日曜講義4

藤恒教授の日曜講義4


[第四十二講]再び、トルシエ監督のこと (2000/11/05)
[第四十五講]計算組織科学 (2001/01/21)
[第四十六講] プロジェクトXを視聴して(2001/02/12)
[第四十九講]CMM(能力成熟度モデル) (2001/05/03)

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[第四十二講]再び、トルシエ監督のこと (2000/11/05)

サッカーのアジアカップは先月29日に閉幕し、日本は二度目の栄冠を手にしました。
トルシエ監督の評価も一段と高まることでしょう。

これに関連して、先日、興味深い新聞記事を目にしました。
トルシエ監督の「選手操縦法」として、監督独自のコミュニケーション方法がある、というのです。(中国新聞2000.11.1号)

早朝、ホテル前のビーチでの散歩でトルシエ監督が突如、怒り出した。ある選手が素足に靴をはいていたのがきっかけだった。「マメができたらどうする!」さらに怒りの矛先は全員に向けられた。「散歩前に食べろと言ったクラッカーを食べてこない選手がいる。そんなプロ意識では戦えない。そんな君達とはもうやっていけない!」

この記者がいうには、数十分の散歩でマメはできないし、クラッカーを食べなくても余り影響はない。
にもかかわらず、監督がこのように言うのは、好ムードにあおられて生じた気持の緩み、これくらいはいいだろうという日本人的な慣れ合い・・・・・。こうしたマイナス要因にトルシエ監督は敏感なのだといいます。

私も同じように思います。
私は日頃、次のようなことを心掛けています。
仕事でも日常生活でも、好調のときは慎重に、不調のときは大胆に、行動すること。
実は、これは大変難しいことです。調子がいいときは得意になって舞い上がっていまい、調子が悪いとどーんと落ち込んでしまう。
そうして、取り返しのつかない大失敗をしでかしたり、せっかくのチャンスを取り逃がしてしまったりしたことが、これまでに何度あったことでしょう。

企業経営にも同じことが言えるでしょう。
バブルに舞い上がって大借金してしまった企業、バブル崩壊後萎縮してしまい、大きなチャンスを外国企業にさらわれてしまった企業。

ところで、トルシエ監督のこの早朝の怒りについて、もう少し突っ込んで考えてみましょう。
チームが好ムードにあるから、その気持の緩みを引き締めるために、監督がこのように言ったのではなくて、彼はチームの好、不調にかかわらず、選手のこのような行動を目にするとき、常にこのように叱るのではないか。

つまり、トルシエ監督という人は原理原則、いったん取り決めたルール、には徹底して忠実であろうとする人ではないか。
「これくらいはいいだろう」ということは、決していわない人なのではないか。
上の記事を書いた記者も言うように、素足に靴をはいても数十分の散歩くらいではマメはできないでしょう。しかし、「素足に靴をはいてはいけない」という原則・ルールに反している。原則やルールに反したことは、たとえ小さなことであってもやってはいけない。これがトルシエ監督の考えでしょう。

「これくらいはいいだろう」の「これくらい」はどのくらいか。それを個人が勝手に決めてはいけない。それを許せば、限りなくその許容範囲は広がっていく危険性があります。
その典型は、昨年9月30日に起きた東海村核燃料施設JCOの事故です。その事業所での核燃料の取扱いが「これくらいはいいだろう」のマニュアル違反であり、そのマニュアル自体が国の定めた規準に対する「これくらいはいいだろう」の違反マニュアルだったということです。

トルシエ監督が原理原則に忠実であるのは、彼が確固とした哲学をもつ人だからといえます。自らの哲学に照らし、サッカー競技の作戦とその遂行においても、日頃の練習においても原理原則を貫き通すことのできる人のようです。
いかにもフランス人らしいフランス人、という風に私には見えます。日本人である私は、彼の試合運びや言動に触れるたびに、大いに見習わなければならないと思うのです。


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[第四十五講]計算組織科学 (2001/01/21)

計算組織科学、計算論的分析を主な道具として組織を研究する研究分野、が注目を集めています。英語では、computational (and mathematical) organization theory (CMOT)といいます。

