2.贄川から木曽福島まで
(写真をクリックすれば、拡大します)
6年振りに、木曽路を歩いてみようと決心して、出かけました。今回は、木曽路11宿のうち、上木曽と呼ばれる贄川宿から福島宿までです。
ただし、北から南へ(江戸から京へ)、あるいは南から北へ(京から江戸へ)の順路に従うのではなく、ある時は南から北へ、またある時は北から南へと、3日間をかけて行路をつなげるものです。
というのは、ここ木曽路へのアプローチに車を利用したので、最終日には出発日の宿まで帰ってこなければならないからです。
それでは、2013年の春4月、満開の桜を期待して木曽路に出かけましょう。
その前に、車で来る途中、贄川宿の手前3キロほどの国道沿いにあるという「是より南 木曽路」の碑にぜひ出会いたいと、目を皿のようにして運転してきました。
ありました! 見つけることができました。下左の写真が、それです。
6年前は馬籠宿の南にあった「是より北 木曽路」の碑にはお目にかかっているので、ぜひともこれを写真に収めたかったのです。
満開ではありませんでしたが、桜の木の下に静かに鎮座していました。
「是より木曽路」碑 碑近く奈良井川の流れ(1)奈良井宿から贄川宿へ(04/16)
茅野から国道20号線・19号線を経て、奈良井宿の宿泊予定の旅館に着いたのが、11時でした。車を旅館の駐車場に預け、いよいよ北へ向け歩き始めます。
頼りは、木曽観光連盟編『信州木曽路 中山道を歩く』という、実に詳細な案内図です。
案内図表紙 案内図内容の一部この地図に従って、奈良井川沿いの道を歩いて行きます。寒くもなく暑くもなく、快適な春の陽気のなか、桜並木の素敵な道なのです。
が、あいにく桜はまだ固い蕾のままです。今年の桜の開花は例年になく早いというのに、東京などではとっくに散ってしまったというのに、木曽路のこのあたりはよほど寒い土地なのでしょうか。少しばかり残念です。
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12時のチャイムが鳴り響くなか、川端に降り、コンビニで仕入れた弁当で昼食としました。目の前には木曽楢川小学校の木造の素敵な建物の中に、白衣の給食当番の児童の姿が見えます。まったく、春の陽気のなか、幸せな気分です。
間もなく、漆器の町 木曽平沢の街中に差し掛かりました。街道筋に建ち並ぶ豪勢な漆器店の家並みに目を奪われました。かつての繁栄振りを確かに偲ばせるものでした。
漆器店が立ち並ぶ平沢 押込の一里塚跡上の右写真は、中山道の随所にある一里塚跡の例です。
近くに「木曽くらしの工芸館」というのがあり、この地方の特産品の数々を展示販売しています。記念にと思って、本塗り夫婦箸を買い求めました。
ここから先、地図に従って、19号線に出たり旧道に入ったりしながら進んでいくと、地図上では「桜の宮のあと しだれ桜」があるとのこと。確かに見事な桜の木がありましたが、残念ながら、まだ開花していませんでした。
次に、樹齢1000年という「贄川の栃の大木」に出会いました。この、恐怖さえ抱かせるほどの巨大さ、そして生命力に圧倒されます。以前、屋久島の縄文杉に出会った時の驚きに劣らぬ感慨を覚えました。
贄川の栃の木(1) 同(2)贄川宿に着きました。贄川宿は木曽11宿のうち一番北(江戸寄り)の宿です。
街中のややこしい街路を抜けると、本陣跡は不明ですが、贄川関所の建物が保存してあります。
贄川関所 番所正面この近くのJR贄川駅に着いたのが、14:50。今日はここまで。15:04発の電車に乗り、奈良井まで帰りました。
まだ夕方まで時間があるので、木曽大橋を見に行きました。奈良井川にかかる総檜造の太鼓橋です。観光用の建造物と見受けしました。
