企業における生産活動の改善、あるいは管理のシステムづくりでは、各部門から選抜されたメンバーによるプロジェクト・チームが組まれることが多い。
外部コンサルタントがそうした改善・設計にかかわる場合も、コンサルタントの多くは社内従業員によるプロジェクト・チームの結成を勧め、その主導の下に作業を進める。TQC、あるいはさまざまな形での生産性向上運動のように全社的・全事業所的規模で展開される運動でも、その過程で各種各級のメンバーによるプロジェクト・チームによって活動を進めることが多い。
ここでは、こうしたプロジェクト活動のもつ意味を探り、コンサルタントとしてこれにどのようにかかわるべきかを考えてみたい。
なぜプロジェクトか
生産活動はいうに及ばず、およそ組織の行う定常的活動は、その管理がシステム化されることによって経済性が達成される。業務の専門化と標準化を徹底して進め、「人が変わってもまったく同じように仕事ができる」ことが理想である。製造工程は作業者が変わっても同一製品を作り続けるし、製造課長が変わっても生産計画の立て方が変わることはない。
すなわち、システム化とは、そのコントロールがシステムに作り付けになっていることをいう。人ではなく、システムが自身を制御するのが管理というものである。
これによって経済性が達成される一方で、組織や制度が固定化する傾向を生み、ひいては硬直化へとつながっていく。
しかし、管理にはまたその固定化から脱却しようとする運動への契機が常に存在している。
ひとつには企業をとりまく環境が変化し、企業の管理システムがそれに適応できない状況が現出すること(外部要因)、もうひとつは組織内部に変革へのエネルギーが次第に蓄積されること(内部要因)、により変革への胎動が始まる。製品・設備のエレクトロニクス化、VEの導入など、その例である。
こうした変革への動きを既存の管理システムに吸収することはほとんど不可能である。システムは固定化を本性としており、変革とはこれを打ち破ることだからである。どうしても既存のシステムとは離れて、その枠を超えたところにこの変革への動きを育てていく組織を作る必要が生ずる。これがプロジェクト・チームである。
このような事情から、プロジェクト・チームは、ある場合にはこれまでの手続きや規則を無視することさえいとわず、その仕事ぶりも周囲からみれば異常としか思えないやり方をとったりする。「プロジェクトの連中は異分子、異端者である」ということになる。
このように、プロジェクト活動は必要な活動でありながら、既存の組織にとって受け入れがたい性格を本来的にもっている。
プロジェクトから運動へ
先ほど、プロジェクトは異分子である、と述べた。しかし、この異分子が適当な土壌を得ると急速に増殖していく。すなわち、プロジェクトの運動への転化である。運動とは活性化であり、プロジェクトがもつ湧き立つような雰囲気を全社的・全事業所的規模で作り出すことである。
そこでは諸活動をコントロールしているのはシステムではなく、人である。固定化ではなく、流動化が運動の本性である。明確な責任権限にもとづく「職務の励行」が求められる管理とは異なり、全員参加にもとづく「業務の達成」が運動の姿である。タテ関係ではなく、ヨコの関係が重視され、そこに参加と協力の精神が醸成される。
こうしたすべてを運動はプロジェクトから受け継いでいる。運動はプロジェクト活動の開花した姿である。したがって、トップがどんなに一所懸命に号令をかけても、それまでにプロジェクト活動の経験(特に、成功経験)のないところでは、運動は成り立たない。
しかし、運動過程はまた、常にシステム化への志向を内包している。運動の展開過程では、本来、程度の差はあれ、成り行きで物事が進んでいく。計画が立て難いのである。だからこそ、そこに思いがけぬ発展と発見があり、それが人々を強く動機づける。「何が起こるか分からない」その緊張感が人々を惹きつけ、参加へといざなう。
ところが、一方でこの計画し難いところに大きな不安と不安定があり、活動の経済性低下(非効率化)の恐れが常にのぞいている。そこで物事が計画的に進むよう、システム化しようとする強い誘因が意識される。
運動の定着化、管理システムへの回帰
運動もやがては終わりに近づく。運動過程に内在するシステム化への志向が次第に力を強めてくるからである。すなわち、運動は必ず定着化をめざす。定着化とはシステム化、制度化にほかならず、それは「運動の固定化」であり、この表現自体、自家撞着である。
ここまでくれば、すでに運動は勢いを失っており、管理が勝ちを占める。こうして運動が終わり、再び変革への胎動が始まるまでの比較的長い期間、管理が組織内に透徹する。
このようにして、生産活動(そして、企業活動)は、システム化された管理中心から、プロジェクト方式による変革の活動を通して活性化された全社的・全事業所的運動へと発展し、比較的短い期間の後、再び運動の定着化という形で管理中心の活動へと回帰していく。管理―運動のサイクルである。
図1は、このサイクルを模式的にあらわしたものであり、図2は管理と運動の諸特徴を整理したものである。
プロジェクト活動は、管理のシステムから抜け出し、変革を通じて運動へとエネルギーを発現させる活動である。プロジェクトで、これがなぜ可能になるのか。
関係主義にたつプロジェクト
定常的業務では、仕事はほとんど永続するものとして各機能部門――製造、設計、購買、財務など――に細分化して割り付けられている。この割り付けられた仕事をこなすことが各部門の責務であり、そこに各部門の存在意義がある。
各部門は独自の業務を遂行するためにまず存在しており、他部門との関係はこの部門の独自性を前提としたのち、定まるものであると考える。すなわち、要素(各部門)がまずあって、しかるのち要素間の関係が規定されるという考え方で、これは要素として人をとりあげても同じである。これを要素主義とよぶなら、プロジェクトは関係主義である。
