四国遍路22

四国遍路の小さな体験――2巡目
(その2)

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1.暑い秋の日を行く(2005/11/04〜11/05)
2.豪雨の中を行く(11/06)
3.爽やかな秋の日を行く(11/07〜11/08)


1.暑い秋の日を行く(2005/11/04〜11/05)

(1)この秋、四国遍路2巡目2回目のお遍路に出ました。当初は、2週間ほどを予定していたのですが、急な用事がいくつか入り、僅か5日間の短い行程になりました。
それに、第1回目の春遍路で20番鶴林寺手前から23番薬王寺先まで、3泊4日をともにした三島のK氏と同行を約束していたのですが、都合によりこの秋は出られないとのことで、私一人の旅となりました。

11月3日に、前回宿泊した35番清滝寺山麓、高岡の「喜久屋」に到着。懐かしい女将さんに再会、その夜はそこに宿泊しました。同宿3名。

4日、いよいよ歩きはじめです。同宿の一人は、まだ参拝を済ませていない35番へ、私はもう一人の人とともに水路沿いに36番青龍寺へ向かいます。この人は、平均して1日40キロは歩くという。確かに早い。
塚地峠への分岐で、私の方は今日は時間もたっぷりあることだし、その人と別れ、そこでスケッチを始めました。彼は塚地トンネルを通らず峠に向かいました。しばらくすると、一人のお遍路さんが来ました。この人はトンネルの方へ行きました。

塚地峠入口で


スケッチを終え、私は峠を登り始めました。結構な急坂です。
空は雲ひとつなく晴れ上がりました。朝早くには羊雲が広がっており、「この分なら、爽やかに歩けますね」といいながら塚地峠まで来たのに、この登りで大汗をかいてしまいました。
降りでも、汗が出ます。11月だというのに、この暑さはどうでしょう。天気予報では、最高気温24℃まで上がるといっていたから、やっぱり予報があたったようです。

宇佐大橋の手前のショッピングで昼食用の握り飯などを買い、大橋を渡ります。
何人ものお遍路さんに行き会いました。みんな、今日は浦ノ内湾沿いの23号線を通って須崎を目指しています。
私は、今回は横浪スカイラインを歩いてみようと思っているし、とても須崎まで到達する自信はないので、途中1泊します。だから、十分に時間があります。

昨夜同宿し、塚地峠で別れたばかりの人に行き会いました。お互いの無事を祈り、別れました。
青龍寺の石段の途中で、同宿だったもう一人の人とも行き会いました。清滝寺までの往復分が私より多いのに、どこかで(きっと私が塚地峠を越えている間に)追い越されたのでしょう。皆さん、足が速い。
石段のわきに座り込んで、スケッチを1枚。

青龍寺石段


スカイラインに出るために、奥の院まで登りました。1順目のとき、ここを登って、また降りた日のことを思い出します。下りは、前夜の大雨で滝のように流れる渓流の脇を必死で下ったことでした。
今回は降りないでスカイラインに出、池の浦の「みっちゃん民宿」まで行きます。

横浪スカイラインは、外浦を左に見ながら断崖の上を行くまさに"スカイライン”なのですが、歩きにいい道とはいえない。地図によると標高50mから130mまで、傾斜度8%前後のゆるやかな起伏が続きます。車にとってはなんでもないでしょうが、このアップ・アンド・ダウンが歩きにはひどく堪えます。
歩いている人は誰もいませんし、集落もありません。単調な道です。
周囲の木々も生い茂り(スカイラインが出来たばかりの頃は見晴らしもよかったそうですが)、断崖の下の素晴らしい海の景色もところどころでしか見ることができません。

途中、休憩所がありました。駐車場もありますが、車はほとんど停まっていません。
アイスボックスに入れた冷たい飲料を売っているおばあさんがいました。コークを飲みながら、随分長いこと無駄話をしました。聞けば、私がこれから泊まろうとする池の浦の人だとのことです。

