感傷的システム論(1971)
And in the naked light I saw
Ten thousand people. maybe more.
People talking without speaking.
People hearing without listening.
People writing songs that voices never share
And no one dared
Disturb The Sound Of Silence.
剥き出しのライトの下で
幾千の、いやもっと多くの人たちが
とりとめもなくしゃべり
聞くでもなく聞いており
声を合わせることのない歌を作っていた
だが 誰一人妨げようとはしなかった
この沈黙の音を
(邦訳は筆者による、以下も同じ)
これは、Simon & Garfunkel の"The Sound of Silence"(P.サイモン作詞作曲)3番歌詞である。
私がはじめてこの唄を知ったのは1970年1月、ワシントンの英語のクラスの中だった。この英語の教師は、髪を長く伸ばした若いクエーカー教徒だった。実にはげしく動き回り、英語の授業もカリキュラムもそっちのけで、上のようなサイモン=ガーファンクルやジョニー・キャッシュ のうた、あるいは讃美歌の一節などを私たちに暗記するよう強要し、クラスでレコードをかけて一緒に歌ったりした。
そのためたびたび隣のクラスから苦情が出、そのたびに肩をすぼめていた。
その当時はただ暗記するのに精いっぱいで、ただそれだけだったが、アメリカ滞在が長くなるにつれ、時とともにこの唄が心に突き刺さり離れなくなってくる。
なぜだろう? この救いようのない疎外感は一体何だろう。日本を離れた感傷があることはまちがいないが、そればかりだろうか。
私は間もなくワシントンを離れてニューヨーク州の片田舎で学生生活を送るようになるが、そうなってもこの唄は私の心から離れてくれない。この唄を愛唱する若者たちはいったい何者なのだろう?
この田舎町は典型的なアメリカ東部の町といってよく、最もよく伝統的な生活様式を固守し、保守的な中産階級が支配している。長髪の学生、女の子を始終連れ歩いているような学生、などには絶対下宿させないという人もたくさんいる。
逆に、全米から集まってくる学生たちは、ご存じのヒッピー・スタイルが多く、一応まともな格好をしているのはわれわれ入ったばかりの外人学生か軍関係の派遣学生くらいなもの、中にはホットパンツで授業に出てくる女子学生もいる。
しかし、この外見は実は見かけだけにすぎないことがすぐ分かってくる。
きっちりと組み立てられたカリキュラムを追う点取り虫は煙草も吸わないが――アメリカの学生で喫煙者は少数派――、やはり髪を伸ばしヒゲをたくわえたりしている。
このカリキュラムについていけない学生たちがいる。それは能力のせいか、麻薬のせいか、金のせいか。彼らの一部は、次の学期にはもうクラスに姿を現さない。穏やかに話し、やさしげな眼をもった彼らだったのに。学業を放棄すればベトナムが待っているかもしれないのに、彼らはドロップアウトしていく。
そして、反戦・反公害の集会やロック大会に姿を現わしたりする。ニューヨーク5番街の歩行者天国に現れたり、自給自足のコミュニティを作ったりする。ハーレムに秘密事務所をもつものもいるらしい。
そのような「彼ら」はいったい何者だろう。「彼ら」の願いは何なのだろう。
"The Sound of Silence"の4番は、次のように続く。
"Fools" said I."You do not know
Silence like a cancer grows.
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you."
But my words like silent raindrops fell.
And echoed
In the wells of silence
「愚か者よ お前たちは知っているのか
沈黙はガンのように生長することを
私の言う言葉を聞いてくれ
私の差し出す腕を受け止めてくれ」
だが この私の言葉は音のしない雨滴のように
沈黙の井戸の中に
こだまするだけだった
ここには「彼ら」の満たされない渇望が歌い込まれている。「彼ら」は何かを求めている。何を?
