3.湖西から湖北へ、花の旅
(写真をクリックすれば、拡大します)
(1)高島駅からスタート(04/12)
午後1時、湖西線高島駅に着きました。
京都からの湖西線は、ここまで約1時間かかりました。この間、京都の桜は満開でしたのに、北上するにつれて八分咲き、五分咲きと開花が遅れているようで、ここ高島ではやっと咲き始めか、まだつぼみの木も多くありました。
まずは、駅近くの湖西19番大善寺にお参りします。
しかし、本堂はしっかりしまっているし、納経所の場所もよく分かりません。横手で自動車を洗っている男性に尋ねましたら、この人がこの寺の住職でした。「すぐ、本堂を開けます」といって裏にまわって開けてくれました。
親切にお寺の由来など説明していただきました。なんでも織田家ゆかりのお寺だとか、しかもややこしいことにこの高島市内の新旭町にも同じ大善寺というお寺があり、互いに“浅からぬ”関係があるようです(こちらは、高島市勝野に所在)。
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(湖西19)大善寺参道
来た道を駅まで引き返し、更に湖岸に向けて歩いて行くと、湖岸周遊道路の萩の浜に出ます。その直前に「四高桜」の石碑がありました。
「四高」とは旧制第四高等学校のことで、ここで昭和16年、同校の漕艇部員11名が遭難死しました。この死を悼んで、翌年、四高関係者と地元の人たちが協力して湖岸に千本の桜を植えましたが、これが四高桜です。まだつぼみでした。
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四高桜石碑
湖岸沿いに進みますが、風が強く、冷たい。途中、犬の散歩の男性が湖の向こうにみえる景色を説明してくれました。
「あの中央の高い山が繖山、その右の少し低いところがが安土城址、左に少し離れたところにあるのが荒神山、下の方に彦根市街も微かにみえるでしょう」と。竹生島は霞んでいて見えません。
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近江白浜への道
今夜の宿泊は、近江白浜の「宝船温泉」に予約してあります。もう近いはずだと思いながら歩いていきますが、それらしい旅館の建物とかビルなど一向に見当たりません。
でも、ありました。道端に平屋建ての小さい一軒の家、看板ばかりは「宝船温泉」と大書してあります。
「湯元ことぶき」というからには、まさか箱根ほどではないにしても、何軒か温泉宿があるものとばかり思っていましたのに、「これは、何だ」という感じです。
ちょっとがっかりしたまま、まず湯(緑色がかったお湯の露天風呂)につかりましたが、あがって夕食となり、その豪華さに目を見張りました。近江牛のにぎりをはじめとして、数々の料理が次から次へと出てきます。
私のつれあいなど、今までの人生で最高のお料理に巡り合ったと、もう大感激、感嘆しきりです。「いい宿を予約してくれた」と、私までお礼を言われる始末。
行程の都合上、ここに決めたに過ぎないのに。意外なところで、意外なことに出会えるのも歩き旅の喜びでしょう。宿泊客は、私たち2人だけでした。
本日の歩行距離、僅かに4キロ。
(2)近江白浜から今津へ(04/13)
今日は今回最長の歩行距離を予定しているので、早く出発したかったのですが、そんなに無理ばかり言ってもいられません。8:00朝食、8:45出発となりました。
今日歩くのは、地図をご覧になると分かりますが、琵琶湖西岸で最も東に突き出た安曇川(あどがわ)扇状地を湖岸沿いに今津までです。安曇川のほか、鴨川など大小の川が琵琶湖に流れ込んでいますが、その川を渡るたびに湖岸から離れて橋のあるところまで後退します。
安曇川は下流で南流と北流と二つに分かれており、2回橋を渡らなければなりません。
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安曇川南流河口
見事な桜並木が始まりました。この並木は6キロにわたって続きますが、下の写真はその始まりです。
県道333号線ですが、通称「風車街道」と呼びます。この先、「道の駅 しんあさひ風車村」に続いているからでしょう。桜は五分咲きから八分咲きです。
