藤恒教授の日曜講義5
[第五十二講] 長嶋監督とトルシエ監督(2001/07/17)
[第五十四講]カキの季節(2001/10/07)
[第五十五講]若者に意識変化が起こっている?(2001/10/28)
[第五十八講]9.11テロは予測できなかったのか(2002/01/27)
[第六十講]アマルティア・セン『貧困と飢饉』を読む(2002/02/17)
- [第五十二講]長嶋監督とトルシエ監督(2001/07/17)
- 今日は日曜ではありませんが、急遽、課外講義をします。
皆さんは一昨日15日、東京ドームでの広島‐巨人戦をご覧になりましたか。
なんという無情なゲームだったことでしょう。「えっ、そんなのあり?」と、テレビを観ながら思わず叫んだほどでした。8回表まで3対0で広島ペースで進んできたゲームが、その裏、巨人の江藤(元広島の選手ですよ)の3ランによって同点とされ、さらに松井のソロで逆転、そのまま試合が終わってしまいました。
広島は、数日前に一軍登録されたばかりの河内が6回途中まで2安打無失点の気迫の投球をみせ、打線も小刻みに1点、また1点と積み上げてきていたのに、2発のホームランであえなく敗戦。
「これだから巨人は嫌いなんだ」「ホームランだけが野球か」と、嫌味のひとつも言いたくなります。中国新聞によると、このところ松井に対して長嶋監督の評価は厳しかった、といいます。
「勝負に関係ないところでの安打なんかいらない。松井には、球場のムードを一変させるような本塁打を打って欲しい」(2001.7.16号)
この夜のホームランに長嶋監督の笑顔は絶えることがなかったことでしょう。おそらく長嶋監督の言うことは正しいのでしょうね、少なくとも営業的には。観客はホームランを期待して球場に来ているのですから。
こつこつと気迫で投げ続ける河内の投球よりも、東出の果敢な盗塁よりも、松井のホームラン(松井に限りませんが、巨人ファンにとっては特に松井のホームラン)の方がはるかに痛快で面白いからです。突然、話変わりますが、サッカー日本代表のフィリップ・トルシエ監督が、次のように語っています。(日経ビジネス 2001.7.9号)
日本のサッカーでは、どれだけゴールが決まったか………に注目が集まります。どのようにゴールを防いだかは関心が持たれません。たとえば、0対0で終われば悪い試合、8対8ならすばらしい試合となってしまう。日本ではスター主義がはびこっている、とトルシエ監督はいいます。しかし、日本でスターである選手であっても、海外では誰も知らない。
ゴールばかりに目が注がれるのが日本のサッカー文化で、………(というより)サッカーが文化の一部としてではなく、単なる見世物にされている。日本で15歳の女の子が試合を見に来る目的はスターを見ること。試合の中身より、スターがゴールをきめるところを見たいのです。
「特定の個人が日本のサッカーを代表するようなサッカーはしたくない。私は本当のサッカー文化をしっかり守りたい」とトルシエ監督は言います。私はトルシエ監督に全面的に賛成します。
長嶋監督に賛成することはできない。
だから、私は巨人軍が嫌いで、広島野球が好きです。
- [第五十四講]カキの季節(2001/10/07)
- 「日曜講義」が夏休みしている間に、心底から驚愕する悲惨な事件が多く起こりました。多くの死者を出した「米国同時多発テロ」や「新宿歌舞伎町雑居ビル火災」。そして「狂牛病の発生」など、深い憤りとともに、この世界のシステムが完全に機能不全に陥ってしまったのではないかとさえ感じます。
それらについて何か書きたいのですが、私自身の気持の整理がつきません。
そこで今回は、それらの大事件の片隅の、まことにマイナーでローカルな話しをします。広島カキの本格的な出荷が10月1日から始まりました。広島は、ご承知のようにカキの特産地です。カキが付着した針金の束を引き上げ、これを「打ち子さん」が殻を開いてむき身を出していきます。
今年の夏は水温が高かったため、身はやや小粒でも味は良好とのことです。お値段は、景気の低迷で安めだそうですので、皆さん、ぜひ今年はカキを大いに召し上がってください。わが郷土のために宣伝しておきます。