池の浦には横浪スカイラインからくねくねと標高差100m以上を降ります。ここを明日、登るのかと思うと、やっぱり宿の選択をあやまったかなと思いながら、足も自然に遅くなります。
池の浦の集落に着きました。7、8人の中高年のおばさんたちが道をふさぐようにして"井戸端会議”。そのど真ん中を突っ切ろうとしたとき、そのなかの一人が「藤田さんですか」と声を掛けてくれました。それが「みっちゃん民宿」の女将、みっちゃんでした。

夕食まで少し時間があるので、漁港に出て散歩しました。目の前に、ちょっとした小高い島が見えますが、割合大きいのに小島といいます。
みっちゃんから頂いた全紙大の写真、それは昨年の10月にこの地方を襲った台風のとき、みっちゃんが撮ったものだそうですが、小島から堤防にかけて打ち寄せる大波は大層迫力のあるものでした。(この写真は、申し訳ないことに、翌々日の豪雨のためにカバーにしていた紙が写真に張り付いてしまって、写真が台無しになってしまいました)。
泊り客は、私一人だけでした。

(2)翌5日も快晴です。
ありがたいことに、みっちゃんに横浪スカイラインまで車で送ってもらいました。標高差100m以上を登らなくて済みました。
そのうえ、昼食用のおにぎりと冷茶のお接待です。本当にありがたいことです。

6:20 歩き始めます。スカイラインは相変わらずのアップ・アンド・ダウンです。陽が昇ってきました。とにかく暑い!
まだか、まだかと思っているうちに、やっと浦ノ内側に出ました。やれ、やれ、です。自販機でコークを飲みます。押岡川沿いに須崎へ出、市街を足早に素通りし「道の駅かわうその里すさき」で一休み。

見渡したところ、ベンチは自販機の前にひとつしかありません。一人の若い女性が座って休んでいます。
「おじゃまします」と座って、見るとやはりお遍路さん。マットをリュックに縛り付けているので、「野宿ですか」と聞くと、「テントを持っていないのですが、この道中で知り合った人が一緒にどうですか」というので、入れてもらったりする、という。
別々に歩いているのだが、夕方近くなると、携帯で連絡し合い、うまく合えばテントに入れてもらうし、駄目なら宿をとる、という。
若い人の、この自由さは本当にうらやましい。

すぐ隣で焼いている焼き鳥の匂いがたまらない。3本ほど買ってきて、その女性に1本上げました。
自分で2本食べて、1本だけあげるとは、何たるケチ!と思いましたが、彼女は昼食を済ましているというし、貰ってくれるかどうか心配だったのです。
私もベンチで、お接待のおにぎりを頬張りました。
彼女が言うには、今日は大坂遍路道の先で野宿の予定という。私は土佐久礼の予定だから、それより6キロも先。
もっと話したかったのに、先に行ってしまいました。

「あわ」手前の第2トンネルと第3トンネルの間で、海をスケッチしました。

「あわ」手前56号線から太平洋を望む


時間は十分にあるので、焼坂峠を越えることにしました。登りは少々きついが、下りは実に快適です。始まったばかりの紅葉の山をのんびりと下っていきます。
国道56号線を経て、再び遍路道に入って久礼に近くなった頃、一人の屈強な若者に後ろから声を掛けられ、握手を求められました。ものすごく大きな荷物を背負った外人です。もう午後3時半ですが、これから9キロ先まで行くという。別れ際、
(私)"Where are you from?"
(若者)「南アフリカ」
この「南(ミナミ)」は、ちゃんとした日本語でした。

宿に着いて、夕食のとき、天気予報は「明日は雨」と報じていました。

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2.豪雨の中を行く(11/06)

(3)11月06日朝1時ごろ、ふと目が覚めました。雨がものすごい音で屋根をたたいています。外は土砂降りのようです。
朝食は6:45の約束で、遅い。また寝入りました。

7:15完全武装で宿を出発します。雨は土砂降りです。朝の天気予報では、午前100%、午後50%とのこと。午後に期待して勇を鼓して出発です。
随分悩みましたが、「そえみみず遍路道」も「大坂遍路道」も諦めて、国道56号線を行くことにしました。
車は猛スピードで走るし、そのはねがすごい。道の上を洪水のように水が流れています。たちまち、靴の中までぐしょぐしょになってしまいました。ただひたすら、前へ進むのみです。

