的には異常なことを少しだけ含むものです。その少数の異常なことに意味を求め、価値を見出すのが人間だといえます。たとえば、1人の処刑囚が10人の銃撃隊によって銃殺に処されることになりましたが、そのとき10人の隊員全員が的をはずしたとします。そういった確率もゼロではありません。恐らく何百億分の一の確率でそういうことが起こり得ます。
しかし、そうした場面に遭遇したら、人はそこに何かあるのではないか、たとえば10人の銃撃隊全員が処刑囚の味方ではないのか、と考えるのが普通でしょう。7時20分に集合する予定の教会の聖歌隊15人がそろって遅刻したために、7時25分に起こったボイラーの爆発から逃れることができたとしたら(その確率はある仮定を置いて計算すると、十億分の一程度です)、それは神のご加護ではないかと人々が考えるのを無碍に否定することはできません。
そうした「偶然」的なこと、異常なことに意味を求め、そしてそれがわが身に起こると、それを運命的な「必然」と感じるのが人間なのでしょう。
しかし、すべての偶然に人は意味を見出す(必然と感じる)わけではありません。それは人それぞれなのです。人はそれぞれ自分の生き様を自ら"選択"して、日々を生活しているわけです。それはその人の生まれついた性格もあるでしょうし、環境や経験から来るものもあるでしょう。
ともかく、人はそれぞれある意志をもって人生を生き抜いてきています。これを「人生の戦略」と呼ぶなら、その戦略のもとにのみ遭遇し得る偶然というものがあるはずですし、他の人ならやり過ごしてしまう偶然にも重大な注意を向けるということがあると思います。つまり、「偶然は戦略によって選択される」ということができます。カナダの哲学者レスリーは「人は特定の長さの魚しか釣れない釣り道具を持っている。湖にはいろんな長さの魚がいるのに」という意味のことを言っています。どの特定の魚が釣れるかは偶然だが、釣れる魚の大きさはその人のもっている釣り道具(つまり、戦略)によってある範囲に限定される、ということでしょう。
全く違う大きさの魚を釣りたいのだったら、釣り道具(戦略)を変えなければならない。
ここまでが、先日の私の講演の趣旨です。ノーベル賞受賞者の小柴さんも田中さんも、試行錯誤の果ての、全くの"偶然"に恵まれたのではなくて、その偶然は彼らの厳密な研究計画(戦略)によって選び取られたものだということができるでしょう。
- [第七十三講]プロジェクトマネジメントはペイするか(2002/11/30)
- プロジェクト・マネジメントは、長年にわたって私の研究テーマのひとつで、このホームページでも何回か触れてきました。たとえば、日曜講義[第46講]、QandA「プロジェクトマネジメントの学習について」などです。
日本では、1970年代の後半から1980年代にかけて、エンジニアリング業界を中心に、このプロジェクト・マネジメントがもてはやされました。海外のプラント建設など大規模プロジェクトになくてはならない管理手法として取り上げられたのです。海外、特にアメリカのエンジニアリング会社、建設コンサルタント会社に対抗して大型プロジェクトを受注し、契約し、設計し、施工するためには、この管理手法によって武装することが不可欠だったのです。その後、プラント建設などのプロジェクトが下火となり、プロジェクト・マネジメント(以下、PMと略します)は企業組織内の業務改革とか研究開発の場で聞かれる程度となっていましたが、最近、再び脚光を浴びるようになりました。それは、マネジメント対象として情報システム開発がクローズアップされるようになったことが一因として挙げられると思います。
また、世界最大のPM研究団体であるPMI(Project Management Institute)が、PMの知識体系としてPMBOK(Project Management Body Of Knowledge)2000 を発表したことも影響していると考えられます。
PMI東京(日本)支部ができたのは1997年、PM学会が設立されたのが1999年です。『日経コンピュータ』は、「プロジェクトマネジメントが日本を救う」という特集記事を組んでいるほどです。(『日経コンピュータ』2002.4.22号)
情報システムの構築プロジェクトで依然としてトラブルが絶えない。情報技術が複雑になった上に、国や企業間にまたがるプロジェクトが増え、ステークホルダー(利害関係者)の調整が難しくなった。 ・・・・・この問題を解決するには、企業の中に「標準体系にもとづくプロジェクトマネジメント・システムを確立する」ことしかない。・・・・・その通りだ、と私も思います。
最近、新聞紙上を賑わす情報システムのトラブルは、その構築過程から移行の段階にいたるまでのマネジメントのまずさに起因すると思われるものが少なくありません。PMの必要性が強調される所以です。さらに、先進的な企業ではあらゆる業務をプロジェクト化する試みに挑戦しているところも少なくありません。これについては、以前に[第46講]でも触れたことがあります。