風車街道の桜並木 しんあさひ風車村風車村に着いたのが11時過ぎでしたので、ここで昼食をとることにしました。しゃれたレストランは敬遠し、池を渡ったところの小さなお店で関西風のラーメンをいただきました。美味しかった。
針江を過ぎたあたりから、札所へ参拝のため、湖岸を離れ内陸に入ろうとしますが、入り口がよく分かりません。適当に入って進みましたが、どうも道がよく分からない。
地図とコンパスで現地と照らし合わせても、私の感覚と道の方向が約45度ほどずれているような気がしてなりません(平原のたんぼ道は碁盤の目になっていて、見通しはよい)。
ちょっと冷静に、と思って道端で休んでいたら、自転車の男性が通りかかりました。早速、つかまえて道を聞きます。お寺の名前を言ったら、その方向を指し示してくれたので、どの道を通ろうと方角さえ間違わなければ行きつくはずです。
鉄道高架下のトンネルをくぐると、札所の所在する集落に出ました。
公民館の庭で、花見が酣のようです。自転車で出てきた男性に「報恩寺はどちらでしょうか」と聞くと、
「この道をまっすぐ行ったらいい」といって、
「でも、住職は今、あそこで花見をしているよ。呼んで来ようか」
「いや、結構です。誰かはいらっしゃるでしょうね」
というわけで、湖西23番報恩寺にお参りしました。続いて、湖西24番覚伝寺にお参りしました。覚伝寺のシャクナゲが見事でした。
(西23)報恩寺入口 (西24)覚傳寺山門 覚伝寺のシャクナゲとコブシ下の写真は、今津への途中で見かけたもので、鳥居に「二ツ石大明神」と書かれています。道路と湖岸崖の狭い空間に立っています。
すぐ近くに「竹生島遙拝所跡」という碑もありましたから、何か関係があるのでしょうか。
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二ツ石大明神
午後3時半、今津のホテルに着きました。本日の歩行距離19キロ。
(3)桜クルーズ、その後マキノへ(04/14)
今日は中休みのようなもの。午前中は桜クルーズに参加して、湖上から海津大崎の桜を見物しようという魂胆です。
今津港からの一番船が10:00でないと出帆しないので、朝はゆっくりし、ホテルに荷物を預け、今津港から船に乗り込みました。船は、海津大崎桜並木(約4キロ続くという)を周遊し、11:30に帰港しました。この桜並木は、「日本さくら名所100選」に選ばれています。
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湖上からみる海津大崎桜並木
「琵琶湖周航の歌資料館」(無料)などを見学し、荷物を預けていたホテルを出たのが、12:30、これから歩きはじめます。
「湖西の松林」と呼ばれる素敵な湖岸で、昼食です。
念のため記しておきますが、この辺りには、そして湖東でも感じたことですが、コンビニが容易に見当たりません。飲食店も非常に少ない。歩き旅あるいはハイキングの人は、必ず食べ物・飲料を携行することが必要です。
松林が途切れ、広い浜辺が広がるようになると、湖上に竹生島を望むことができます。
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今津浜から竹生島を望む
午後3時過ぎには、マキノのホテルに着きました。本日の歩行距離10キロ。
(4)海津大崎の桜並木を歩き、余呉湖へ(04/15)
8時過ぎ、ホテルを出発。ほどなく「海津浜の石積み」なるものに出会います。写真の説明文にあるように、風波から家宅を守るために江戸時代に築造されたものです。
今日のこの琵琶湖の湖面を見ていると、海でもないのに、このような石積みを必要とするほどの波が立つものかと、不思議に感じられますが、湖でもかなりの波は立つものだと私自身、昨年、長浜から彦根への道で、それを経験しているので、十分に納得したことです。
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海津浜の石積み
海津大崎口の三叉路を右に曲がれば、桜並木が始まります。昨日、湖上から眺めた並木です。
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海津大崎の桜並木の始まり