お陰で、七子峠には2時間ほどで着きました。一休み。
遍路道を行きかけましたが、道自体が川になっています。これではいかんと、国道に戻りました。まだこの方がいい。

少し小降りになった感じの頃、懐かしい影野に着きました。お雪椿がお目当てです。
お雪椿のそばに屋根付きの休憩所があります。一休みを兼ねて、そこでお雪椿をスケッチします。雨は相変わらす降っています。
一人の若い男性が来ましたが、言葉も交わさず出て行ってしまいました。

また一人のお遍路さんが来ました。今度は若い女性です。頭からすっぽりと真っ赤なポンチョを羽織っています。
愉快で元気な、話し好きのお嬢さんです。聞けば、昨夜は土佐久礼で私の泊まった隣の旅館に泊まっていたそうで、今日は「そえみみず」を越えてきた、とのこと。とても大変だった、倒木が道をふさぐやら濁流やら、とても難儀だったとのこと。

彼女の話を聞きながら、私はスケッチを急ぎましたが、つれなくも私を置いて先に行ってしまいました。
今夜は佐賀温泉に泊まる、と言っていたから、先を急ぎたかったのでしょう。

お雪椿


若い人は元気でいいですね。一日40キロは軽く歩く。若い人ばかりではない、50代・60代の人だって、30キロ未満という、私のような弱虫にはあまり会いませんでした。
まあ、それぞれの体力と考え方があるから、おへんろの数だけ歩き方があるのでしょう。それにしても、どんどんみんなに追い越されるのは、何となく寂しいものです。

お雪椿の休憩所を出た途端、ものすごい降りになってきました。大粒の雨で目の前が見えないほどです。菅笠が破れてしまうのではないかというのは大げさですが。これぞ、土佐の雨、などとしゃれているときではありません。泣きの涙です。

「ゆういんぐしまんと」で休憩。
ここを出る頃、うれしいことに雨が上がってきました。日も差してきました。仁井田を過ぎ、「道の駅あぐり窪川」で雨具を仕舞いましたが、リュックの中は着替えまで濡れてしまっています。お札もびしょびしょ。
岩本寺では、納経札も書き換え、カラー御影の代金も濡れたままのお札で恐縮しました。

参拝後、宿坊に案内を乞いました。今日は、ここに宿泊です。濡物をできるだけ乾かすように掛けたり広げたりして、まだ時間があったので、本堂裏の見事なもみじの写生に出かけました。

岩本寺本堂裏の紅葉


夕食時は、小さな団体さんの他は、歩きへんろ3人だけで大いに盛り上がりました。千葉のN氏、広島のK氏です。

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3.爽やかな秋の日を行く(11/07〜11/08)

(4)岩本寺本堂で、朝の勤行。朝食を済ませ、N氏、K氏と共に出発。
昨日と打って変わって、爽やかな秋の日差しの中を行きます。気温もそれほど高くなく、汗をかくこともありません。

相変わらず車の多い56号線を行きます。佐賀温泉まで随分時間がかかりました。K氏がとてもゆっくりなのです。これで本当に一日40キロ平均歩く人なんだろうか。
途中、私はコンビニで、いざという時のためにおにぎりを買い込みましたが、「佐賀温泉に着いたら、そこでうどんを食べよう」という3人の心積もりです。
10時過ぎに佐賀温泉に着き、まだ早いというお店の人を急かせてうどんを注文、おでんも食べました。

やおら立ち上がり、歩き始めると、まことに不思議も不思議、K氏のスピードが打って変わって速くなりました。N氏と私も急ぎますが、とても追いつけません。
昨日も同行したというN氏によると、「あの人は朝はゆっくりだが、午後になると、時に急に早くなったりする。きっと、低血圧に違いない」と、憎まれ口。
熊井トンネルまで急ぎ足で休みなく歩かされます。これなら、一日40キロは優に行くでしょう。
「うどんを食ったせいか、随分元気ですね」というと、「エヘッヘッ」と笑って答えず。