カキ打ちは、お歳暮時期の年末をピークに来年5月下旬まで続くそうです。ここで、私は今年5月に広島カキについての新聞の切抜きをしていたことを思い出しました。「なんで、そんな切抜きを?」と思われるかもしれませんが、この記事の中に今回の講義のポイントがあるので、まぁ聞いてください。
広島カキは昨年、20448トンと3年ぶりに2万トン台を回復した。1998年夏は広島湾に広がった赤潮被害の影響で収穫量が2万トンを割っていた。99年にも、2万トンを回復できなかった。一般に収穫量を増やそうとすれば、その元になるいかだの台数を増やせばよいように思われますが、そうではないのです。いかだが過密状態になれば、1台あたりの収穫量が減るからです。
ところが、1999年9月の台風18号で3380台のいかだが破損し、収穫量の回復はその「間引き効果」が出たと見られる。
県や漁業団体は、いかだの台数を5年間で3割減らして過密養殖を防ぎ、潮の流れをよくして赤潮発生を防ぐよう、生産改善計画を進めている。
「いかだを減らして品質を高め、広島カキの評判を一層高めないと、激化している産地間競争に勝てない」(中国新聞2001.5.1号より抜粋)
一人ひとりの漁民にすれば、いかだの数を増やしたいでしょうが、皆がそうすると全体では過密状態となり、収穫は逆に減ってしまいます。
県や漁業団体の生産改善計画は、共同管理によって「共有地の悲劇」と呼ばれるものに対抗しようとしているのです。ここで共有地の悲劇とは、次のようなものです。
誰でも自由に放牧できる共有地があるとします。共有地に放牧された牛1頭あたりの収入は、牛の総数によって決まるとします。そして、これは牛の混雑によって減少するはずです。つまり、放牧される牛の総数が多くなればなるほど減少するということです。
いま、各農家が私的利益の最大化を図った(誰もができるだけ多くの牛を放牧しようとする)場合は、社会的に管理される点を超えて過剰利用されることが証明できます。
しかも、この自由に放牧を許した場合の総利益(全農家の合計利益)は、最適に管理された場合の総利益より小さくなります。これが共有地の悲劇と呼ばれる有名なモデルで、誰でも好きなだけ無料で利用できる環境――大気、水、道路、廃棄物など――は、一般に適正なレベルを超えて利用されるという、これは環境汚染モデルでもあります。
広島カキの例は、まさにこの「共有地の悲劇」の実際例そのものであるといえます。
- [第五十五講]若者に意識変化が起こっている?(2001/10/28)
- 日頃、私は大学生に接していて、いま、彼らの意識に急激な変化が起こっているのではないかという感じを、漠然とですが、もっています。
最近の厳しい経済情勢は、若者に対しても直接、大きく影響を及ぼしてきています。いま、大学を卒業しようとする学生たちは、超氷河期というもおろかなほどの厳しい就職戦線に立ち向かっています。
その上級生たちを見ている3年次以下の学生にとっても、それは他人事ではありません。将来の進路どころか、いま、年々の学納金の納付に困難を覚える学生も少なくなく、アルバイトで働くことすら思うにまかせません。
こうした困難が、時代に敏感な若者の意識に変化を与えないはずはないと考えます。そのひとつの証拠、といえるほどのものではないのですが、ひとつのデータが得られたので報告します。
私は毎年、私の勤務する大学の学生に対して、次のような質問をして回答を得ています。
[質問] 人の暮らし方にはいろいろあるでしょうが、次にあげるものについて、あなたの気持に最も近いものはどれでしょうか。
@ 一生懸命働き、金持ちになること
A 真面目に勉強して、名をあげること
B 金や名誉を考えずに、自分の趣味に合った暮らし方をすること
C その日その日、のんきにクヨクヨしないで暮らすこと
D 世の中の正しくないことを押しのけて、どこまでも清く正しく暮らすこと
E 自分の一身のことを考えず、社会のためにすべてを捧げて暮らすこと
実は、この質問は文部省統計数理研究所が「日本人の国民性調査」として5年おきにアンケート調査を行っているなかのひとつの設問を借用したものです。