また、街並みの随所に「水場」と称する小さな施設があり、冷たい水が常時、流れ出ています。よほど水の豊富な土地であることを感じさせます。写真は新しいものですが、かなり古いものもあります。
木曽の大橋 街中の水場奈良井の宿「伊勢屋」に帰り着いたのは16:10、総歩行距離約12キロでした。
同宿の、オーストラリア女性2人連れともカタコト英語で楽しく、美味なる山菜中心の夕食をいただき、明日に備えて早くに就寝しました。
(2)奈良井宿から藪原宿を経て宮ノ越宿へ(04/17)
8:10 曇り時々晴れの予報のなか、宿を出発。昨日と違って、今日は南行(京向き)です。
標高1196m の鳥居峠を越えなければならないので、いささか緊張気味です。昨夜、同宿の人に鳥居峠を越えて宮ノ越までの予定だと言ったら、いささか懸念の面持ちで見つめられたので、もし無理なら藪原まで、の心積りです。
奈良井の街並みが途切れる頃、右手の細い脇道、山道を登り始めます。石畳の道が続き、中山道らしい雰囲気を味あわせてくれます。つづら折りの道ですが、そんなに急登というわけではありません。
尾根道に出て、水場を過ぎると、あっけなく鳥居峠の上に出ました。9:30、標高差約250mの登りでした。かつてここに3軒の茶屋があったとのことですが、今はみる影もありません。
鳥居峠への石畳道 鳥居峠(H1197m)の標識鳥居もないのに、なぜ「鳥居」峠なのか?
案内地図の説明によると、
「戦国の昔、木曽義元が松本の小笠原氏と戦ったとき、この峠の頂上から御嶽を遥拝し戦勝を祈願した。その効あって勝利を収めることができたので、よろこんで鳥居を建てた。以来、鳥居峠と呼ぶようになった。」
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近くに立札があります。クマに出会う危険があるというのです。
指示に従って「熊除けの鐘」を鳴らし、さて旧中山道はというと、これは草に埋もれて歩けない。遊歩道の標識に従って明治になって開かれたという道をだらだらと進むうち、大きな石の鳥居のある神社に出ました(もしかして、これが峠名の由来?)。
鳥居が崩れる恐れがあるので近寄らないように、という注意書きがあります。
この神社の裏手に回ると、御嶽山が美しく見えるというので、そちらに廻りました。すっきりとした天気ではありませんでしたが、確かに、遥かに、かすかに御嶽山を遥拝することができました。
ここで、私たちとは逆に藪原から登ってきたという若いカップルに出会いました。
藪原に向かって下って行く道は、再び石畳です。藪原の鳥居峠入口の手前で昼食としました。下り標高差約200m。(宮ノ越宿までは、これから更に150m下ります)
藪原の街並みに入りました。道がなかなかややこしい。飛騨街道分岐点(追分)の少し手前、農機具か何かを修理している男性に通りがかりの挨拶をすると、「そこの水は美味しいから飲んでいけ」と勧められました。ここも奈良井と同じように通りにいくつか水場があります。
「水をのんでは 水をながめては 木曽は花ざかり」(山頭火)
山頭火といえば
「分け入っても 分け入っても 青い山」
という句がありましたね。これは木曽路のことを詠んだ句だとばかり思っていましたが、ネットで調べてみると、どうも違うらしい。彼の求道の句だという解説がありました。
御鷹匠役所跡、高札跡、高塀跡などが続き、また昔のままの古い宿の建物などあり、なかなか歴史を感じさせる街並みでした。
下の写真は、「米屋」という古い宿だそうです。この建物には、二階が出っ張っているという特徴があります。
古い宿屋の建物「米屋」 同じく「米屋」正面ところで、鳥居峠は南北を分ける分水嶺となっており、ここ藪原は太平洋へ注ぐ木曽川の最上流に位置します。鳥居峠北は奈良井川で、千曲川・信濃川となって日本海に注ぎます。