伊与喜市街から熊井に入る場所にはまったく記憶がないのに、しばらく行った民家の横道に入るところには鮮明な記憶があります。その分岐で進む方向が自分の感覚と逆だったからでしょう。案の定、今度も道案内の矢印に不思議な気がします。人間の感覚なんて、当てにならないものだと思いました。道標の指示に従って進みます。

腹が減ってきたので、申し訳ないが、私一人道端のベンチで握り飯を食することにし、二人には先に行ってもらいました。
佐賀公園の先のドライブインで待っているから、とのことです。

遍路道が国道と出会うところで、二人が私を待っていてくれました。目の前にある建物がドライブインらしいので、そこに入ろうというわけです。ところが、残念でした。そこはドライブインではなく、閉業中の看板のかかった食堂でした。
ドライブインは公園の先らしい、ということで公園に沿って歩いていきます。
佐賀公園は大規模公園で国道の左側に沿って延びる海岸の素晴らしい公園ですが、人影はほとんど見えません。国土交通省勤務の経験のあるK氏にこのことを言っても、ノーコメント。もっとも、答えを期待しているわけではありませんけど。

ドライブインの前まで来ました。店構えを見て、二人とも入ろうと言いません。そのまま歩きつづけます。
この先に、「喫茶 白い館」というのがある、「いい名前でしょう、きっと西洋流の白い塔のようなお店だったような気がする」と、私。「そう?じゃ、ぜひそこにしよう」ということで、また元気を出して、白い館を目指します。

ありました、確かにありました。けれども、イメージと随分違います。その隣の喫茶店がなかったら、きっと私の記憶のあやふやさを思い切り非難されたに違いありません。
「白い館」は、まだ午後3時過ぎなのに既に閉店の看板がかかっていたこともあって、その隣の喫茶店に入りました。喫茶店の女将と4人で、それこそ大バカ話にひとしきり花を咲かせ、やっと出発です。

井の岬トンネル、伊田トンネルを越えて、すぐの民宿に入るN氏。そこからもう少し行ったところの「ホテル海坊主」に入る私。さらに先の民宿へ行くK氏。と、3人別々の宿泊です。
僅か一日の同行でしたが、楽しい一日でした。もう、お二人には会う機会もないでしょう。

(5)ホテル海坊主の部屋は素敵でした。ホテル形式ですが、部屋に畳が敷いてあり、何よりも窓からの眺めが素晴らしい。
小さな庭の先に磯が広がり、太平洋が一望です。中天には上弦の月が白く輝いています。左は井の岬で、右は上川口の岬でしょう。部屋は南に面しているから、井の岬の方から太陽が昇ってくるはずです。

翌朝、朝食は7時からですから、それまでにスケッチを、と思って慌てて起きて準備します。

太平洋の朝 6:15(ホテルの窓から)


太平洋の朝 6:45(ホテルの窓から)


7:45 ゆっくり出発です。
本当は、四万十川河口の渡しに乗りたかったのです。今年でもう廃船になるというから。でも、要用のため、今日、中村駅から一旦、帰らざるを得ません。

懐かしい入野松原が、さっきから遠くの方に見えていましたが、やがて入野大橋近くに着きました。河原に降りて、大橋をスケッチしました。
今日も爽やかな秋の日より、気持ちよく松原の中を行きます。下田ノ口交差点で56号線に出る積りが、早めに出てしまいました。この国道を歩きながら、時間が心配になってきました。松原入口で時間を取りすぎました。
逢坂トンネル手前に小さな広場があったので、そこで昼食代わりに非常食を平らげて、早々にまた歩き始め、なんとか中村駅で、予定の特急に乗ることができました。

今回は、短い区切打ちで、歩きへんろにもあまり会いませんでした。残念でした。
でも、天候の変動は激しく、いろんな経験をしました。この続きは、来春になることでしょう。

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