私の目的は、、統数研の調査とは異なり、調査そのもの・調査の結果そのものに関心があるのではなくて、この設問にある一つひとつの質問項目のように、主観的でかつ比較し難い事柄に選好順位をつける方法(具体的には一対比較法)を学習するための題材として使用しているものです。 従って、質問形式は上にあげたのとは若干異なります。 (本来の目的とは違うことに、しかも無断でこの設問を使ってきて、ごめんなさい。統数研にお詫びします。)
![]()
とはいっても、その結果には私自身が興味をもっているので、これまで結果の記録だけはとってきました。
右の図が、最近6年間のその結果の一部をグラフにあらわしたものです。調査は、毎年10月中旬に、大学2年次生に対し、人数は年度によって違いますが、最小70名、最大141名(うち女子学生は毎年20%程度)に対して行ったものです。グラフでお分かりのように、2000年度まで一貫して減少してきた@とAの合計(「金持ちになること」あるいは「名をあげること」)への回答比率が2001年度に急上昇し、BとCの合計(「趣味に合った暮らし」あるいは「のんきに暮らす」)の回答比率を追い越しました。
これはまさに急激な変化といわねばならないでしょう。
参考までに、2000年度と2001年度の数値を下表に掲げておきます。
人の暮らし方
年度 2000 2001 % @金持ちになる 11 28 A 名をあげる 2 21 B趣味に合った 59 33 Cのんきに暮す 24 8 D 清く正しく 3 10 E社会のために 1 0 合計 100 100 もちろん、この数値は地方の一私立大学の、しかも僅かな数の学生に対する調査ですから、断定的なことはいえません。たまたま今年、2001年のデータが異常なのかもしれません。米国同時多発テロや日本の狂牛病騒ぎが心理的に影響しているのかもしれません。
しかし、若者の意識が”自己中心”志向から”金銭・名誉などの現実”志向へと急激に変わりつつあるように思えてなりません。 来年も、もし同じ傾向が見られるとすれば、確かに何かが若者のなかで変わってきているといえるでしょう。
- [第五十八講]9.11テロは予測できなかったのか(2002/01/27)
- 昨年(2001年)9月11日の米国同時多発テロによって、ニューヨークの世界貿易センターが崩壊した事件は、その日を境に世界が変わってしまったといわれるほど、大きな衝撃を世界中に与えました。
それに関連して、最近、興味ある評論を読んだので、紹介します。これは「史上最悪の日」と題して、アーノルド・バーネットという人が書いたものです。バーネット氏はMITの教授で、長年にわたり航空安全について研究してきた人で、多くの航空会社や連邦航空局のコンサルタントとしても活躍しています。
この評論のなかで、バーネット氏は「このカタストロフィ(大災害)は予測できなかったのか?」と、疑問を投げかけています。
このようなことは誰も想像できなかった、といわれるがそうだろうか、われわれには本当にそのようなことを予測する想像力が欠如していたのだろうか。
彼によると、1990年代だけでも次のように多くの事件が起きているといいます。
・1994年 エッフェル塔を破壊する目的で、エールフランス機がテロリストによってアルジェでハイジャックされようとした。計略は失敗したが、3人の乗客の命が失われた。このように歴史を振り返ってみると、世界貿易センターの悲劇が起こるのは時間の問題だった、というのがバーネット氏の考えです。
・1998年 会社に不満を持つフェデックスの従業員が、会社の航空機をハイジャックし、メンフィスの本社に突っ込もうとした。
・1996年 エジプト航空機がハイジャックされ、ハイジャック犯人を含め3ケタにのぼる死者を出した。
・1994年 中国本土でも、同様な事件が起こった。そのほか、1990年代後半に自殺志願のパイロットによって航空機が墜落させられた事件が2件あった。
また、1995年1年間にアジアから米本国に帰ってくる飛行機のうち、1ダースにのぼる数がテロリストによって破壊されようとした。それらの航空機はかろうじて、文字通り最後の1分間でその計略を回避することができた。
