社会価値分析70-4
社会価値分析(1977)

周知のように、価値分析では「機能こそ価値をもつ」という考え方から、製品なりサービスに「使用機能」と「貴重機能」に由来する使用価値と貴重価値の2つを認めてきた。
ダスカニオ博士(イタリア・ピサ大学教授)は、これに第3の価値ともいうべき「社会価値」が付加さるべきことを提唱している。ということは、とりもなおさず、その価値源泉たるべき「社会(的)機能」を製品とかサービス――広くはシステム――に認めるべきことを主張していることになる。
しかもこの社会機能は、使用機能あるいは貴重機能とは独立したものと考えられているのである。(注1)

第3の価値、社会価値
まず最初に、「社会」機能から連想されることとして、企業の社会的責任論から思い起こしてみよう。最近は、論議がやや下火になっているが、企業の「社会的責任」についての社会的合意がなったとは考えられないし、ましてや問題が解決されてしまったわけでもなかろう。博士の論文が出てくる背景に、このような論議があるであろうことは否定できないと思う。

日本でもこの数年、さまざまな論議がたたかわされてきた。そもそも企業の社会的責任とは何であろうか。
必ずしも合意があるわけではないが、筆者なりに整理してみると、

(1)良質・廉価な製品とかサービスの提供――欠陥商品の販売流通などは行わない――
(2)社会環境へのマイナス影響の防止――公害は起こさない――
(3)社会的秩序・道義の順守――ルールに反するような買い占め、便乗値上げはやらない――
(4)社会との開放的なコミュニケーションの促進――社会的説明責任の遂行、PRの見直し――
(5)自発的な社会的貢献――福祉活動のための基金の設置、寄付や施設開放を積極的に行う――

このうち、(1)良質・廉価な製品とかサービスの提供 というのは、社会的責任でも何でもないのであって、それなくしては企業の存続発展があり得ない――少なくとも自由市場にあっては――という意味で、企業の本来活動そのものであるという議論もある。
筆者もそのように考える。実は、少なくとも伝統的な価値分析は、そのためにのみ存在していたのである。すなわち、企業は製品やサービスの提供先である顧客との経済的関係においてのみ価値を論議すればよかったのである。

しかし、企業の社会的責任論議は、企業が顧客にのみ顔を向けていたのでは不十分であることを教えた。上記の(2)〜(5)はすべて、顧客だけでなく地域住民も行政体もその他企業を取り巻くすべての環境、それも経済的関係でのみ考えられる環境でなく、政治的・社会的な、すべての関係での環境=社会環境のなかでこそ、企業が生きていかなければならないことを示している。

価値分析も、顧客との経済的関係においてのみ定義される使用価値と貴重価値を高める努力にとどまっていてはならないのであって、ここにダスカニオ博士の提唱する社会価値の重要性が浮かび上がってくるのである。

簡単な例をあげてみよう。
必ずしも適切な例とはいえないが、話を分かりやすくするためにあげる。かつて「節電型」テレビをいうものが売り出されたことがあった。使用機能はほとんど変わらず(若干下がるが)、使用者にとってのコストは下がるから、価値ある製品であるということができるかもしれない。
しかし、ポイントは別のところにある。すなわち、節電できるというそのことによって、電力消費量の低減に協力し、省資源ひいては立地困難な発電所建設難の緩和に役立つという、いわば「社会責任遂行型」テレビである、とメーカーは称することができる。これが一つのポイントであって、それはそれでひとつの考え方である。

テレビが本来もつ使用機能に加えて、社会機能というものを考えた商品開発である、と称することができる。このような考え方で、前出の(2)〜(5)項目についても、何らかの方法によって評価を行い、企業全体としては一体、どれだけの社会的機能を果たしているか(社会的責任を遂行しているか)、また逆に社会的なおかげをどれだけこうむっているか、をバランスシートの形に計量化して表したのが、APT社の社会的責任会計である。(注2)

社会システムにおける社会価値
さて、ダスカニオ博士の論旨に立ち返ることにしよう。
博士は社会価値分析が適用されなければならないのは、「ヒューマン・コミュニティとそれに利用可能な天然資源からなるシステム」あるいは「潜在的な顧客が、政府、地方自治体、公共事業体、あるいはもっと一般的にいって公共資金が支出されるようなあらゆる場合」であると述べている。現に、同論文の事例は、ある仮想国の政府の立場で述べられている。

