びわ湖霊場巡り2

2.湖東三山を中心に


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(写真をクリックすれば、拡大します)


(1)米原からスタート(11/16)
12時少し前に、米原駅に着きました。
まずは、駅近くの湖北27番青岸寺にお参りします。
ちょうどお昼時です。着いてからすぐ、名勝の庭園を書院から眺めながら、予約しておいた精進料理を、実に長いお箸でいただきました。季節の副菜として二品、その後に湯葉巻き野菜のつけ麺です。食後に甘味まで出ました。
そして、食前に「五観の偈」を唱えなさいというご指示です。

一には巧の多少を計り彼の来所を図る
二には己が徳行の全欠を付って供に応ず
(などなど)・・・・・・・

庭園は、見事な石組みに池の水を表すに苔が用いられている(写真右下に僅かにみえます)独特なものです。

 
(湖北27)青岸寺庭園

1時過ぎに青岸寺を辞し、蓮華寺へ向けて中山道を進むうち、北陸道との分岐点に来ました。地図を頼りに北陸道の方に向かいましたが、これがどうやら間違いではないかという気がし、自転車で通りがかった女性に尋ねたら、やっぱり間違っていました。中山道の方を行かねばならなかったのでした。

 
中山道・北陸道分岐

その女性に「この辺はサルが多い。畑の作物を食い荒らして困る。あなた方も決してものを食べながら歩いてはいけません。サルに襲われますよ」
と、脅かされました。事実、畑の周りに有刺鉄線を張っているところがところどころに見受けられました。

米原高校のところから県道240号線(中山道)を進みます。紅葉のなかを気分よく進むうち、開けたところに出ました。頂上あたりに僅かに冠雪した伊吹山が見事に遠望できました。
蓮華寺も近いと思われる頃、中山道の中でも名の通った番場宿に差し掛かりました。本陣跡や旧旅籠などが軒を連ねています。

   
伊吹山を望む
中山道番場宿の標識

1時間ほど歩いて、湖北25番蓮華寺に着きました。この寺は、説明書によると

元弘3年(1333)京都合戦に敗れた六波羅探題北条仲時は北朝の光厳天皇などを奉じて、中山道を下り番場に着いたとき、南朝軍の重囲に陥り、 止むなく蓮華寺に玉輩を移し、大いに戦いたるも再び戦いに敗れ、ついに本堂前庭において仲時以下430余名悉く自刃した。

下右の写真はその墓地で、累々たる墓石の列は胸を打つものがあります。
   
(湖北25)蓮華寺山門
430余名自刃供養墓

お寺では係りの人がわれわれ2人のために境内を案内して、開祖一向上人にまつわる数々の像や絵図、また「陸波羅南北過去帳」(重文)などの宝物の説明をしてくださいました。

ここから中山道を引き返し、途中右折して北へ大回りするようにして、湖北26番西円寺にお参りしました。本堂に上げていただき、親切にもお茶の接待を受けました。

 
(湖北26)夕暮れの西円寺

すでに夕方4時過ぎで、今日の予定はここまでです。これから米原駅に引き返し、近江鉄道の電車で宿泊予定の八日市のホテルまで行きますが、彦根で途中下車し夕食を摂って、八日市駅に着いた時はすでに夜8時近くになっていました。
本日の歩行距離は、歩数計から推算するところ、約12キロでした。

(2)永源寺と湖東三山(11/17)
翌朝7時、ホテルを出ました。今回の計画では、この八日市がベースとして最適と思い、このホテルを選んだのですが、予想に反し、駅前でなく、駅から1キロほどの距離にあり、失敗したと思いました。しかし、駅前に他のホテルもなく、この選択で止むをえなかったかと思います。今日もこのホテルに帰ってきて、連泊です。

八日市発永源寺行きの一番バス(7:49発)に乗りました。今日は近江鉄道の「もみじフリーきっぷ」で、一日、電車・バスとも乗り降り自由ですから、いちいち料金を払う必要はありません。

8:30に永源寺に到着。ここは百八霊場の札所ではありませんが、名のあるお寺なので訪ねてみました。
早速、紅葉紅葉のオンパレードです。聞きしに勝る見事さです。説明は無用でしょう。写真をご覧ください。

   
永源寺総門
永源寺山門
   
永源寺法堂前庭
同左

ここから北上して「湖東三山」にお参りします。
湖東三山とは、南から順に百済寺(ひゃくさいじ)、金剛輪寺、そして西明寺の三寺をいいます。

百済寺まではシャトルバスを利用します。9:30永源寺発、9:45に湖東11番百済寺に到着しました。
700段の長い石段を登ります。登山口標高約200mから本堂350mまで、標高差150mですから、かなりの登りです。