JR藪原駅に着きました。さて、どうするか、行くか、やめるか。まだ、12時過ぎです。
予定通り、宮ノ越まで歩くことにしました。地図上で、約8キロです。
旧中山道はところどころ消滅したりして通行不能ですから、主に国道19号線の歩道を行くことになります。トラックが多く、こうした道を歩くのはどうしても好きになれません。
おまけに今日は風も強い。ただひたすらに歩くのみです。ところどころで旧国道に入ると、ホッとします。
吉田洞門に差し掛かりました。歩道はこの洞門の外側、川沿いにつけられており、助かりました。この洞門のなかを歩くのは、とてもじゃないが遠慮したい。
さて、次は山吹トンネル334mです。これはトンネル内を歩くしかありません。歩道があるだけでも幸いです。死ぬ思いで通り抜け、山吹橋を過ぎると、木曽義仲館の大きな看板があり、ここでやっと国道19号線と別れを告げ、旧道に入ることができました。
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JR中央線のガードをくぐると、木曽川の巴渕に出ました。青く澄んだ深い渕の水が印象的です。
巴渕の名は、巴御前に由来します。巴御前はここに住む竜神の化身だったとか。
ひなびた集落のなか、そして田んぼの中の道を過ぎ、徳音寺というお寺に着きました。義仲の菩提寺です。ここに、お目当ての桜があるはずです。
残念ながら、まだ二三分咲きでした。
写真中央「徳音寺境内の桜」の中の乗馬姿の銅像は、巴御前です。
木曽川にかかる義仲橋のたもとに「巴の桜」と書かれた札の下がった桜の木がありました。なぜ、「巴の桜」なのか、その由来は知りません。
徳音寺参道の桜 徳音寺境内の桜 「巴の桜」と木曽川徳音寺からまっすぐ先にJR宮ノ越駅が見えます。その途中、大きな義仲館という展示館がありました。ここ、宮ノ越はいたるところ、義仲と巴御前の名に溢れています。
JR宮ノ越駅に着いたのが、ちょうど15:00でした。ここから、今夜の宿を予約してある木曽福島まで電車で行きました。
JR木曽福島駅に着いたのが15:33で、夕食までの時間を利用して福島の街中の一部を散策しました。駅前の宿もJR駅も崖の上にあり、市街と木曽川が広く眼下に広がっています。
駅坂を下り、市街に差し掛かり、明日歩く予定のない行人橋の方に向かうと、川向こうに白い十字架が見えます。教会だろうとは思いますが、古い建物でよくわかりません。そばに見事な桜の木があり、こちらはもう八分咲きです。出かけてみることにしました。
こちらの岸辺も崖になっており、その崖を十字架をめざして登っていくと、たしかに「福島教会」とありましたが、どうみても使われているように見えません。桜を入れて写真を撮り、また崖を下りて行きました。
行人橋から見る木曽川沿い商家裏の並びが面白い。あとで案内図を見たら、これが崖屋造りといわれるものだそうです。
福島教会と桜 崖屋造り商家の家並み旅館に引き返し、木曽路歩き第2日目を終わりました。総歩行距離約17キロでした。
(3)福島宿から宮ノ越宿へ(04/18)
今日が今回の木曽路歩き最終日で、昨日電車で通った宮ノ越まで歩きます。天気も晴れ時々曇り、風も昨日ほどではなく、快適な一日になりそうです。
木曽福島は昔から木曽路中最大の町で、関所跡をはじめ見どころいっぱいです。まずは市内をゆっくり見学します。
昨日とは違って今日は中八沢橋を渡って市内に入ります。途中、古い井戸があったり、奈良井にあったような水場、そして高札場があって、「上の段」と呼ばれる古い街並みに差し掛かります。
高札場あと 山村代官屋敷ここから、まずは山村代官屋敷に向かいます。