すなわち、価値評価の立場が個人および私企業から離れて、社会(ないし社会システム)の立場から社会価値を考えようとしているのである――ダスカニオ博士は、分析者の立ち位置として公共団体を想定しているようであるが、ここではもっと広い立場から考えてみる――。

社会となれば、そこには複数の意思決定者が存在している。しかも、それらが相互に価値判断を異にし、利害対立することが少なくない――たとえば、高速道路建設をめぐる地域住民と建設側のように――。
しかし、この利害対立は放置できない。もし放置し、矛盾が激化するに任せるならば、社会はシステムとして存在しえなくなるからである。何らかの説得、妥協、強制が必要になるわけである。

このように考えてくるとき、社会的価値は社会システムにとって、その存続発展に欠くことのできない機能要件から生まれてくるものである。立場をあくまでも社会に据えて機能評価するときこそ、社会価値が全的に認識されるのである。
それは第3の価値ではない。社会システムにとっては、社会機能こそすべてであり、社会価値こそ唯一の価値であるともいえる。
私企業の立場からは第3の価値かもしれないが、価値分析の適用を企業など経営組織から社会へ、行政へと拡大していこうとするとき、社会価値は唯一の価値概念である。

(講演では、ダスカニオ博士の事例研究を取り上げているが、ここでは省略する。)

われわれは社会価値なるものを、前述のように、社会システムにとって、その存続発展に欠くことのできない機能要件から生まれるすべてのものに対して認めることが妥当であろう。
このとき、パーソンズの社会システムの機能要件図式(Functional Requisites Schema)が役に立つ。

社会システムの機能要件図式
社会システムはその存続発展のための機能要件として、さまざまのものを充足していかなければならない。それらは、実に千差万別であるといえる。しかし、何らかの一般的枠組みを設定しておいて、それらを分類し比較検討していくことにすれば便利であろうと考えられる。
――従来の価値分析では、特にハードウエアを対象とする場合は、こうした枠組みは必ずしも必要でなかったが、ソフトウエアを対象とするときは枠組みが絶対的に必要になるであろう、と筆者は考えている。基本機能と二次機能というような単純な分類だけでは、たとえば複雑な管理システムの価値分析は不可能であろう。――
このような考え方を代表するものが、社会学者T.パーソンズの手になるAGIL図式である。

パーソンズは、どのような社会システムの機能要件も、A(Adaptation; 適応)、G(Goal-Attainment; 目標の達成)、I (Integration; 統合)、L(Latent Pattern Maintenance and Tension-management; 潜在的パターン維持および緊張の緩和)の4つに類別されると考える。(注3)
これらを、内部的―外部的な問題という区別と、目的的―手段的な問題の区別、の二つの軸によって位置づけたのが、AGIL図式である。(図式は、ここでは省略する)

社会システムが学校であれば、「学生を教育する」というのがG機能で、目的的かつ外部的な機能である。同じく外部との関連において考えなければならない機能に、A機能がある。これは、目標達成のために必要な資源の調達・準備に関連しており、その意味で手段的である。
I 機能というのは、社会システムを構成するサブシステム間の調整を行い、統合を維持する機能である。最後に、L機能は社会システム安定の基盤である規範的文化からの逸脱を統制し、緊張を緩和する機能である。
パーソンズに従えば、すべての社会システムはこの4つの機能要件が充足されなければ存続していくことができず、その要件を充足し得るものは、すべて社会価値を有すると考えられる。

社会価値の問題は、このように社会システムそのものの研究に立ち返って、新しく構築していかなければならないと思われる。
(注1)ジアコモ・ダスカニオ「社会価値分析」(藤田恒夫訳)『日本VE協会報』 No.54 1976.11月号
(注2)Apt Associates Inc., Annual Report参照、『プレジデント』1973. 7月号、あるいは『週刊東洋経済』1973.11.14号に紹介記事がある。
(注3)T. パーソンズ著『社会体系論』青木書店 1974.
(「第10回中部地区VE大会における講演録要旨」1977. 11)

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