このアプローチは、その名の示す通り、人工知能、エージェント・ベースのシステム論、あるいはシミュレーションなどの手法を用いて、組織を対象に研究するものです。
組織は複雑な構造をもち、ダイナミックな動きをするものですが、これを本質的に「計算可能な」ものであると考え、複雑ではあっても一種の適応性ある情報処理システムであると考えることができます。
計算論的には、複数の情報処理エージェントが、自分が組み込まれているネットワークのなかで、他のエージェントと相互に作用、制約、支援しているのが組織であるとみなします。

ここでエージェントとは、それぞれが異質の知識やスキル、学習能力をもった自律的な情報処理単位、つまり、人間やチーム、ロボット、組織そのものなどを指します。 こうしたエージェントたちが情報を取得したり、操作したり、生成、伝達、検索したりしているマルチエージェント・ネットワーク・システムが組織だというわけです。
それらの行動により組織の構造や行動が特徴づけられ、また同時に組織からエージェントの行動も影響を受けると考えることができます。
しかもそれらのエージェントはタスク志向で社会性をもっていますが、相互に利害が対立する場合も少なくありません。

この計算組織科学の目的は、次のようにまとめることができます。(キャサリーン M.カーリーによる)

(1) 組織化と組織、調整とリンケージ、通信と技術に関する新しい概念、理論、知識を構築すること
(2) 計算論的モデルを検証・分析するためのツールや手続きを開発すること
(3) 教育および経営を支援する計算論的組織ツールを開発すること

つまり、組織や社会の理論化を目指すだけでなく、組織や制度の設計という具体的な視点をもっているということに特徴があります。
すでにいくつかのツールやモデルが開発され使用されています。
たとえば、カーネギー・メロン大学のCASOS(Computational Analysis of Social and Organizational Systems)は、コンピュータを使用して複雑な人間行動および組織行動のモデル化と推論を行い、同時に人間に関する知識を利用してコンピュータ・エージェントを改良しようとする研究教育プログラムです。
また、スタンフォード大学のVDT(Virtual Design Teams)とその"what-if"分析のシミュレーション・ソフトウェア Vité はすでに商用化され、たとえば、今まで19ヶ月かかっていた製品開発期間を12ヶ月に短縮する組織改革案を2日間で導き出したといいます。

このような組織に対するアプローチが、果たしてどこまで組織の本質に迫ることができるか、予断を許しません。
しかし、CMOTの創始者のひとりであるキャサリーン M.カーリー(前述)の属するカーネギー・メロン大学は、1978年ノーベル経済学賞を受賞したH.サイモン、そしてマーチ以来、組織や社会システムの複雑な現象に関連したモデル化に長い伝統をもつ大学です。そこで、先達が果たしえなかったような問題解決に、その弟子たちが今日のIT(情報技術)の進展を目の当たりにして再び挑戦しようとしている姿に期待するものです。

最後に、若干の参考資料をあげて起きます。

『組織科学』Vol.34 No.2, 白桃書房 2000/12.
ORMS Today, Vol.27 No.6, informs, Dec. 2000.
また、この分野の学術雑誌もあるようです。(私自身は購読していません。)
Cmputational & Mathematical Organization Theory, ed. by Kathleen M. Carley & William A. Wallace, subscribed by Kluwer.

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[第四十六講] プロジェクトXを視聴して(2001/02/12)

NHK総合テレビで毎週火曜日の夜9時15分から放映されている「プロジェクトX――挑戦者たち」という番組をご存知の方も多いと思います。
昨年3月28日に第1回が放映されて以来、私は時間の許す限り、欠かさず視聴するようにしてきました。

先日、2月6日に第39回が放映されました。「男たち不屈のドラマ 瀬戸大橋」〜世紀の難工事に挑む〜 というものです。

この瀬戸大橋建設に挑んだのが、「不可能を可能にする男」と呼ばれた、天才技術者・杉田秀夫だった。猛烈な速さで潮の流れる瀬戸内海に、どうすれば巨大な橋台を建設できるのか、杉田は、前代未聞のこの難問に、果敢に立ち向かった。(http://www.nhk.or.jp/projectx/より)
そうして、18年の歳月を経て1988年、瀬戸大橋は完成しました。番組は、杉田秀夫さんが現場の責任者としてこの難工事に人生を賭けた闘いの記録です。
彼は、この工事が最難関に差し掛かった、まさにその時に最愛の奥さんを亡くします。彼には幼い3人の娘さんが残されました。 杉田さんはこの娘さんたちを育てながら、瀬戸大橋建設の難工事に挑むのです。