1.航空機を武器として使用しようとする考えこの3つがそろえば、世界貿易センターの悲劇は起こり得るわけで、上にあげた事例にそのいずれかが、すべて現れているからです。
2.コックピット内の自殺志願者の存在
3.何千もの無実の人たちを道連れにしようとする意志警告的な事実を持ち出しても、その意味するところを理解しないのが人間というものだ。考え及びもつかないことを考えることができないという理由で、われわれは自分をののしってはいけない、とバーネット氏は述べています。
では、こうしたカタストロフィはどうしたら防ぐことができるか。
バーネット氏は暫定的な提案をいくつかしていますが、やや専門的になるので割愛します。ひとつだけいえば、そのなかにセキュリティ・チェックの厳正化があることは確かです。
9月11日以前の、アメリカの、特に国内線のセキュリティ・チェックがいかにいい加減(sloppy)で、思慮のない(thoughtless)ものであったか、バーネット氏は自分の体験を語っています。
9月10日の夕方、私はシアトル行きの飛行機に乗ろうとボストンのローガン空港にいた。ボーイング社に招かれて、「航空安全:黄金時代の終わり?」という題で講演するためだった。
セキュリティ・チェックで私の手荷物(ラップトップ・パソコンやCDプレーヤー、その他ワイヤーなどが入ったバッグ)が金属探知機を通過しようとした時、ブザーが鳴り、"search(検査せよ)" の文字が画面に現れた。しかし、誰もその荷物を検査しようとしなかったし、私も何も言わずにそこを通過した。
9月11日の講演を終わり、私はソルトレークシティ、アトランタ、プロビデンスを経由して、52時間かけてやっと我が家にたどり着くことができた。参考文献
Arnold Barnett "The Worst Day Ever" OR/MS Today, December 2001 (pp.28-31) published by the Institute for Operations Research and the Management Sciences(INFORMS).
- [第六十講]アマルティア・セン『貧困と飢饉』を読む(2002/02/17)
- 標題と直接関係がありませんが、まず最近のニュースから話を始めましょう。
アフガニスタンのカブール空港で2月14日夕、メッカ巡礼への出発が遅れていることに激高した多数のアフガン巡礼者が暫定政権の航空・観光相を取り囲んで撲殺したというニュースです。
巡礼者たちは、サウジアラビアのビザ発給が遅れ、空港で長時間待たされ、凍死者も出る状況の中で、航空・観光相がインドの家族に会うために航空機を一人で利用しようとしたことに怒りを爆発させたものだということでした。
後日の記事では、実は航空・観光相は他の政府高官によって暗殺されたのだ、といいます。いずれにしろ、私の関心はそれとは別なところ、すなわち、そのとき3000人に及ぶ巡礼者が空港で航空機を待っていたという、そのことです。その人数の多さに、です。
そういえば、2、3日前の新聞記事に、メッカ巡礼のためアフガニスタンからサウジアラビアに向かうはずの1万5000人がビザ発給の遅れのために出発できない恐れが出てきたとありました。
巡礼はイスラム信者の一生に一度の大事な行事で、この人たちは1500ドルという大金を既に払込済みだとのことです。そのときも、1万5000人という数に驚きました。あのアフガニスタンで、戦禍も癒えない苦難の状況の中で、これほど多くの人たちがメッカ巡礼に出掛けようとするとは、その信仰心の強さは、私にとって大きな驚きです。
一方でまた、今もなお数十万の難民が国外の難民キャンプで生活していることでしょう。
まだ戦いの最中にあって、多くの人たちが苦難の果てに国外に逃れていた頃、それすらもできない人たちが国内で難民化しているということを知り、心を衝かれた記憶はいまだに鮮明です。私の言いたいことは、次のようなことです。
