四国遍路の小さな体験――2巡目
(その5)
1.観音寺から高松まで(2007/03/23〜03/26)
2.高松から結願寺大窪寺まで(03/27〜03/28)
3.大窪寺から1番霊山寺まで(03/29〜03/31)
1.観音寺から高松まで(2007/03/23〜03/26) (1)再会
前日、3月22日夕方、これから同行するK氏に観音寺駅で会い、お互いに2年ぶりの再会を喜び合いました。
K氏とは2年前の3月、私が2順目の遍路を始めた時、徳島から23番薬王寺先の牟岐まで同行した人です。その後も連絡を取り合い、いつか必ず一緒しようとかねてから約束していたのです。
K氏は三島の人、私は福山在住と、これまで何の関係もなかったふたりが、これから結願まで一緒するのです。「縁は奇なり」と感ぜずにはいられません。
70番本山寺へ向かいます。
財田川越しに本山寺五重塔を見て、私の絵心がくすぐられました。K氏を待たせながら、写生しました。K氏に申し訳ないと思えば、筆も思うにまかせません。
11号線をどんどん進み、71番弥谷寺の石柱に着きました。ここから本堂まで長い登りが続くと思うと、いささか辟易しますが、昇らないわけにいきません。やっとの思いで俳句茶屋に着き、荷物を預かってもらって参拝してきました。 財田川越しに見る本山寺五重塔
72番曼荼羅寺に参拝し、出釈迦寺に向かいます。その前に、今日宿泊予定の門前宿に荷物を預かってもらおうと案内を乞いますが、誰もいません。仕方なく、無断のまま玄関口に荷物を置いて出かけようとした所へ女将さんが帰ってきました。
出釈迦寺に参拝後、今日のお目当ての捨身ヶ嶽禅定へ向かいます。標高差約250m。はるか上の方に鐘堂が、すでに登山口から望むことができます。あそこまで登るのか、と二人ともいささか戦意喪失の趣です。でも、決心して登り始めました。半分も来た頃でしょうか、4、5人の女性グループが下ってきました。
「まだ、だいぶありますか?」
「あとカーブ2回りほどですよ」
「ここで、止めるわけにいきませんね」
「そりゃそうですよ、私たちも登ってきたんですから。頑張ってください」
というわけで、頑張ってなんとか鐘堂まで到着し、鐘をひとつ撞いて到着したことをお大師様にお知らせしました。
お大師様はどこから身を投げられたのだろう、あの上の方か、とか考えながら、少し下がって私はスケッチブックを取り出し写生をはじめ、一方K氏は写真のアングルきめに走り回って撮影していました。
(2)雨の中を行く 捨身ヶ嶽の鐘堂を望む
74番甲山寺、75番善通寺、76番金倉寺、77番道隆寺と参拝するうち、雨が降ってきました。雨具を付けたまま、丸亀城へ登りました。
お目当てはもちろん桜ですが、残念ながら、まだ開花宣言も出ていない丸亀城には1輪の花もありません。私はさっき買ったビールを、ベンチに座って花見酒とこじつけて飲み始めましたが、K氏は諦めきれず(執念の人というべきか、信念の人というべきか)、上の方に登って行きました。下ってきて、上の方はちゃんと咲いていましたよ、とのご報告。残念でした。
花もない雨中の丸亀城でのビールは、あまりうまくなかった。
花はなし ビールばかりの丸亀城
78番郷照寺に参拝、この夜は坂出のビジネスホテル泊まりです。
翌25日も雨。そのなかを79番高照院、さらに80番国分寺と参拝。
国分寺を出たところで、夫婦へんろに白峰寺への道を聞かれました。私たちと同じ道ですから、というと後に付いてきました。この老夫婦とは結願まで会ったり離れたり前後して歩きました。足が弱そうに見えましたが、結構、強い方々だったことがわかりました。
少し登ったところの墓所にある建物の軒先で、仕入れたサンドウィッチとアンパンで少し早い昼食をとっていたところを、このご夫婦に追い越されました。
一本松手前の修行大師堂で休憩、展望が素晴らしい。ここで、お堂をスケッチ。
81番白峰寺を目指し、遍路道を進みます。180号線を横断すると、自衛隊の倉庫のようなものがあり、その先が白峰寺と十九丁・根香寺との分岐点です。 白峰寺への遍路道で