ところで、こうしたPMを企業が組織的にとり入れるには”投資”を必要とします。
PMの知識体系を学習し訓練し、それを組織内に制度としてとり入れ、組織と業務を再編成し、さらにそのための情報システムを構築する必要があります。社長が、「PMを導入する」と宣言すれば、明日からでもできるというものではありません。こうした投資だけでなく、プロジェクト遂行過程でのマネジメント・コストが、果たしてペイするのか、といった問題もあります。
この問題は次のように言い直してもいい。PMをやるとして、「どの程度やるか]。つまり、PMにもマネジメントのレベル(水準)というものがあるはずで、小さなプロジェクトに洗練化した高コストのかかるマネジメントをしても管理倒れになるだけです。鶏を割くに牛刀をもってする類です。
逆に、どんなに洗練化した手法を適用したくても企業全体のマネジメント・レベルが低ければ、実行することはできません。ここで、ひとつの論文を紹介します。詳しくは、この講義の末尾の文献を参照してください。
この論文の著者たち(Kwak and Ibbs)は、PMのツール、システム、そしてその実施にかかる投資が果たして十分な見返りを生み出しているか、つまりPM投資利益率(PM/ROI, PM Return On Investment)を計ろうという、いささか無謀とも思える課題に挑戦しています。その前提として、彼らはまず、PM成熟度という概念を定義し、それとプロジェクト・コストおよびスケジュールとの関係(相関関係があるかどうか)を検討しようとします。
PM成熟度とは、組織のPM実施とプロセスの洗練度(the level of sophistication)を示したものです。PMIでは、長年この問題に取り組み、まもなくOPM3(Organizational Project Management Maturity Model) を発表するとのことです。(http://www.pmi.org/info/PP_OPM3.aspを参照してください)
また、このOPM3は、次の雑誌にその概要が掲載されています(『日経コンピュータ』2002.11.4号)。ここで紹介するKwak and Ibbs の論文は、当然ながら、このOPM3に則ったものではありません。彼らは Berkeley PM Process Model という独自のモデルを考え出し、それに沿って研究を進めています。
詳しくは述べませんが、以前にこの日曜講義で紹介した[49講]CMM(能力成熟度モデル)に発想がよく似たものです。
簡単にいうと、PMBOKにいう8つの知識分野(スコープ・マネジメント、コスト・マネジメントなど)と6つのPMプロセス(発足、計画など)によってマトリックスを作り、この48(8*6)項目にそれぞれ複数の質問を用意し、合計148質問をもとに38組織からアンケートにより1〜5点法で自己評価してもらい、その結果によって、当該組織の成熟度を表現しています。PMの効果指標としては、CI(原予算に対する実際費用)とSI(原計画時間に対する実際時間)、そしてPM/ROI(PM投資利益率)を用いています。
結果はどうか。
PM成熟度があがるほど CI も SI も良くなる傾向が認められる。しかし、それは直線的ではなく、CI、SIともにその改善度は成熟度が増すほど逓減する。特に異常値と思われるものを除いてみると、成熟度の高いレベルではCI、SIともにほとんど改善は見られず、横ばいとなる。このことは、PMをやりすぎては効果はない、という解釈も成り立つ、と筆者たちは述べています。
しかし、こうした解釈も暫定的なものでしかない、と考えられます。なぜなら、以上の分析(回帰分析)の決定係数(回帰曲線の当てはめの程度)が、低いからです。統計的にとても有意であるとはいえないものです。PM/ROIについては、上で求めたPM成熟度とCIの関係から、現状と予想のプロジェクト利益率を見積もり、それからROIを求める手順を筆者らは示していますが、彼らも認めるように、それは極めて大雑把な概算程度のものに過ぎません。
その理由は、まず、PM成熟度の測定の困難なこと、成熟度とCIとの関係式の信頼度の低いこと、そして何より組織の会計システムがこのような計算をするに適したデータ収集ができる形になっていない、などがあげられます。プロジェクト・マネジメントはペイするか。
この問は、流行のように唱えられるPM礼賛に対するひとつの冷静な問いかけといえます。しかし、この問いかけに十分に応えられるか。
この論文からいくつかの方向は見えてきますが、誰もが納得できる定量的な方法論や予測手法は、実用化にはまだまだ遠いと感じました。参考文献
・C. William Ibbs & Young H. Kwak, Assessing Project Management Maturity, Project Management Journal, March 2000 pp.32-43.
