書評Lovins70-5

人間復興に脈打つ 大胆かつ綿密なエネルギー戦略
――(書評)Amory B. Lovins, Soft Energy Paths: Toward A Durable Peace, Penguin Books, 1977――


図1を見ていただきたい。アメリカにおいて、エネルギー省、エネルギー研究開発庁、あるいはエクソン石油、エジソン電気研究所などが提案しているエネルギー路線を推し進めるとすれば、一次エネルギー使用量は図のように予想され、このためアメリカは今後10年間に、次のような手を打たなければならない。

アラスカ油田開発のほか、海底油田900カ所、炭鉱170、ウラン鉱山100、濃縮工場 1、燃料加工工場40、再処理施設 3 を建設しなければならない。
このためにも多くの電力を必要とし、石炭火力(800MW)180基、原子力(1000MW)140以上、水力160以上、ガスタービン350基の発電所の建設が必要になる。

更に、2000年以降となると、原子力発電所450〜800基、巨大石炭火力500〜800、炭鉱1000〜1600の建設が必要となり、1500万台の電気自動車が走りまわっているだろうという。
こうしたエネルギー路線は、排熱による水温の上昇、炭化物による大気汚染、回復不可能な土地の破壊、それはおそらく地球物理的限界を超えると危惧される。

著者ロビンスは、こうしたエネルギー路線をハードなエネルギー路線と呼び、これが結局は行き詰まらざるを得ず、とるべき道はソフトなエネルギー路線でなければならないと説く。
このソフト・エネルギー路線によるとき、一次エネルギー使用量は図2のようになり、きわめて穏やかな、2000年以降はむしろ一次エネルギー使用量を低減させ得ると主張する。――2000年までは過渡的段階である――

これまでの延長的発想に立つハード・エネルギー路線では、エネルギー連鎖の出発点たる一次エネルギーの増大が最終用途でのエネルギーの使用につながらないのである。
たとえば、英国では1900年以来、一次エネルギーの供給は2倍になったが、最終用途でのエネルギー使用は1/2ないし1/3しか増えていない。その他はすべてエネルギー供給産業への燃料として使われている。今や、エネルギー供給産業が最大のエネルギー消費者となっている。

エネルギー供給を集中的な巨大技術によって発電し送電しようとすることによって、エネルギーの利用効率をますます低いものにしてしまっているのである。――発送電施設の建設から廃棄にいたるまでのライフサイクルに要する直接間接のエネルギー消費量と、その施設が作り出すエネルギー総量と比較してみよ――

しからば、ロビンスのいうソフト・エネルギー路線とは何か。
図2をみると、人は、それはゼロ成長を主張しているのではないかというかもしれない。それは、ロビンスによってはっきりと否定されている。ロビンスは、次のような基本的性格をもつ“ソフト・テクノロジー”を開発していくことによって、多様化した形での成長を持続していくことが可能だし、これこそとるべき道だと説くのである。

1. われわれが使おうと使うまいと常に存在する再生可能なエネルギーの流れを利用する。たとえば、太陽、風、植物など。
2. 多種多様な数多くの、一つひとつとしてはどちらかというと簡単な技術を組み合わせて使う。しかもそれぞれの状況に合わせて、最も効率が高くなるように設計する。
3. 柔軟性のある、どちらかというと低技術を使う。といっても、決して洗練されていないという意味ではなく、理解しやすく、摩訶不思議な特殊技能がなくても使える技術という意味である。
4. 最終用途の規模や地理的分布に合った技術を使う。自然エネルギーの流れの自由な分布を有効に活用する。
5. 最終用途に見合った質のエネルギーを供給する技術。――冷暖房や調理など、エネルギーとして低質な用途で済むものに、電気という高級かつ大きな転換ロスを伴うエネルギーを使うことをやめる――

しかし容易に想像できるように、このソフト・エネルギー路線を実現するためには、きわめて大きな社会変革が要求されるだろう。しかし、その変革もハード・エネルギー路線をとった場合と比べたとき、はるかに人間として自由で多様な方向へと導く、というのがロビンスの主張である。

巨大集中化したエネルギー供給のシステムは、その供給量について、価格について、どこでどのように決定されているのか、すでに草の根大衆は意思決定から完全に疎外されてしまっている。
巨大な原子力発電所を考えてもみよ。大衆にとって摩訶不思議としかいいようのない高度の技術を使える者と、巨額の資金を自由にできる人々だけが、他の代替技術をすべて締め出すことによって、政治的コントロールを目指す最適の手段として、原子力発電所はあるとさえいえるのではないか。

本書の著者ロビンスは、コンサルタント物理学者として、おもにエネルギー・資源戦略に取り組んでいる。OECD、国連諸機関、カナダ学術会議、米国エネルギー研究開発庁、その他いくつもの国々の機関から委託研究を受けている。そして、自然保護市民団体である「地球の友(Friends of the Earth)」のイギリス代表として活躍している。弱冠30歳。

ここまでに紹介したのは、本書の第2章「エネルギー戦略――とらざりし道」を中心にして述べた。そして、アメリカの内外の政策決定に大きな影響をもつといわれるForeign Affairs (Oct. 1976) に掲載され、大きな反響を呼んだ部分である。
これに、第1章「イントロダクション」を加えて、第T部「コンセプト」の部分を読めば、読者はロビンスのまさに一時代を画すべき優れた着想と、その底流に脈々と流れる人間復興の思想、その明快な論理と気迫に溢れた説得力に圧倒されることだろう。

そして彼は物理学者であり、この第T部の主張であるソフト・エネルギー路線の計量的根拠を第U部として展開している。第3章から第8章まで、予測の方法論からエネルギーの質について、またその投資コストの計算にいたるまで、膨大なデータを駆使している。
第V部は、副題である「持続する平和へ向かって」として3つの章をさき、社会政治の側面、価値の側面、そして魔神としての原子力をもう一度封じ込めること、について述べている。

ロビンスの主張を評価することも批判することも、正直言って評者の力に余ることである。その点で“書評”というもおこがましいが、一人でも多くの人が本書に接し、著者ロビンスの主張を契機として、エネルギー問題に対する論議が日本でも広く巻き起こるべきではないかと考えて、本書を紹介した次第である。

なお、本書の中心である第2章「エネルギー戦略――とらざりし道――」の副題は、10年前、評者がアメリカ留学中知るようになり、以来愛読してやまない詩人 Robert Frost の詩 “The Road Not Taken” からとられている。
(『研究所季報』3号、産能大 1978. 12)

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