山村氏は、江戸時代木曽地方一帯を支配した尾張藩の代官で、福島関所の関守でした。屋敷内に入るには入場券が要ります。ここと興禅寺、関所跡の3ヶ所入場のセット券で900円でした。
屋敷内に伝来の品物の数々が陳列されており、古地図、通行手形、特に女通行手形など、古文書に関心のある私にとって興味あるものでした。
ここから興禅寺へ廻ります。木曽家代々・山村家代々の菩提寺で、木曽義仲の墓があるとのことですが、お目当てはしだれ桜と庭園です。
しだれ桜は満開ではありませんが、咲いていました。それもさることながら、現代作庭家重森三玲の手になる枯山水の広い庭が実に見事なものでした。看雲庭と呼びます。
興禅寺のしだれ桜 興禅寺看雲庭ここからまっすぐ南へ、木曽川にかかる関所橋を渡ると、すぐ目の前の崖の上が福島関所跡です。
関所は木曽川からそそり立つ崖の上の狭い場所に建てられ、一旦、有事の際はこの関所を封鎖すれば、まずは中山道の通行を遮断できるということがよく理解できました。展示してある「関所全景ジオラマ」を見れば、そのことが一層よくわかります。
ここから江戸方面へ向かって坂道を下ると、大きな関所門(鉄骨製)をくぐり、19号線に出ます。
関所橋からみる木曽川 番所前の中山道通りと門 関所の番所前19号線からまた旧道に入り、木曽大橋(この木曽大橋は近代的な大橋)をくぐって、また19号線へと出る。すると間もなく右手に芭蕉の句碑がありました。
「思い立つ 木曽や四月の 桜狩」(芭蕉)
沿道のコンビニで今日の昼食の弁当を買い求め、上田口交差点からまた旧道に入ります。
義仲・巴が勉学のため建てたという「手習い天神」を過ぎ、しばらく行くと、網目鉄板を張った、ちょっと危なげな面白い橋に差し掛かります。対岸を見ると、見事な桜が一木、咲いているのが見えます。そこで、昼食をしようと決めました。ちょうど正午12時でした。
面白い橋と桜の木昼食後、快適な草道を行き、旧道に出ると小沢バス停とあるあたりから、右手に雪をかぶった中央アルプスの連山が姿を現しました。
実に見事です。土地の人に聞きましたら、山脈の右手奥の一番高い山が木曽駒ヶ岳(H2956m)とのことです。
この山並みが、しばらくは何の変哲もない道を「暑い、暑い」といいながら歩く私たちを慰めてくれました。
中央アルプスの山並み 中山道中間地点の標識途中、中山道中間点という案内標がありました。
このあたりは、木曽路にして広く開けて、田畑が広がっています。間もなく、宮ノ越宿に入りました。
JR宮ノ越駅に着きましたが、奈良井に帰る電車はあと1時間半ほど待たなければありません。そこでまた、昨日の徳音寺を訪れました。気のせいか、桜も昨日よりもっと開いているように見えました。
宮ノ越駅から電車に乗り、2日前に泊まった奈良井の宿に帰りました。
宿の夕食では、またまた外人女性と隣席になりました。今度はイギリス娘です。会話も弾みました。この木曽路は、なぜか歩き外人が多い。
本日の総歩行距離は約10キロ。
この3日間で上木曽全行程、贄川宿――奈良井宿――藪原宿――宮ノ越宿――福島宿、とつないだことになります。
下木曽路は、秋に歩く予定です。
(4)木曽奈良井から高遠城址へ、杖突峠を越えて帰る(04/19)
せっかくここまで来たのだからと、高遠城址へコヒガンザクラ見学と洒落込みました。
奈良井から権兵衛トンネルを通り、高遠までそれほど遠くはありません。コヒガンザクラはもう散り始めていました。
ここから国道152号線、杖突峠を越えて帰りました。
杖突峠は、来るとき通った塩尻峠とともに信州三大景観とよばれる景観の素晴らしい峠です(もう一つは、姥捨峠)。
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