・Young H. Kwak & C.William Ibbs, Calculating Project Management's Return on Investment, Project Management Journal, June 2000 pp.38-47.
- [第七十六講]標準化による思考停止の怖さ(2003/02/02)
- 今日のテーマは、日曜講義の読者の方からいただいたものです。
この方は、IT関係の会社に勤める若いビジネスマン、「こんちゃん」です。いただいたメールの一部を引用します。
最近怖いな〜って思ったのが、コンビニ以外でご飯を食べる時に、無意識的にチェーン店(松屋、吉野家、マック、大戸屋)に入ってしまうことです。この問題意識の鋭さに、敬服します。「標準化」の思想がここまで、私たちの日常生活に浸透してきていることに、私も「こんちゃん」と同じように、ある種の怖さを感じます。
家族で細々とやっている定食屋さんに入るのが怖いのです。無意識的に敬遠しているのです。
チェーン店は標準化されていますので、値段の割には外れはありません。しかし、意外な発見や喜びがないのです。あ〜いつもの味ね、しかないのです。では、標準化とはなんでしょうか。改めて考えてみたいと思います。
標準化は、ご承知のように、近代工業の基礎をなす思想で、これなくしては大量生産はなく、効率の飛躍的向上もなく、今日の私たちの物的豊かさはあり得なかったでしょう。
その象徴が20世紀初頭に現れたフォーディズムです。ヘンリー・フォードは、「誰でも買えて、誰でも運転できて、どこへでも行け、ほとんどの人が自分で修理できる車」を目指して、かのT型フォードを開発しました。彼は、これを1910年から生産開始し、以来18年間に1,500万台を生産しました。これは今日でも驚くべき数字です。
フォーディズムは作業の単純化・専門化にもとづく分業と流れ作業によって効率的大量生産を達成するものですが、その基礎に材料・部品から設備、作業手順・動作に到るまで、ありとあらゆるところに標準化がありました。しかし、標準化は技術進歩との関係でいえば、ある種マイナスの側面をもっています。
新しい優れた技術が出てきたからといって、直ちにそれを取り込むことはできないのです。一定期間、維持してこその標準で、むやみに新しい技術を取り入れたのでは、「標準」が保てないからです。
つまり、標準化は社会にあって技術進歩の普及を抑え留める役割を果たしているといえます。ですが、この点については、今回はこれ以上触れません。今回のテーマは、もう一つ別のマイナス側面についてです。
標準化によって、一定の作業手順に従ってさえいれば、誰でも同じように、均一な品質の製品を作ることができます。
ヘンリー・フォードの時代、英語を満足に話せない移民であっても、作業手順票(マニュアル)に従ってさえいれば、あれこれ考えなくても、立派に仕事ができました。
当時、標準化の考え方を労働者の作業や動作にまで適用して、「科学的管理法」を唱えたフレデリック・テーラーは、ある機械工の提案に対して「私は君に考えることを求めてはいない。ここには、考えるために給料を貰っている別の人がいるのです」と答えたとのことです。
つまり、作業手順という標準化を「考える」人と、それにしたがって作業を実施すればよい「考える必要のない」人とを分ける、テーラーのいう「計画と実施の分離」です。なまじ変わったことを考えられては、折角、標準化して維持している秩序が乱されてしまう、という考えです。標準化が20世紀の工業社会を作り上げた基盤であることは認めます。
しかし、21世紀に入って情報化社会といわれる今日、私たちは標準化の思想にどっぷりと浸かってしまって、考えることを止めてしまっているとしたら、それは大変怖いことです。(小集団によるカイゼン活動もありますが、その多くは「チェーン店を定食屋に変える」ほどのインパクトはないのではないでしょうか。)「標準化」されたチェーン店でみんなと同じような食事をとり、同じような衣服を着、ブランド品を身につける。職場へ行けば、分掌規定と先例とマニュアルに従って仕事をしていけばよい。実は、そこに大きな安心があり、ある種の心地よさがある。