私たちは白峰寺の方へ向かいますが、昨日・今日と見知った多くのへんろと出会います。ここ、80番、81番、82番の札所は三角形の各頂点の位置にあり、へんろたちの考え方によりそのルートの取り方はさまざまです。よって、この山中の遍路道では多くの歩きへんろに出合うというわけです。
その夜は、白峰寺から道路をぐるっと廻ったところにある「坂出かんぽの宿」に泊まりました。瀬戸大橋が一望できます。 白峰寺のモミの木(香川の保存木)
(3)懐かしい教え子に会う
宿から十九丁へ向かう遍路道でまた多くのへんろに出会います。私たちは82番根香寺参拝後、五色台みかん園まで引き返し、鬼無へ向けて下ります。この道の名が、盆栽通りとあります。おもしろい名前だと思いながら下っていくと、その名の通り道々の家々で見事な盆栽を育てています。これだけのものを育てるには何代もかかって大変でしょうが、きっと高値で売れるに違いありません。
鬼無で空腹に耐えきれず、うどん屋に入りました。このうどん屋が徹底したセルフ方式であることに驚きました。カウンターで茹でたうどんを受け取ると、目の前にある具のうち好きなものを入れ、料金を支払い、汁タンクのコックを回して汁を入れ、好きな席に座って食べたのち、容器を返却口に返します。結構、繁盛していました。
分かり難い道を83番一宮寺へ向かい、参拝後、車は多いが歩道の整備された193号線を高松へ向け歩いていきます。途中から御坊川沿いにNTT高松病院を目指しましたが、見事に道を間違えてしまいました。
それでも、なんとか教え子夫婦の経営するコンビニにたどり着くことができました。菅笠に白衣、金剛杖の私たちを目ざとく認めて、懐かしい顔が出てきました。Y嬢です(いや、Y嬢というのは失礼ですね、結婚し1児の母なのですから、O夫人といわねばなりません)。
そして、この夜、夫婦でビジネスホテルに宿泊する私たちを夕食に誘ってくれ、送迎してくれました。昔話に花が咲き、楽しい一刻を過ごすことができました。
2.高松から結願寺大窪寺まで(03/27〜03/28)
(1)下りに難渋する
84番屋島寺への道は、食わずの梨・屋島御加持水を経て、前回は工事中でしたが、今はきれいに整備されています。前回はこの道を打ち戻りましたが、今回は壇ノ浦側へ下る予定なので、荷物を置きたい誘惑を退けて、背負って登ります。
地元の人もたくさん登っています。なかには1日に2回登るのを日課にしている人もいるとのことです。
参拝し、展望を楽しんだのち、下りにかかりますが、これがまたごろごろ石の急傾斜。さんざん苦労してやっと下り終え、85番八栗寺へ向かうころはもう足が痛くてたまらない。
八栗寺へはケーブル横の登山道を登りますが、その前に腹ごしらえと、登山口のお店に入ってよもぎ餅を食することにします。結局、2個も食べてしまいました。
参拝後、車道を下ります。これがまた、ダラダラとどこまでも限りなく続く感じで、疲れてしまいました。
今日は 志度の旅館どまりです。86番志度寺に近づく頃には、雨が降ってきました。五重塔をスケッチに出かけましたが、雨のためあきらめ、宿に帰ってきました。
(2)結願の日
今日、3月28日は結願の日です。
長い長い3号線を87番長尾寺へ、いよいよ88番大窪寺へ向かいます。前回は前山ダム手前から左折して遍路道に入りましたが、今回はダム南側のおへんろ交流館に立ち寄るつもりです。
鴨部川沿いの道でジョギング中の女性と出会い、しばらく話をしました。彼女も歩き遍路の経験者です。私たちを置いて、先の方に走って行きました。 30分も歩いたでしょうかと思う頃、彼女が帰ってきました。そして、温かい紅茶のペットボトルをお接待してくれました。 おへんろ交流館で記帳したら、「二人同行」の赤いバッチとへんろ大使任命書を館長から頂きました。
ここから、女体山越えのルートをとります。太郎兵衛館まで林道をとればいいものを、またもや遍路道を通ったもんだから、余計な登りと下りを強いられることになってしまいました。
K氏は女体山越えは初めてです。「これから、いよいよロッククライミングですよ」といったら、立派な手袋を取り出しました。ところが、いつまでたってもダラダラの登り道ですから、「さては、私を脅したな」というのが、K氏の呟きでしたが、頂上近くになって、ようやく手袋が威力を発揮するところに差し掛かりました。「だから、言ったでしょう」と私は心の中で笑いました。
