工学、システム、そして計画80-6

工学、システム、そして計画(1984)


エンジニア――作る人――
工学は科学とは異なる。工学(エンジニアリング)は、「科学的知識を応用して人の役に立つものを作り上げる」ところにその本質がある。偶然に出来上がったというのではなく、工学には意識的に作り上げるという側面がある。したがって、理屈は分かっているが、ものは作れないという人はエンジニアとはいわない。エンジニアは、理屈はともかく、意図するものを作り上げる人のことをいう。

しかし、すべて計算づくで作り上げられるものではない。
たとえば、鉱山採掘に長壁(ロングウォール)式採炭法という方法があるが、当該鉱区の地質や技術水準などによって異なるが、通常は100〜140mというのが最適な長壁の長さということになっている。
この許容範囲内で、たとえばエンジニアが112mに長壁の長さを設定したとする。110mでもなく、115mでもなく、なぜ112mに設定したのか、設計者本人もなかなか説明できるものではない――妻の誕生日が、1月12日だからというたわいない理由の場合もある――。
しかし、一旦、112mと決まると、そのあとの生産量、人員、投資額などをこの数字が規定するわけで、大きな意味をもつ。エンジニアの仕事にはこのような遊びがあり、仕事の中にエンジニアは楽しみを見出している。

現在いわれている最適長さを超えて、たとえば200mのものを計画せよといわれたとき、エンジニアは決して出来ないとは言わない。実際にはできないかもしれないが、もし200mという限界(と思われるもの)を超えることができれば、300mも可能だということが分かるので、おそらくチャレンジするであろう。そこに喜びを見出し、チャレンジするのがエンジニアである。

したがって、エンジニアを動機づけるには、仕事の中に遊びを許し、チャレンジな仕事や課題を与えることが大切である。

人工物――作られるもの――
作る人がいれば、作られるものがある。それは人工物で、これをシステムと考えている。したがって、システムとは、「人が何か目的をもって作り上げる人工物、あるいは人工的に切り取られた自然の一部である」といえる。
この意味から、太陽系(ザ・ソーラー・システム)はここでいうシステムではない。

エンジニアにとっては、システムとはわが世界のことである。
システムは、明らかに境界をもって環境と区別される。したがって、システムというものを考えるときのキーコンセプトは、環境を意識すること、自分の意思が及ぶ範囲(システム範囲)を明確にすることである。
「システムとは、何らかの観点または価値を基準にして選びとられた諸要素とそれらの相互関連の全体像である」といっている人がいるが、切り取られた内部が自分の領域で、その範囲外は意思の及ばない環境であり、与件となる。
境界を意識することによって、自由裁量の範囲と、その範囲外の制約条件を明確にすることができる。

システム・パラダイム――拡張主義
制約条件は少ないほどよく、制約を制約でなくするには、わが世界(システム)に環境が影響を及ぼさないように、クローズド・システム(閉じたシステム)を考えることもあるが、こうしたやり方は、エンジニアの考えるシステムではまず不可能である。オープン・システム(開いたシステム)でとらえることが大切である。
そのうえで、制約条件を少なくするためには環境を自分の中に取り込む、つまり境界を外に拡げ、制約条件を内部に取り込む方向をとるのである。

こうして、システム・パラダイムでは拡張主義をとることになる。一方、サイエンス・パラダイム、あるいはアナリシス・パラダイムは還元主義にたち、自分の世界の内部の要素を細分化する方向に向かう。

外に向かって拡張していくと境界にぶつかり、そこから内部世界(内部システム)をみるとき、はじめてそのシステム全体としての役割、機能を見出すことができる――国を後にし、国境から振り返ってわが故郷を俯瞰するとき、はじめてその全貌をみることができる――。役割とか機能というのは、境界上での外部に対する内部の関係から規定されるものだからである。
そして、それがシステムの特性となるのである。システムの目的とか機能は、内と外の相互作用できまるものである。

機能は、構造決定の先決要件でなければならない。
ここに、1枚の紙があってハガキとよばれる。なぜ、ハガキなのか。この紙を、顕微鏡でいくら細分化して調べてもハガキの機能はわからない。ハガキのハガキたるゆえんは、その機能にあり、それはポストとか郵便システムといった、ハガキの外にあるものとの関係で決まるのである。

境界に眼を注ぎ、境界を広げることが、エンジニアにとってのチャレンジである。
拡張主義をこのように考えると、それは全体主義ではないかと言われるかも知れない。全体主義か要素主義かと問われれば、システム論は全体主義である。システムをキー概念として使うということは、サイエンス・パラダイムではなくシステム・パラダイムに従うということである。

建築家もシステム屋だと思うが、非常に細かいところにこだわる人がいる。私の友人のひとりは建築家であるが、彼は「小さな開口部の形をみていると、そのなかに一つの建築全体が封じ込められている」という。窓の形や階段の手すりの断面曲線などに妙なこだわりをもっているのである。
彼にとっては、部分が全体を圧倒しているのだろう。おそらく彼はエンジニアではなく、アーティストなのであり、システム・パラダイムとはまた異なるパラダイムをもっているのであろう。