アフガニスタンはおそらく世界でも極貧国に位置づけられるでしょう。そのような国にあっても、人間として最低限ぎりぎりの生活水準に置かれている人ばかりでなく、何とか工面してでも巡礼に出ようとする人もいるのです。逆も真なり。ほとんどの人が生活していける経済状況にある国にあっても、人間として最低限以下の、何か少しでも異変があると、たちまち飢餓の状態に陥る水準にある人も少なからず存在するという事実です。
それは、何も驚くことではない当たり前のことです。にもかかわらず、上のようなことに私が驚くのは、極貧国には貧しい人ばかりと思い込んだり、統計数値の、特に平均値ばかりに注目する私の貧弱な発想に由来するのでしょう。
そのことを心におきながら、アマルティア・セン『貧困と飢饉』を、いま、読んでいます。
2年程前に購入していながら、今日まで本棚の片隅に放置してあったものです。
そして読み始めて魅入られてしまいました。これは、まさに衝撃の書です。最近、これほどまでに深く私の心を揺さぶった本はありません。著者のアマルティア・セン氏は、1998年のノーベル経済学賞を受賞したインド生まれの経済学者です。この『貧困と飢饉』の原著は、実は20年前の1981年に刊行されています。
「人はなぜ、飢え、餓死するのか」
それは、食料が不足するからか。セン氏は、貧困を「権原(entitlement)」という概念を用いて分析し、飢餓と飢饉の究明へと議論を進め、ベンガル大飢饉、エチオピア飢饉、サヘル地域の旱魃と飢饉、バングラデシュ飢饉の事例について研究しています。1943年のベンガル大飢饉では、150万人とも300万人ともいわれる人が飢えと伝染病のため亡くなったといわれます。
その年あるいは前年に発生したサイクロン、洪水、かび病害、戦争による分断などが原因で、「平常時に利用可能な総供給量に比べ、ベンガルでの消費可能な米の総供給量が大幅に不足した」とする説に真っ向から反論しています。そうではなくて、戦時経済の全般的インフレ圧力――軍事および民間の、類をみない規模の建設工事による――によって、漁民、運輸業労働者、籾摺り、農業労働者など最下層の人たちの権原(購買能力)が奪われたためであり、米の総生産量が落ち込んだだけが原因ではないことを明らかにしています。
1972〜74年のエチオピア飢饉では、エチオピア北東部の旱魃によってこの地域の農民や遊牧民が飢餓に陥りましたが、エチオピア全体としては決して食料供給量が異常に低下した証拠はありませんでした。
そして、ここでは穀物の価格もほとんど上昇しませんでした。にもかかわらず、農民や遊牧民はなぜ飢えたか。
農民は自らが消費する穀物すら生産できず、土地や家畜を売って穀物と交換しようにも土地や家畜の値段の急激な落ち込みによってほどんど売ることができない。旱魃の状態で土地を買う人はいないし、肉は穀物ほどには生きていく上で必需品ではないからです。
同じ理由で、遊牧民は、家畜の穀物に対する交換条件の悪化、更にその地域での商業的農業の成長によって伝統的な乾季の放牧地を失ったことが重なって、彼らは食料を手に入れる手段を失ってしまったのです。
旱魃で打撃を受けた牧畜民は、市場メカニズムによって殺されたのである、とセン氏は述べています。旱魃、洪水など自然災害によって食料供給量が不足し、1人あたりの供給量が低下する場合に飢饉が起こるというのではなく、誰が、どこで、なぜ死んでいったか、それを理解することこそが飢饉の解明の鍵である、というのがセン氏の主張です。
単にどのようにして国内に食料をもたらすだけでなく、被災者がどうすれば食料を手に入れられるかにも関心を払う必要がある。旱魃と経済的困難の影響を最も強く受けた人々が、経済のさまざまなメカニズムを通じて食料を手に入れる能力をもてるような方法を考案する必要がある。平均的・総体的思考だけでは、何の役にも立たないし、いつまでも同じ失敗を繰り返だけだということを教えられました。
商品作物栽培の増加は、その国の全体的な稼得能力を強めたが、特定階層の交換権原の低下を招いたと見られる。
この本はまだ読み終わってないのですが、今、どうしても書きたくて急遽、講義しました。読み終わって、また別の考えが生まれたら、そのときこの問題をもう一度考えてみます。文献
アマルティア・セン著、黒崎卓・山崎幸治訳『貧困と飢饉』岩波書店、2000.
ホームページへ戻る