関係主義では、何よりも「関係」に着目し、その関係のなかで要素が定まると考える。関係とは、自己(または自部門)と他者(または他部門)との相待的依他起生性(廣松渉『存在と意味』より)のことであり、一方がなければ他方も存在しない。自己の存在条件として他者があり、他者を理解することが自己を確立することである。
関係のなかでこそ要素の形質が形づくられていく。プロジェクト・チームという要素は、まさに既存の他部門との関係において形づくられていくのであり、チームメンバーはチーム内の仲間、他部門の人たちとの関係において自己を形成していく。
ここにプロジェクトの本質があり、この点を強く意識するのが関係主義である。
生産における改善、設計に携わるプロジェクト・チームは、設計、製造、生産技術などの部門に伍して仕事を進めるべく、はじめから本源的な力と資源を備えて存在するのではなく、そうした部門との関係のなかでチームとして形づくられ、鍛えられていくのである。
「プロジェクト・マネジャーに対して適切な権限が与えられているか」という問いに対して、あるプロジェクト・マネジャーは「権限は自分でとってくるものだ」と答えている。(エンジニアリング振興協会『プロジェクト・マネジャーに関するアンケート調査』より)
また、「現地にいて“自分の役割は何か、はっきりさせてくれ”と本社に問い合わせても、結局はっきりしない。プロジェクト・マネジャーは自分で考え、行動し、チェックするしか方法がない」とも答えている。
プロジェクト・チームは、まさに外部他部門との関係のなかでその存在を確立していくのである。
同時にまた、プロジェクトと関係をもつ機能部門その他の外部組織も、自らの役割、業務を見直さざるを得ないような状況に追い込まれる。関係とは、前述したように、相待的依他起生性のことであり、プロジェクト・チームが形づくられ、その存在を確立していく過程はとりもなおさずこれと関係をもつ各部門の変革の過程でもある。ここに、全社的・全事業所的規模の運動への契機が秘められている。
マトリックス組織形態をとるときの各機能部門のプロジェクトへの協力の仕方、報告と業績評価の情報システムのあり方など、プロジェクトとの対応において全面的な見直しを迫られる。
このように、要素より関係を重視する関係主義に立つことが、変革のための必要条件である。
プロジェクト成功の要件
自己の存在条件として他者があり、他者を理解することが自己を確立することであるという考えに徹するとき、そこに共通のコミュニケーション基盤、相互理解と感情の共有、そして共感共苦の連帯が生まれる。
これは、プロジェクト・チームと関係他組織の間にも、またプロジェクト・チームメンバー相互の間にも生まれる。あるプロジェクト・マネジャーは言っている。「われわれは一つの船に乗っている。『ヤイ、お前のそっち側が沈みかけているじゃないか。なんとかしろ』とは、プロジェクトの人たちは決して言わない」と。
といっても、全員が同じ価値観、同じ思想と信条の下に、事に当たるべきだといっているわけではない。むしろ、そのようなムリな「思想のベクトル合わせ」からは真のプロジェクト活動は生まれてこない。プロジェクト内外の諸関係は、相待的依他起生性ではあっても相互依存のもたれ合いではないからである。それはむしろ対抗的相互作用の過程とよぶのがふさわしい。
まず、思想性の問題がある。関係する二者(プロジェクト・チームと関係他組織、あるいはプロジェクト・チームメンバー間)の一方が自らの信念、思想を棚上げして他方に妥協してしまうと、その二者の関係は一方通行となってしまう。そこには思想、信念のぶつかり合い、立場を異にする者の間の説得、反論、再反論の双方向通行に伴う緊張が消滅している。
緊張がなければ創造はない。したがって、また変革もない。安易な妥協はプロジェクト活動を殺す。
第二に、不確定性を進んで認めることである。この相互作用の過程をあたかもまったく確定したものの如く考え、すべてを計画し得るように考える尊大さは捨てなければならない。そうした尊大な態度の支配する場では、議論すべき余地はなく、関係者間のコミュニケーションは不要である。コミュニケーションがなければ相互作用が生じるはずはない。
プロジェクトには多くの不確定性、欠落部分があり、だからこそ人々はこの不確定性に挑戦し、欠落部分を埋めようと動機づけられるのである。そこに人々の創造力を発揮できるチャンスがある。計画のしすぎはやめ、成り行きを重視しなければならない。
第三に、プロジェクト活動では開放性が必要である。開放性とは、相互作用による要素間の関係が完結していない状況をいう。個々の要素がかなり自由に、広範囲に関係を結べる余地が残されていることが必要である。
それぞれが自主的に行動すること、それが必ずしも予め調整されたものでないこと、こうした状況はプロジェクト活動では避けがたいことでもあると同時に、ある程度は望ましいことですらある。「何が起こるか分からない」スリルのなかで、その相互作用の過程のなかで、人々は自己の行動の修正、態度の決定を迫られる。それはプロセスのなかで初めて明らかにされてくる性格のものであり、予定することはできない。
過程の開放性とは、自主性とそれに伴う偶発性を認めることである。偶発性があればこそ相互作用も一層促進される。偶発性がなくなればプロジェクトに新しい発見も発展もない。
以上、思想性、不確定性、および開放性の3つを認めることが、管理システムの桎梏からエネルギーを解き放とうとするプロジェクト活動を成功に導き、全社的・全事業所的規模の活性化された運動へと転化させていくための要件である。
(第35回全国能率大会招待論文要旨 1983. 8)
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