目的志向
どのシステムも目的をもっている、あるいはもたされている。すなわち、全体またはより大きなシステムに対して、そのシステムがどういう位置づけにあり、どういう機能を果たすべく設定されているかを考えなければならない。
H.サイモンは、「内部システムは自然現象を組織化して、ある範囲の外部環境の下で、特定の目標を達成できるようにしたもの」と述べ、記述論ではなく規範論的説明の必要性を強調している。

システム・パラダイムにたつということは、とりもなおさず規範論をとることになり、政策のための学問体系に立つことになる。システムは必ず設計されなければならない。もちろん、分析も行われるが、それは設計するためである。この考え方で接近していくと、われわれは政策科学(ポリシー・サイエンス)に到達する。

政策科学は、価値の問題に入り込んできている。価値を、できるだけわれわれの認識から外して処理しようとしたのが近代科学だが、政策科学は価値の問題と認識の問題を再結合しようとしている。

政策科学へ
政策科学の提唱者であるイスラエルのイエッケル・ドロアは、システム分析の反省からメガ・ポリシー(大政策)の研究が必要だと主張している。メガ・ポリシーは政策を決めるうえでのガイドラインという意味である。
たとえば

@ 資源配分の問題
目標を定義して最良の達成手段を選んだ場合、手持ちの全資源を選択された最適手段に投入すれば、最大の目標達成が可能となる。しかし、目標達成の途中で他の目標が浮かび上がった場合、それに回す資源がないという事態に立ち至る。
メガ・ポリシーでは、現在の目標達成に投入する資源と保留しておく資源とを考えておこうというものである。こうしたことは、システム分析からは出てこない。

A 思考様式の問題
メガ・ポリシーでは、バランス思考かショック思考かということを考える。
システム・パラダイムに立つ人は、バランス思考に傾く傾向がある。そこでは、首尾一貫性あるいは全体の整合性を確保しようとするので、現象のランダム性を極力排除しようとする。システム屋は予測しやすいものを選択しようとするので、どうしてもバランス思考になる。
しかし、バランス思考からはイノベーションは生まれない。予測し難い状況の中からこそ革新は起こるのであり、そういうものを排除してしまうと、思いがけないことが起こらない。われわれはショック思考を取り入れなければならない。

しかし、ショック思考のみでは破滅に向かってしまう。メガ・ポリシーでは、この両者をどのように考えるべきかを議論する。

また、政策科学ではメタ・ポリシーということをいう。メタ・ポリシーとは、政策決定システムに関する政策で、いわば政策決定プロセスに関する政策である。イエッケル・ドロアは、「政策科学が発展すればするほど、政策決定システムはその知識が利用できるように設計し直さなければならない。政治の世界でも、政治権力と政策の知識とが共生できるように政治が再編成されなければならない」と述べている。
そうだとすると、政策科学者はより一層政治権力に近づかなければならないということになってしまう。

以上、このようにみてくると、システム・パラダイムは、政策科学にいたるまで、分析したり設計したりする主体と、客体としての対象システムとを明確に分けている。作る人は造物主であり、作られる物の上にある。したがって、作られる物は作る人の価値実現の手段であるというように考えられている。

行為論、過程論からの計画
地域計画の問題にかかわりあうようになって、上述のシステム・パラダイムでは取り組むことのできない問題に数多く遭遇するようになった。それらは、次の点で企業の問題とは大きく異なっている。

@ 多目標システムであること
企業は目標が比較的明確であり、それが階層構造を成し、そのなかで目標を実現しようとするが、地域計画では目標が特定のものに限定できない。また、組織構造もフラットなものである。
企業は全体が部分を規定するが、地域では部分が全体を規定するという面がある。

A 境界があいまいであること
はっきりした境界線を引き難いし、境界そのものが時間の経過とともに変化している。「現代社会は無境界の時代だ」「現代では越境するという発想が必要」という人もいるくらいで、境界設定の問題はエンジニアにとって難しい問題である。

B 主体と客体のかかわり合いの二重性
作る人が作られるシステムの中で生活しているという問題。システムの中で、ある役割を担うとともに、システムに対して自分から働きかけるという行為を考えていかなければならない。

以上3つの問題をみても、単純なシステム論では解決できないことが分かる。したがって、社会行為論・過程論からのアプローチが必要になる。

高速道路バイパス建設またエネルギー基地建設の問題を手掛けたとき、住民の合意形成は果たして可能かという問題に直面した。勝ちとか負けとか、あるいは取引によって何ができたか、そのことにはたしてどんな意味があるのか、そういうことを考えるようになった。そのとき、関係する住民の動きを観察していて、これは一種の学習過程ではないか、と感じた。
住民はこの「学習」過程で変わっていくし、もちろん事業者も学習している。この過程こそが、プロジェクトの意義ではないか、そう考えるようになった。

結果ではなくプロセスに、システムの構造よりもその過程に着目すべきである。「社会的・文化的構造は、ただ変動と発展の流れのなかにある過程の交叉にすぎない」と述べている人がいるが、その通りだと思う。
システムの構造や社会構造は、この過程にある一断面にすぎないのである。
(産能大教員合同懇話会でのスピーチ要旨 1984. 6)

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