桜に誘われてずんずん進むうちに、ハッと思い出しました。大崎口にある札所にお参りすることをすっかり忘れていました。急いで引き返します。
桜に浮かれて札所参拝を忘れるとは。これでは霊場巡拝に名を借りた観光旅行にすぎないではないかといわれても、返す言葉もありません。
三叉路から山の斜面を登っていくと、湖西26番正行院がありました。
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(湖西26)正行院入口
10時、湖西25番大崎寺(大崎観音堂)に着きました。
多くの人で賑わっています。船着き場もあり、各所から来た桜クルーズ船でここに着岸するものもあり、しばしの散策を楽しむことができるようです。
大崎寺に登ると、その境内から竹生島を目の前に臨むことができます。
(湖西25)大崎観音堂 大崎観音から竹生島を望む大崎観音の先は、いくつものトンネルを通り過ぎなければなりません。歩道もなく、狭い道路をひっきりなしに車が行き来します。トンネルの中では懐中電灯を前に向け、路側帯を恐る恐る歩いていきます。
間もなく、この半島の東岸に出、一路北上します。依然として桜並木は続いており、桜の木は大崎観音までの桜に比べ、こちらの方がはるかに太く大きく見事です。これが半島付け根の大浦まで続くことからみると、ここ海津大崎の桜並木は全長10キロにも達するのではないかと思います。
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大崎東岸の桜並木
ここで事故が起こりました。
不覚にも、私は石につまずいて転び、顎をしたたかに道路に打ち付けてしまいました。なかなか出血が止まらず、しばし休息です。
でも、まだ先があります。元気を出して、また歩きはじめましたが、この怪我と電車の時間を気にしていて、湖北6番腹帯観音へのお参りをしないまま、永原駅で電車に乗ってしまいました。申し訳ないことです。
ここ永原駅から湖西線で近江塩津駅へ、塩津で北陸線に乗換えて余呉駅まで行き、余呉湖の旅館に泊まるという計画です。
北陸線に乗り換える頃、朝から気にかけていた雨がとうとう降ってきました。この雨は夜も止むことなく、そして翌日も余呉湖を離れるまで、強風とともに降り続きました。
余呉湖では、新聞記事で見つけた「徳山鮓」を予約しており、そこに泊りました。客室3部屋、客は10人までという小さい宿です。
夕食がすばらしかった。川魚と地元の山菜を使った料理ですが、これがとても美味で、めったに口にすことのない珍しいものばかりでした。
本日の歩行距離15キロ。
(5)最終日、余呉湖から高月へ(04/16)
朝、目覚めて外を見ると、依然として雨は降り続いています。おまけに風も強い。
予定では余呉湖を歩いて一周するつもりでしたが、宿の女将さんが車でぐるっと一周案内してあげるということで、雨も降っていることだし、お言葉に甘えることにしました。
この日、余呉湖一周のマラソン大会が催されており、その人たちを避けながら狭い周回道路を女将さんの案内で巡りました。いろんな話が聞けて、これもまたいいものだと、女将さんに感謝することです。
静かな余呉湖(04/15) 荒れる余呉湖(04/16)女将さんに別れを告げ、余呉駅から北陸線で高月駅まで電車に乗りました。高月での狙いは、湖北10番渡岸寺観音堂(向源寺)です。
駅からお寺まで立派な歩き道が整備されており、迷うことはありません。多くの参拝客でにぎわっていました。
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(湖北10)渡岸寺観音堂山門
ここに国宝十一面観音像があります。本堂とは別の収蔵庫に安置されており、拝観料が必要です。
像高は1.95メートル、後ろにまわって拝観することもできます。秀麗なお顔、腰を僅かにひねるかのような豊麗な姿態、くびれたウエスト、まことに官能的な仏さまです。
これで、今回の巡拝の旅は終わりですが、つれあいのたっての希望で、再び彦根城を訪れました。彼女は、昨年の、桜の季節には早すぎた訪れの恨みをはらしたかったようです。
本日の歩行距離10キロ。
この次は、湖南を中心に巡ろうかと計画しています。
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