番組は、その最後で次のように述べます。

杉田秀夫は、人生で2つの大きな仕事を成し遂げた。瀬戸大橋と、そして、3人の娘を男手ひとつで育て上げた。
まったく、その通りです。
瀬戸大橋建設は、本当に大きな仕事で、プロジェクトの典型といっていいでしょう。
しかし、子を育てるのも、またひとつの大きなプロジェクトなのだ、ということを教えられます。

瀬戸大橋建設は、その完成という目標と期限が明確に定められ、膨大な資源――資材、設備、資金――が、そして多くの人員と知識が、短期間に集中的に投入されなければなりません。
マネジャーには、与えられた業務をこなすというのではなく、真の顧客は誰かを見据えてその要求を満たすことこそプロジェクトの目標であるとの認識がなければなりません。

そのマネジメントには、通常の経営管理、年々・日々繰り返されるルーチン・ワークの管理とはまったく異なった発想と方法が必要です。マネジャーは想像を絶する緊迫感のなかの集中力が要求されます。
「プロジェクト」は例外なく、先例のない新しい仕事の連続です。逆にいえば、今までにない新しい仕事に取り掛かろうするとき、今までのやり方を変えようとするとき、プロジェクト方式がとられるといってよいでしょう。

つまり、プロジェクト・マネジメントは革新のための管理である、というのが私の考えです。
私は以前、『プロジェクトによる経営革新』(ダイヤモンド社、1994)という著書のなかで、すべての業務を――それがどれほどルーチンな業務のようにみえようとも――それを「プロジェクト」して捉えるところから経営革新が始まると書きました。
日常の小さな業務でも、その目標と期限を定め、自分なりに顧客を想定し、その満足を得るために努力を集中するのです。それによって、今まで見えなかったような局面が見えて来、やり方を改善できる可能性が出てくると思うのです。
Management By Projects 「プロジェクトによる管理」というわけですが、これでは売れないのではないかということで、表題のようになりましたが、やっぱりあまり売れなくて、現在、絶版です。

杉田さんは「3人の娘を育て上げる」という偉大なプロジェクトを完遂したのだといえます。
唐突ですが、「家庭介護」ということも、それをひとつのプロジェクトとして捉えてみると、新しい局面が見えてくるかもしれません。「近所付き合い」ということもそうではないでしょうか。「夫婦関係」、「親子関係」のあり方もプロジェクトと考えてみたら、どうなるでしょうか。

NHKテレビ番組「プロジェクトX」は、そしてそのなかの杉田秀夫さんの生き方は、私の生活に新しい光を投げかけてくれました。

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[第四十九講]CMM(能力成熟度モデル) (2001/05/03)

「ものつくり」にかけては世界に冠たる日本も、ソフトウェア生産の面では米国などにはるかに劣り、それが日本経済の停滞の一因となっているといわれます。
確かに日本の製造業は、JIT(Just In Time)やTQC(Total Quality Control)といった優れた経営手法を編み出し、それらは世界中の企業で取り入れられました。

ところがどうでしょうか。ソフトウェア開発の面では、依然として”力ずく的”な(あるいは、英雄的なというべきか)プロジェクト遂行と、出来あがっても保証の限りでないシステム品質とに悩まされつづけています。

最近、このソフトウェア開発の世界でCMM(Capability Maturity Model、能力成熟度モデル)という方法が注目を集めています。
これは、ソフトウェア開発プロセスの成熟度、つまり開発にかかわる組織の能力を評価するための客観的な手法です。アメリカ国防省がスポンサーとなってカーネギーメロン大学に設置されたSEI(Software Engineering Institute、ソフトウェア工学研究所)が10年程前に開発したもので、現在ではソフトばかりでなくハードウェアを含むシステムの開発、更に統合的な製品開発全体を全社的観点から改善しようとするCMMI(CMM Integration 、CMM統合)へと発展しています。