私はブリッジポートからボストンへ向かうバスの中で、やはりヒッピー・スタイルの学生と隣り合わせになった。彼は、私が日本から来ていることを知り、Zen(禅)について、 Meditation(瞑想)について、しきりに聞きたがったが、宗教心のない私には答えることができなかった。彼は大きなリュックを担いで雪のボストンの街を港の方に向けて消えていった。
「彼ら」は社会からのはみ出し者であって、規制によってか、救済によってか、いずれにしろ手段を講ずることによって、この社会に再び同化させることができるのだろうか。答は、否定的にならざるを得ない。
なぜなら、「彼ら」がはみ出してしまったこの社会、同化されるべきこの社会を「彼ら」は信じていないからである。そこに大きなまやかしがあることを、「彼ら」は見抜いているからである。
"The Sound of Silence"は、次のような最終5番の歌詞で結ばれる。
And the people bowed and prayed
To the neon god they made.
And the sign flashed out its warning.
In the words that it was forming.
And the signs said."The words of the prophets
are written on the subway walls
And tenement halls"
And whisper'd in The Sound Of Silence.
人々は自分たちの造り上げたネオンの神の前で
跪き、祈っていた
そしてネオンサインがきらめき
お告げの言葉がはっきりと形を表そうとしていた
「預言者の言葉は地下鉄の壁に
アパートのホールに書かれている」
そして囁くのだ
この沈黙の音で
ここに恐るべき虚構を「彼ら」は見ている。しかも、誰の心の中にもこの「彼ら」がいるということ、そして私の心の中にも。その心の中の「彼ら」がこの唄を忘れさせてくれないのではないか、そう私は思う。
*
アメリカの学生たちの最大の関心事は、ベトナム戦争だった。少なくとも昨1970年には、そうだった。現在のそれはもっとやっかいな問題、環境汚染と破壊がベトナム戦争にとって代わってきている。
PLAYBOY 誌の行った学生に対するアンケート調査によると、現在、学生たちが最も憂慮すべき問題としてあげるのは環境汚染であって、前年調査のベトナム戦争を抜いて、はじめて第1位になったと報じている(PLAYBOY Sept. 1971)。
そして同誌は、「そこにはタカ派もなくハト派もない、白人もなければ黒人もない――ただ死滅した惑星があるのみだ」という、ある保守主義者の言葉に学生たちがはじめて賛成した、と述べている。
環境汚染の問題はどうにもやりきれない、理念では処理できない、やっかいな問題ではなかろうか。それは戦争以上のものだといえる。とにかく戦争はやめようと思えば、やめることができる。やめれば、解決することができる。
一方、環境汚染・破壊の問題はどうだろう。たとえば、車の問題。日本でも自動車の登録台数は2,000万台を超えたということである。このまま推移すれば、昭和60年には車は4,500万台に増え(建設省予想)、死傷者の累計は3,000万人を超え、1世帯1事故は確実になるといわれている。
おまけに大気汚染によって人間を含めた生物と自然に対する破壊は一層加速化されるであろう。この地上から自動車をなくしてしまえ、と言うことはできても、それは実行できるだろうか。
この小文の主題であるシステム論は、これを解決してくれるだろうか。このようなどうにもやりきれない事態にたちいたった原因は、私たちがこれを一つの交通システムとしてシステム的にとらえることをしなかったからだろうか。
確かに、システム論はこの問題を今、真剣に取り上げようとしている。マイカーを廃止してシティーカーという無公害かつ効率的な壮大なシステムにのせるというアイデアも発表されている。
しかし、マイカーの最大の長所は、またマイカーがここまで伸びてきた最大の理由は、どこでもいつでも自由気ままに乗り回すことができるという点にある。この自在性こそ、実はシステムにのせることのできない特質だと私は考える。
つまり、システムはそれがどんなものであれ、最大の効率を達成しようとするなら、その構成要素に勝手気ままな動きをすることをやめさせ、ルールに沿った動き方をするようにさせなければならない。
もちろん、システムは環境変化に対して耐える力、それを跳ね返す弾力性を備えるように設計することが可能である。これは、システム設計にとって非常に大切なことである。しかし、そのような特性をシステムに織り込むためには、予め予測できなければならない。予測できないことはシステムに織り込むことができない。
だから、すべてのシステムは効率を追求する限り、究極にはその環境との自由な対話を許さない閉じたシステム、構成要素の自在性を排除するシステムに向かわざるを得なくなる。
予測できない現象はシステムから排除しなければならない。それが自然現象であろうと、人間行動であろうと。だから自由を(Liberty でなく Freedom を)身上とする"The Sound of Silence"をうたう「彼ら」をシステムにのせることはできないのである。
さもないと、そのシステムの効率は著しく低下し、ひいては滅亡する危険さえある。自在性はカオスにあり、カオスはシステムの反対語である。だから、自在性をもつシステムというものは、それ自体、自家撞着ではないだろうか。
*
ではどうすればよいのか?
