昭和30年代私的物語
- はじめに
昭和30年代は、高度経済成長期前期とよばれている。この間、実質経済成長率は年9%を超え、日本の経済規模は2倍以上に拡大した。
昭和31年に日本山岳会槇有恒隊によるヒマラヤ・マナスル(標高8163m)初登頂があり、昭和36年にはソ連のボストークが世界で初めての宇宙有人飛行に成功、宇宙飛行士ガガーリンの「地球は青かった」という言葉に世界中が感動した。
そして昭和39年、東海道新幹線開通、東京オリンピック開催があって、日本全土に高揚の気が横溢した。
家庭生活も次第に豊かなものになってきた。
白黒テレビ、洗濯機、そして冷蔵庫が「三種の神器」としてもてはやされ、各家庭ではこれらを揃えようとこぞって働きに精を出した。
特に、テレビは昭和34年に皇太子のご成婚があり、急速に普及した。ただ、価格は14インチの白黒テレビが6万5000円もした。これは、当時の公務員の初任給の6ヶ月分に相当する。
この昭和30年代(1956〜1965)、私は新卒のサラリーマンとして、鉱山技師として、北海道・夕張で働いた。あこがれの北海道ではあったが、夕張という地も勤務する炭鉱も、高度成長とは無縁の地であり産業であった。
私は自分の仕事を、過酷ではあったが、やりがいのあるものと認めつつも、一方で、“もう一つの道”を求めてあがき続けていた。
「昭和30年代私的物語」の拙文は、この時代の私の仕事と生活の記録である。
といっても、これは半世紀も前のことであり、私の記憶と断片的な日記・メモなどに基づいてはいるが、記憶違いもあるだろうし、事実そのままというわけではない。むしろフィクションとしてお読みください。
最後になったが、本稿を綴るにあたり、この時代から現在まで変わらぬ友情をもって接してくれている成吉正雄氏に多大なご助力をいただいた。ここに記して、深い感謝の意を表します。(2014/01/09 記)
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