「こんちゃん」も、メールのなかで書いています。「無限の選択肢があるにも係わらず、合理的な選択?として安易にお店を選んでしまっているのです。」私たちは、標準化の罠から抜け出さねばなりません。どうするか。
私にいい知恵があるわけではありませんが、一つは、前回[第75講]に引用したマグダネル・ダグラスの倫理コードをもう一度引用することで、一つの答えとすることをお許しください。
「MD社を特徴づける誠実さと責任感を守るため、われわれは『何が期待されるか』ではなく、『何が正しいか』にしたがって行動する」何が正しいか、それは私たちが自分の頭で考えなければなりません。
また、私はかって、次のように書いたことがあります(拙著『プロジェクトによる経営革新』ダイヤモンド社、1994)。
短期間に多くの工事が輻輳する溶解炉補修工事にユニークな管理方式を編み出した築炉技術者久保敬之助さんの言葉です。
「一番大切なことは、工事そのものを正しく見つめることです。工事とは何か、安全とは何か、と私は常に問いかけている。それが私自身にとっても、現場の他の人にとっても、ひとつの挑発であると思っている。」いただいたテーマに対して、適切な議論になっているかどうか分かりませんが、いま考えつくことを書き連ねてみました。
ひとつの行為に対し、「・・・・するとは何か」という問いかけは、ともすれば習慣化、形骸化しようとすることへの意味の問い直しではないでしょうか。
- [第七十七講]リスク・マネジメント――スペースシャトル事故から(2003/02/23)
- いささか旧聞に属しますが、2月1日、帰還直前に空中分解し、7人の乗員全員が死亡したスペースシャトル・コロンビアの痛ましい事故がありました。
アメリカ航空宇宙局(NASA)は、機体左側の温度が異常に上昇し、左翼の各種センサーに連鎖的な異常が発生していたと発表しました。左翼で機体を大気熱から守る耐熱タイルが損傷していた可能性を示唆しました。詳しいことは、今後の事故調査に待たねばなりませんが、もし耐熱タイルの損傷が原因だとすると、問題はなぜタイルが損傷したのか、ということです。
事故直後からいわれていたことは、発射打ち上げ時に外部燃料タンクから剥がれ落ちた絶縁材ないし着氷が左翼に接触し、コロンビアの耐熱タイルを傷めたのではないか、ということでした。事実、打ち上げ時の映像でそれらしき物体がシャトルに接触する状況が映し出されています。
あるいは、宇宙ゴミか隕石が衝突したのではないか、という説もあります。いずれにしても、これから調査によって原因が明らかにされるでしょうが、耐熱タイルが損傷したことがコロンビアを空中分解に到らしめた直接の原因であることは間違いないようです。
実は、スペースシャトルの安全上の最大の問題のひとつが耐熱タイルにあることが、10年も前にNASAに提出された論文に明記されているのです。
M.エリザベス・パテコーネル(スタンフォード大学)とポール S.フィシュベック(カーネギー・メロン大学)の「スペースシャトルのタイルのリスク・マネジメント」という論文です。下記注のウェブサイトから原文を入手できます。今回の講義は、この論文の概要を紹介しましょう。
著者たちは、確率的リスク分析(Probabilistic Risk Analysis, PRA)という手法を使って、耐熱タイルがスペースシャトル再突入時の最大のリスク問題であること、そして帰還してから次のフライトまでのメンテナンスが決定的に重要であることを指摘しています。結論を先にいえば、1機のシャトルに使われているタイル約25,000枚のうちの15%が、リスク全体の85%の原因となっている。しかもこれらは必ずしも最も高温にさらされる部分に貼り付けられたタイルではない。
この部分のタイルの、特に接着が決定的に重要であり、その接着をよく検査し、また発射時に外部タンクおよびソリッド・ロケットブースターの外皮を覆う絶縁材が剥がれ落ちて、シャトルのタイルが損傷しないように強化すべきだ、とNASAに勧告しているのです。
2月1日の事故は、この論文が懸念した、まさにその部分で、そのとおりの形で起こった事故である可能性があります。その対策には、どうしたらよいか。論文は次のように提案します。