CMMIの目的は

製品とサービスの開発、取得、および保守の管理に関する組織のプロセスと能力を改善するための指針を提供することである。CMMIは、組織の成熟度と能力を事前評価し、改善のための優先順位を定め、こうした改善の実施を導くための実証済みのプラクティスの体系である。(SEI)
ソフトウェアプロセスで行うべき管理項目――たとえば、要件管理、プロジェクト計画など――をキープロセスエリアとしてリストアップし、これらをどの程度満たしているかによって、プロセスの”成熟度”を「レベル1」から「レベル5」までに分類しています。組織は、この基準にもとづいて自己のソフトウェアプロセスを評価することができ、改善への方向づけが得られるというわけです。

この成熟度の5レベルは
1. 初期(Initial)――場当たり的、プロジェクトの成功は個人の努力に依存する。
2. 反復できる(Repeatable)――基本的なプロジェクト管理プロセスは確立されている。
          成功経験を反復するための規律がある。
3. 定義された(Defined)――組織の標準プロセスが文書化、標準化、統合化されている。
          プロジェクトが横断的に管理されている。
4. 管理された(Managed)――プロセスも成果物も定量的に計測、管理されている。
          能力の予測可能性が高い。
5. 最適化(Optimizing)――革新的な技術等によって継続的なプロセス改善ができる。
          欠陥を予防する手段をもっている。

米国でも、多くの企業はレベル2、あるいはせいぜい3であり、レベル4あるいは5は極めてまれであるといわれています。
CMMは、ソフトウェアの開発あるいは調達にかかわる組織がそのマネジメントにどのような努力を注ぐべきか、その優れたロードマップとなり得ることは確かであると思われます。

日本でも最近、経済産業省が中心となってCMMを導入しようという動きがあります。
中央および地方の政府機関では今後、ソフトウェアへの膨大な投資が予想され、現在のソフトウェア開発・調達の現状に政府は危機感を抱いており、CMMに注目するのは当然であるといえます。

我が国のユーザー、ベンダー双方における熟度の低いソフトウェア開発・調達プロセスは、結果として開発進行中の度重なる要件変更、不適切なソフトウェア資源の選択による非効率なIT投資、不透明な価格設定、品質そのものに対する信頼度の低下を惹起している。(経済産業省情報処理振興課)
ただ、私にひとつの懸念があります。 『日経コンピュータ』によると、政府は今後一定の規模のシステム調達をする際に、このCMMを利用しようと考えているとのことですが、そのなかに次のような記事がありました。
まず、政府機関のシステム調達案件に応札できるITベンダーをCMMの認定を取得しているところに限定します。ここまでは別に問題ではありません。
そして、適当なベンダーを選定、発注し、システム納入後、資格ある”エバリュエータ”にそのシステムを評価させ、問題があればそのITベンダーのプロジェクト・マネジャーや下請け企業のマネジャーなどをブラックリストに掲載し、一定期間は応札できないようにする、というものです。

この後半部分に私は懸念をもちます。CMMは確かに、自組織のプロセス改善に役立てるためであると同時に、外部審査のためにも使うことができます。
しかし、それはプロセス(開発過程)を評価するためであって、リザルツ(開発結果)を評価するものではないと理解します。優れたプロセスは優れた結果を生むであろうと期待することはできますが、現実にどのような結果が得られるかは、ベンダー側の開発プロセスにのみ依存するとはいえないでしょう。
日本の現状は、ユーザー側の、特に要件定義と管理の不十分なことに起因する多くの失敗例があることを私たちは知っています。
納入されたシステムにユーザーがクレームをつける権利をもつことは、もとより当然のことです。けれども、そのこととCMMを使うということは別のことだと思います。

政府機関を始め、ユーザーもまたCMMの成熟度レベルを上げていく努力が求められるのではないでしょうか。

参考
・SEIのホームページ
・ソフトウェア技術者協会のホームページ――ここからSW-CMM ver.1.1の日本語版が無償ダウンロードできます。
・『日経コンピュータ』2001.4.23号、48〜53ページ。
・経済産業省情報処理振興課「ソフトウェア開発・調達プロセス改善協議会について」(2001.1.31)

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