大義の前には小義を殺さなければならないのだろうか。しかし、もし万一、この小義が背いて大義の立ち向かってきたら?
「彼ら」が、もしもシステムに歯向かってきたら? この不安はぬぐい去ることができない。それは、システムが意外なもろさをもっているからである。
1965年11月9日午後5時16分、ニューヨーク市を含む米国北東部に大停電事故が発生した。停電の範囲はニューヨーク、コネチカット、マサチューセッツ、ロードアイランドの各州全部、オンタリオ州の大部分ならびにニューハンプシャー、バーモント州の一部など、約20万平方キロ(日本の本州くらい)の広範囲に及び、米国およびカナダの約3,000万人の人々が被害を被った。
都市配電については、ずばぬけた高信頼度を維持しているはずのニューヨーク市が停電し、その最長時間は13時間以上に達し、社会的に大きな混乱を及ぼした(以下の説明も、堀一郎による。「電力の安定供給」『数理科学』1967. 12月号)。
この停電により、地下鉄では60万人以上の人々が長時間かん詰めになり、すべての鉄道、交通信号、空港施設、高層ビルのエレベータ、水道などすべてが停止した。
停電の原因は、くわしくは上掲論文にゆずるとして、ある送電系統に大停電事故防止の目的で設置されたリレーが誤って作動し、それが別の送電系統への過負荷を生み、つぎつぎとそれらの系統が遮断されたためである。
しかも火力発電機はサイクルの低下に対する耐力が弱いために、突発的な発電力の脱落からサイクル低下を招き、それによって供給予備力のほとんどが運転不能となって回復が遅れた。まさに配電システムにとって象徴的な事故となったのである。
壮大かつ精密なシステムであればある程、このような小さなシステム要素の狂いが全体システムを作動不能にしてしまう危険が大きくなる。
*
自在性を身上とするマイカーをやめて精密極まりないシティーカー・システムにした時、このような危険は発生しないだろうか。
"The Sound of Silence"の「彼ら」をも包み込んでいた私たちの社会、それはシステムとよべるものではなかったかもしれない。この社会から「彼ら」を排除し、精密なシステムに組み上げようとするとき、「彼ら」がそのシステムに背いて反乱を起こし、そのためにシステムが作動不能に陥ることはないのだろうか。
そのような事態が来ないとは誰も断言できないのではないか。
反乱を起こす「彼ら」はシステムから排除されても、誰の心の中にもいる「彼ら」が共鳴を起こし、配電システムにおけるように、次々と系統が遮断されるかもしれない。
現在のシステム論をどう適用するかを考える前に、現実の世界についての「百家争鳴」をまずうながし、システム論そのものが変わっていかなければならないのではないか。
また経済的観点以外の観点、たとえば芸術的観点のようなものの導入が考えられなければならないのではないか、そう思う。それは、もはやシステム論の名に値しないかもしれない。
(産能大通教機関紙『能大』105号、1971. 12月号)
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