まず、メンテナンスの手続きを改善すること。これによって、タイルにもとづくシャトル事故を70%まで減少できる。そして、それは結局はマネジメント問題に帰着する、といっています。この論文が書かれた時点までに、シャトルではタイルは2枚だけ失われたということです。しかし、タイルの脱落が重大なのは、再突入時に1枚のタイルの脱落が連鎖的に拡大し、シャトル本体の構造(それはアルミからできている)に損傷を与え、決定的な事故につながるからです。
失われたタイルのひとつは、接着が不十分だったこと、もうひとつは破片がぶつかってタイルが損傷したのです。
破片はいろんなところから飛んでくる。シャトル自身、外部タンクやロケットブースターについた氷やさまざまな破片、地上設備から来る破片、宇宙飛来物など。論文では、これらの破片の源に最大限の注意を払い、管理しなければならないと述べています。ひとつの失敗(たとえば、タイル1枚の脱落)が他の要素にどのように影響するか、ひいてはシステム全体のリスクにどのように影響するか、十分な情報が与えられていない。この点については、1986年のチャレンジャーの事故以来、大きく改善されたとのことですが。
チャレンジャーの事故は、ロケットブースターのOリングの不全という、いわばハードウエア上の失敗ですが、このハードウエアの技術的失敗は、とりもなおさずマネジメント上の失敗の結果である。コミュニケーションのまずさ、情報の間違った解釈、絶対的に安全でないと証明できない限りは発射しようとする動機、そしてスケジュール上の圧力からくる過度の楽観主義。
リスクマネジメントは、単に技術的な計算の問題ではなく、組織上の要素こそ最大の管理対象なのだと、著者たちは強く主張しています。チャレンジャーの事故以来、NASAのリスクマネジメントは大いに改善されたが、それでもまだまだ部分的で、個々バラバラな対策にとどまっており、これでは個々のサブシステム失敗間の競合がシステム全体の大事に到ることを予測できない。
外部タンクの絶縁材あるいは着氷の剥がれ落ちとシャトルの耐熱タイルの損傷との関係など、最も注目すべき問題であり、これがシステム全体および乗員の喪失につながる危険を既に、明確に指摘しています。耐熱タイルの問題に返ると
著者たちは単にタイルのPRAを計算するにとどまらず、タイルに関する仕事(タイル・ワーク)の品質に影響するマネジメントに研究の焦点をあてています。
一例をあげれば、タイル技能者たちは機械技術者や電気技術者よりも給料が低く、定着率も低い。この一事をもってしても、NASAは仕事に対する全体的優先順位付けを十分に考慮しているとはいえない。結果、タイルの何枚かは十分に接着されず、僅かに相互の摩擦によって保持されているだけ、という危険な事態まで起こっている。
タイル技能者たちのなかに時間にせかされて、少しでも早く仕事を終わらせようと、RTVという物質につばを吐きかけている者がいる。この物質は水を加えると反応は早く進むが、剥がれ易くなってしまうので、水を加えること(つばを吐きかけることはこれに相当する)は、禁じられているにもかかわらず、です。以上が1994年に発表されたM.エリザベス・パテコーネルとポール S. フィシュベックの論文の一部です。
それから10年近く経ち、NASAの安全対策は更に向上していると信じます。にもかかわらず、2月1日の悲劇はなぜ起こったのか。著者たちの「安全問題は、マネジメント問題である」という主張はいつまでも色あせることはないでしょう。
(注)
M.-Elisabeth Pate-Cornell & Paul S. Fischbeck, Risk Management for the Tiles of the Space Shuttle, Interfaces 24: 1 Jan.-Feb. 1994(pp.64-86)
http://www.informs.org/Press/SpaceShuttle.pdf
- [第七十九講]プロジェクト・マネジメント成熟度の評価(2003/04/27)
- プロジェクト・マネジメント(PM)が大流行の観を呈しています。政府までが、基準つくりとかいって乗り出してきました。
この日曜講義でも、PMについて何回か触れてきました。たとえば、日曜講義[第46講]、 [第73講]、QandA「プロジェクトマネジメントの学習について」などです。今回は、PM成熟度のベンチマークということをとりあげてみたいと思います。
