1.馬籠から妻籠へ
馬籠宿から妻籠宿へ(2007/09/17〜18)
急に思い立って、旧中山道を少しばかり歩いて見ようと出かけました。
初日17日は馬籠宿から落合宿に向けて十曲峠まで4キロ足らず(標高差70m)を往復、2日目18日は馬籠峠を越えて妻籠宿まで約8.5キロ(標高差登り195m、下り210m)を歩きました。
(1)午前11時、今夜宿泊予定の民宿但馬屋の駐車場に駐車させてもらい、さっそく馬籠宿の古い町並みを散策します。石畳の、緩やかに傾斜した一本道の両側600mにわたって、宿屋、お菓子屋、食事処、お土産屋などが軒を連ねています。
宿場町は脇道が許されなかったとのことで、建物は原則、この一本道の両側のみだそうです。この通りには電柱が1本も見られません。林立する電柱とクモの巣のように張り巡らされた電線によって景観を台無しにしている町並みの多い日本にあって、これは特筆すべきことでしょう。
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それにしても、この人の多さはどうでしょう。東京渋谷もかくありなんというぐらい、通りは混雑しています。
考えてみれば、今日9月17日は三連休最後の休日でした。
折角ですから、木曽馬籠脇本陣資料館に入って、少しばかり勉強しました。人の数は少なく、冷房が快適でした。
昼食に蕎麦で腹ごしらえした後、落合宿の方に向かって歩き始めます。水車小屋、枡形、常夜灯を過ぎ、橋を渡って諏訪神社に差し掛かる頃、もうまったく人影はありません。歩いているのは私たちだけです。
道はゆるい下り道ですが、何しろ暑い。9月も半ばを過ぎたというのにこの暑さは何だ、とぼやきながら歩いていきます。正岡子規の句碑、芭蕉の句碑などをちらりと見ながら通り過ぎて行くと、小さな池のなかに見事な蓮の花が咲いていました。この土地の人が自分の楽しみのために作られたと思われる池ですが、このように道端にあるので私たちも楽しませていただきました。
道端の池の蓮の花 「是より北 木曽路」碑道は杉林のなかに入り、一里塚が、そして「是より北 木曽路」の碑が、見えてきました。この碑は落合方面からはいる人のためのもので、島崎藤村の筆になるものだそうです。
間もなく十曲峠の石畳道に着きました。立て札があります。
木曽路石畳道
「定 この道石畳遊歩道につき 車単車進入せざること 平成十七年十月 中津川観光奉行」
これをスケッチし、来た道を馬籠まで引き返しました。
宿の豪華な夕食を楽しんだのち、早めに寝に就きました。
(2)朝食は7:30とのことでしたので、早めに起きた私は外に出てスケッチの題材を探しましたが、やはりこの宿屋が風情があってよろしいということで、写生を始めました。
馬籠宿の朝
昨日と違って、朝早いせいか、人っ子一人歩いていません。道端に座り込んで、ゆっくりと描くことができました。
朝食を済ませ、宿の主人から妻籠の情報などもらい、8:30に出発しました。
まずは馬籠峠へ向かって登りです。馬籠の町を外れるころ、飲料を何も持ってきていないことに気が付きました。すでにもう、かなりの暑さになっており、このぶんでは昨日に劣らない猛暑になると予測されます。「まあ、いい、どこかに自販機ぐらいあるだろう」と高をくくって歩いて行きましたが、これがとんでもない見込み違いでした。
自販機など置いてあるような道ではない、と進むほどに思い知らされました。のどが渇いて仕方がない。飲料を忘れるとは、山の愛好家というも恥ずかしい。でも、峠まで行けば茶屋もあるだろうし、自販機もあるだろうと、頑張ることにしました。
峠に差し掛かる頃、道の脇の民家で、山から引いた水で野菜を洗っている女性がいました。
たまらず「おかあさん、その水は飲めますか」と問うと、
「この水は出水じゃないから、飲めません」とつれないご返事。
「のどが渇いて仕方がないんですけど」
「それじゃ、家の水をあげますから、入っていらっしゃい」
というわけで、家の中に入り込み、コップ一杯の水をいただきまた。その水のおいしかったこと。
おまけに、「これを持って行きなさい」というわけで、朝採りのキウリ、トマト、ミニトマトをいっぱいいただきました。さらに、ナスまでもらってしまいました。
キウリ、トマトは飲料水を持参しない私たちにとって、本当にありがたいものでした。
私は、四国遍路のお接待のことを思い出していました。疲れきって歩く私たちお遍路にとって、地元の人たちの温かいお接待がどんなに勇気づけてくれたことか。
馬籠峠(標高801m)に着きました。岐阜県と長野県の県境です。
飲料の自販機はありました。でも、「使用中止」の大きな張り紙。茶屋もドアが閉まったままです。やれやれと、いただいたトマトにしゃぶりつくことです。
そこへ、外人の男性と日本人女性の二人連れが私たちの後を追うように登ってきました。あと、下りのときのことですが、2組の外人グループに出会いました。そのうちの1組は多人数で団体ツアーと見受けました。日本人ハイカーにはほとんど出会わないのに、このコースは外人に人気があるのでしょうか。
峠から山道をずんずん下っていきます。男滝・女滝の案内が見え、そちらの方に迂回することにしました。落差はそれほどではありませんが、いずれも見事な滝です。この酷暑のなか、一刻の涼を得て生き返りました。
男滝 女滝
さらに、古い街道筋の面影の残る道を下っていきます。所々に、古い由緒ありげな建造物が残っており、無住と思われる建物もありますが、まだまだ生活の匂いの残る街道だと感じました。
壊れた水車が目につきました。下に、いくつが掲げます。昔は水車がこの地域の重要な動力源だったのでしょうね。
大妻籠まで下がって、やっと食堂があり、そこに飛び込んでラムネを飲み、のどの渇きをいやすことができました。
つれあいが途中途中の山野草の花々に目を奪われ、写真撮影に夢中になるので、ずいぶん時間がかかりましたが、昼前には妻籠宿につきました。
ここも大変な人出です。古い街並みがきれいに整備されています。建物は比較的新しいのですが、外観は昔のままを再現しているようです。
妻籠に着いて、観光案内所で桧皮製の「馬籠妻籠完歩証」を発行してもらい、またまた食堂に入って、ミルク金時かき氷で暑さに火照る体を癒しました。
妻籠の町を歩きながら
「妻籠という名前は、どこからきているんだろう。妻を手籠にするということかな」と私。
つれあいの曰く「妻を駕籠で送り迎えするということじゃないの」
オソマツデシタ。
妻籠発12:27の路線バスに乗って馬籠まで帰り、中山道ウォーキングの短い旅を終わりました。
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