あるチャンピオンの死90-1
あるチャンピオンの死(1991)

2月にしては暖かい日差しの差し込む部屋のなかに、私は正座していた。私の前にはひとりの巫女が、今まさにトランス(神がかり)状態に入ろうとしており、横には私の宿泊先の旅館の女将が神妙な面持ちで座っていた。
それは九州の離島の、その島にただ一人残る霊媒の祭事の間であった。私たち(女将と私)は、その前年、ガンのため52歳の若さで逝ったH氏の霊を呼び寄せ、その霊を慰めようとしていた。
その部屋は私の期待に反して、まことに明るく、ごくごく普通の8畳間であり、変ったところといえば床の間に相当する場所にある祭壇だけである。

正直言って、私は霊媒とか霊の招き寄せといったものを信じていたわけではない。そのとき、巫女の後ろに座りながら、これから始まろうとする口寄せを真に受ける用意ができていたわけでもない。それでも女将から一緒にどうかという誘いがあったとき、私は即座にこの慰霊に出かけることに賛成した。
女将は、H氏とも私とも数年来の付き合いであった。私たち(女将と私)は心からH氏を愛していた。


H氏は、当地に予定された大規模エネルギー基地建設計画にかかわっていたG社の社員であった。彼はその建設準備室長代理の職にあって、東京と現地を絶えず往復し、日夜を問わず奮闘していた。
私は当時、G社の依頼により現地の社会環境調査の一端を担当し、その縁でH氏と知り合うことになった。いわばH氏は調査の委託者を代表する人であり、私は受託者であったが、私たちはそのような関係を超えて、次第に共鳴するところの多いことを見出すようになっていた。

このエネルギー基地建設は、工事規模1,000億円をはるかに超え、完工までに数年を要すると見込まれるビッグ・プロジェクトであった。H 氏はそのプロジェクトの初期段階、つまりそもそもの発端から工事着工までの段階の、事実上の牽引車であったといってよい。
彼は大部隊を率いるエグゼクティブでもなく、プロジェクト・マネジャーでもなく、エンジニアですらなかった。失礼ないい方をすれば、一介の事務屋にすぎなかった。
彼がG社のなかでどのような役割と権限を与えられていたのか、私にはよくわからない。しかし、彼の言動を身近にみていると、どう考えても彼は自分の職務と権限を大きくはみ出し、それをはるかに超えて行動しているように見えた。明らかに越権行為とみえることも珍しくなかった。

このプロジェクトの成否を決する最大の問題の一つは、地元住民のアクセプタンスにあった。住民のアクセプタンスが得られないまま、頓挫のやむなきに至ったプロジェクトを私たちはたくさん知っている。
彼はその困難な問題に身を挺して取り組んでいた。地元住民の結成するさまざまな団体や行政機関の間を駆け廻り、関係会社を説得し、技術者に代替方式を要求し、自社幹部に遠慮なく直言した。
あまりの障害に「もう止めよう」と挫折しかかったこのプロジェクトを、ほとんど独力で――と、私には思えた――甦らせたことさえあった。そこには人を巻き込まずにはおかない熱情があった。

何が、彼をそのように駆り立てるのか。
これが、H氏と知り合うようになってから、私の念頭を離れない疑問であった。


私は一度、H氏に尋ねたことがある。
「あなたは、なぜそのように一所懸命に働くのか」と。
それに対して
「これが私の務めです」というのが彼の答であった。

しかし、あなたは自分の職務をはるかに超えて、求められている以上のことをやろうとしているではないか、と言おうとしたけれども、私はそれをしなかった。
彼は自らに与えられた職務を、その範囲においてこなしているのではなく、このプロジェクトの成就こそが自分の人間としての務めである、それがなければ「男が立たぬ」ということを言っているのだ、と気付いたからである。

このプロジェクト成就が、彼にとっての大義であった。一切の資源を、それが会社のものであろうと、他人のものであろうと、そこへ向けて一切のものを投ずること、わが一身さえも投ずること、それはまさに大義に生きるものの特性ではないだろうか。


それからしばらくして、私はたまたま海外の経営誌のなかで古くから「チャンピオン(戦士)」という概念が論議されていることを知った。この概念に接したとき、私は真っ先にH氏のことを思い出した。

チャンピオンとは、「組織のなかに生まれ出てきて、重要な組織段階を通じて、革新のプロセスを積極的かつ熱情的に推進することによって、革新に決定的な貢献をなす個人」(注*)と、そこでは定義されている。
また、次のようにもいわれている。「新しいアイデアは、チャンピオンを見つけるか、さもなければ死に絶える」と。つまり、革新にはその成就へ向けてこれを推進するキーパーソンが必ずいるものだ、ということである。

ここで革新というのは、ジェットエンジンとかジャイロコンパスの発明といった技術革新を指しているのであるが、これを広く解釈するなら、多くのプロジェクト・タイプの仕事は先例のないものであり、創造的な取り組みを必要とし、革新の名に値するであろう。
プロジェクト活動において、そしてすべての革新がそうであるように、そもそもの発端において必ずといってよいほど鋭い抵抗に出合うし、この抵抗を克服するには並々ならぬ推進力を必要とする。
そして、公式的な活動だけではその革新の成就はおぼつかなく、非公式のさまざまな活動――説得、反論、妥協、取引、連立といったタクティクス――を用いてすすめていかなければならない。だから、チャンピオンとよばれる人は、外交官であり、政治家であり、チアリーダーでなければならない。


しかし、何よりもチャンピオンに要求されることは、高い達成動機と推進力をもったトランスフォーメーショナル・リーダーでなければならないとされる。
トランスフォーメーションとは、通常、変態とか遷移と訳される。動物が幼生からから脱皮して成体に変わるとき使われるし、物質でも同じ化学成分をもちながら異なった物理的性質に移ることをいう。
人間の場合には、より高い目標に向かって自己の限界(と考えているもの)を超えることをトランスフォーメーショナルな特性という。それまでは自己にとって存在しなかった価値ある何かを創り出すことを指す。

そして、トランスフォーメーショナル・リーダーとは、自らがそのようなトランスフォーメーションを成し得るだけでなく、自分の周りの追随者に刺激を与え、より高い集団目標へと彼らの自己関心の限界を超えさせるリーダーである。それは、プロジェクト・マネジャーであることもあるし、それ以上の経営者であるかもしれないし、またその下のサブマネージャーであるかもしれない。H氏のように、プロジェクトの総務に携わる事務職員であることもある。
彼らは等しく革新的プロジェクト目標へ向けて、人を動かさずにおかないビジョンを描きだすことのできる人であり、また事を始めるにあたって他の人たちもすすんでこのビジョンの実現に参加してくれるに違いないという自信をもつ人である。また、目標達成のために自らが明確に革新的行動を示すことのできる人である。

このようなチャンピオンなしには「プロジェクトは死に絶える」であろうことを、私はH氏と、彼が文字通り命を賭けたエネルギー基地建設プロジェクトを通して、はっきりと認識することができる。


巫女の神がかりにもかかわらず、私は残念ながらH氏の霊と交感するには到らなかったが、しかし静かな気持ちでその場を辞することができた。
それから5年後、H氏没後6年、このエネルギー基地は無事竣工し、九州の離島にその偉容を誇っている。

(注*)Donald A. Schon, ”Champions for Radical New Inventions”, Harvard Business Review, 41 ( March-April) 1963.

(エンジニアリング振興協会報 ENGINEERING 52号 1991. 7)

[次へ]


目次へ戻る

ホームページへ戻る