マネジメントの成熟度といえば、ソフトウエア開発の分野で既に、カーネギーメロン大学が開発したCMM(能力成熟度モデル)、その発展としてのCMMI(CMM統合)があります。
くわしいことは、日曜講義[第49講]をごらん下さい。この考え方を、ソフト開発だけでなく、いろいろなタイプのプロジェクトのマネジメントに適用しようと、これまでに多くの、30以上の、成熟度モデルが提案されてきました。
しかし、なんといっても注目すべきは、PMIが1998年に発足させ、現在作業取りまとめ中のOPM3でしょう(これについては、http://www.pmi.org/info/PP_OPM3.aspを参照してください)。こうした成熟度モデルは、企業が自社のPMのレベル(成熟度)を評価して、業界の中でどの辺に位置するか、年とともにどれだけ進んできたか、他社と比べてどうか、これからどのように改善していったらよいかなど、考えていくときのベンチマークを与えてくれます。
このベンチマーキングによって、アメリカのPMがどの程度"成熟”しているか、実状調査をしたペニーパッカーとグラントの論文がありますので、紹介します。
くわしくは、下の注の論文を参照してください。著者たちは、「PMソリューションズ・プロジェクトマネジメント成熟度モデル」という枠組を提案し、それにもとづいてアンケート調査を行った結果を報告しています。
まず、このモデルは、先ほどのカーネギーメロン大学のCCMの5段階を成熟度レベルとして横軸にとり、縦軸にはPMIのPMBOK(PM知識体系)9分野をとって、マトリックスを構成します。
次に、各知識分野ごとの自社の成熟度レベルを、PMの上級実務家123名に回答してもらって、その結果をまとめました。繰り返しになりますが、ここで採用している成熟度レベルの5段階とは、次のようなものです。(レベル名称として用いられている言葉は、論文ではこれと若干異なります。)
1. 初期(Initial)――場当たり的、プロジェクトの成功は個人の努力に依存する。
2. 反復できる(Repeatable)――基本的なプロジェクト管理プロセスは確立されている。
成功経験を反復するための規律がある。
3. 定義された(Defined)――組織の標準プロセスが文書化、標準化、統合化されている。
プロジェクトが横断的に管理されている。
4. 管理された(Managed)――プロセスも成果物も定量的に計測、管理されている。
能力の予測可能性が高い。
5. 最適化(Optimizing)――革新的な技術等によって継続的なプロセス改善ができる。
欠陥を予防する手段をもっている。この調査結果では、アメリカのPMの成熟度はグラフのようになっています。
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全体のほぼ2/3の企業がレベル1 あるいは 2 に留まっていることが分かります。
論文の著者たちは、これらの企業がまずなすべきことはPMのすべてのプロセスについて組織としての標準を確立すること、次に全社的に適用するフォーマルな文書化された標準が必要であると述べています。業種によって、PM成熟度に違いがあるでしょうか。
製造、情報、金融保険、そして専門科学技術サービスと4分類したとき、特に意味のあるほどの差はないということです。強いていえば、専門科学技術サービスの業種でレベル3 と 4 の企業がやや多いといっています。次に、企業規模は関係あるでしょうか。
論文では、売上高1億ドル以下から30億ドル以上の企業について調べていますが、この場合も成熟度に特に差異は認められないとのことです。日本で同じような調査をしたらどうなるでしょうか。興味ある問題です。
(注)
James S. Pennypacker & Kevin P. Grant, Project Management Maturity: An Industry Benchmark, Project Management Journal, March 2003.
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