頂上で写真を撮り、88番大窪寺へ向けて急傾斜の遍路道を下ります。急傾斜は最後まで続きました。
そして、ついに結願寺にたどり着きました。涙涙の結願、ではありませんでした。前回同様、あまり感慨はありません。私はよほど感情の鈍い人間なのか、それとも信心が薄いのか。
そこで1句。 大窪寺にて
結願の 目に女人らの美しき
疲れてベンチに座り込み、次から次へと参拝する女性たちに見とれている老遍路の私。「さて、」と立ち上がって、私の心は遍路の非日常から日常世界に立ち返りました。
その夜は門前の民宿に泊まり、赤飯でお祝いをしていただきました。
3.大窪寺から1番霊山寺まで(03/29〜03/31)
(1)スケッチのポカ
今回は、1番霊山寺へお礼まいりするまでの10番から1番まですべての札所にお参りし納経するというK氏に付き合うことにしました。 今日は快晴、暑いくらいです。大窪寺から377号線、2号線を延々と行き、徳島自動車道が見え始めるころ。私は早くも腹が減ってきて、何か食べたい。ここまでのところ、食堂も食品店も何もありませんでした。「まあ、よく食べる人だ」とK氏に笑われながら、行き違いに大窪寺に向かったへんろから聞いたうどん屋を探しました。
ありました!うどんにありついた後、出発しようとする私たちにうどん屋の主人がドリンク剤を1本づつ接待してくれました。
切幡寺麓のうどん屋に荷物を預かってもらい、私は納経の頭陀袋と画材だけをもってお寺に登って行きました。「是より333段」とあります。本当に333段あるのか、と数えながら上りました。確かに、かっきり333段ありました。
さて、スケッチを1枚、と思ったら、スケッチブックを忘れてきていました。紙がなければ、絵の具があっても描けません。なんというアホか、と自分ながらあきれてしまいました。でも、諦めきれずポケットをごそごそしていたら、コピーした地図が出てきました。今回は、「へんろ道保存協力会」の地図を行程に従って、1ページづつコピーして持参し、最後の1枚がポケットに残っていました。
その裏にスケッチしたのが、下の絵です。資質が悪いうえに、裏の地図が透けて見えるという代物ですが、ご笑覧に供します。
下って、うどん屋でまたもやうどんを食べ、今日は金清温泉に泊まるといったら、女将さんが金清温泉に電話してくれ、車で迎えに来てくれることになり、2キロ以上の登り道を歩かなくて済み、助かりました。 切幡寺大塔
翌日、宿の車で切幡まで送ってもらいました。女性3人組と同乗しました。
切幡から9番、8番、7番・・・・・と、逆打ちです。今日は時間的にはたっぷりゆとりがあります。8番熊谷寺では参拝を欠礼し、山門のスケッチ。7番十楽寺で寺院経営の新しい食堂で蓮華うどんをいただいた後、K氏には先に行ってもらい、私は遍路道の気に入ったところで座り込んでスケッチです。その時の駄作は、スケッチ集をご覧ください。
(2)1番札所に帰る
3月31日、5番地蔵寺の門前民宿から3番、2番を経て、1番霊山寺にお礼参りの後、電車に乗って今日のうちに帰宅の予定です。
地蔵寺参道
途中、脇道をしてドイツ館に立ち寄りました。第1次大戦時、青島で捕虜になったドイツ兵のうち1,000人が、ここ坂東に収容されました。
捕虜たちの生活、地元の人たちとの交流、そして日本で初めてのベートーベンの第9交響曲を演奏するまでの経緯など、数々の展示を興味深く見ることができました。
途中、白衣もまぶしい多くのお遍路さんと行き合いながら、霊山寺に帰ってきました。お遍路さんで溢れかえっています。
納経所に行き、平成17年の「歩き遍路ノート」を出していただき、私の名前を探しました。
ありました! 2年前に私自身が書き込んだ「藤田恒夫」の名がありました。3月23日でした。結願寺ではそれほどの感慨を催さなかった私も、その横に「H19/3/31」と赤字で書き込んだ時は、いささかの感慨がありました。
これで、私の2順目の歩き遍路も終わりました。
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