昨日の米原の諸寺とは異なり、こちらは観光客で溢れています。
この寺は高所にあるだけに展望が素晴らしい。遠く琵琶湖まで見通すことができます。紅葉は、高所にあるにもかかわらず、少し遅いように感じました。でも、見事であることに変わりはありません。

      
(湖東11)百済寺入口
百済寺庭園入口
百済寺から琵琶湖を望む

百済寺の長い石段を下り、いよいよ今日の歩行開始です。「一日フリーきっぷ」があるので、シャトルバスを利用することもできるのですが、歩くことにします。11時、金剛輪寺に向けて、簡単な地図を頼りに歩きはじめました。しかし、道がよくわかりません。
百済寺から少し下ったところで、畑の世話していたおばあさんに呼び止められました。「あなた方は違う道に入りこもうとしている」といいます。反対の方向に行かなければならないと、この先の道順を丁寧に教えてくれました。あまりにも丁寧に細かく教えてくれるので、私は手帳を取り出し、メモしました。

おかげで迷うことなく、標識の整備された自然遊歩道に出ることができました。右手に紅葉の山々を眺めながらこの田舎道を歩くのは快適なのですが、道自体は曲がりくねっていて、直線距離にすればすぐ近くなのに、歩く距離はかなりなものになります。
名神高速道路と向かう方向は同じなのですが、私たちはこの高速道を4回もくぐりました。これみても、この遊歩道がいかに曲がりくねっているかお分かりでしょう。

おまけに腹が減ってきました。食べるものは、非常食も何も持っていません。山と違って街中だから何とかなるだろう、というのは甘い考えでした。道中、お店も食堂も何もありません。コンビニもありません。
そういえば、次の日にも感じたのですが、どこでも少し歩けば見受けるコンビニが、このあたりには全くありません。規制でもしているのでしょうか。
わずかなお茶も飲みほしてしまいました。

やっとの思いで湖東10番金剛輪寺に着きました。12:40、歩数計からみると、7キロ弱の道のりでした。
ところが、金剛輪寺の周辺には屋台の土産物屋はあるのですが、食堂などは見当たりません。田楽を買って食べ、お菓子を買って腹を満たし、これが本日の昼食となりました。

紅葉が見事です。観光客でごった返しています。
ここにも長い石段がありました。この石段の両脇やところどころ脇に入ったところに、赤いよだれかけをつけた小さなお地蔵さんが何百となく並んでいます。千体地蔵尊といいます。杉木立の暗い参道の中に、カラカラと回る赤い風車を前にしたお地蔵さんの列を目の当たりにすると、得も言われぬ感慨に襲われます。

   
(湖東10)金剛輪寺本堂(国宝)
境内の紅葉
   
庭園の紅葉
石段脇の千体地蔵尊

金剛輪寺を出たところ、ちょうどシャトルバスの出発時刻で、これに乗ってしまいました。西明寺まで2キロ少々の距離を歩くつもりでしたのに、百済寺、金剛輪寺の長い石段の登り降りで疲れてしまい、つい乗ってしまいました。

10分ほどで湖東8番西明寺に着きました。ここは前2寺と異なり、それほど多くの観光客はいませんでした。
ここも本堂は国宝です。紅葉に囲まれた三重塔も国宝で、見事なものです。

   
(湖東8)西明寺三重塔(国宝)
西明寺境内の紅葉

西明寺を辞したときはすでに午後4時を回っていました。シャトルバスで近江鉄道尼子駅まで、そこから電車で八日市駅まで、ホテルに帰りついたとき、歩数計で推算するに本日の歩行距離18キロほどでした。

(3)五個荘から安土へ(11/18)
今日は五個荘近江商人の街並みを見学し、安土・繖山(きぬがさやま)周辺の札所にお参りした後、福山まで帰宅する予定です。

八日市から五個荘駅まで近江鉄道で行き、そこから歩きはじめます。五個荘駅に着いた時はまだ8時前でしたので、通りには人影もなく、近江商人屋敷も開いていません。
藤井彦四郎邸、外村繁邸、中江準五郎邸など外から拝見するにとどめました。外村繁邸では玄関で掃除をしていた女性に頼んでちょっとだけ中をのぞかせてもらいました。
下左の写真は、「川戸(かわと)」とよばれるものです。屋敷内に水路を引き込み、屋根をかけた洗い場です。右の写真は、寺前・鯉通りに泳ぐ鯉たちです。街の中にこのような水路があるのは、とても素敵なものです。

   
近江商人屋敷内の川戸
五個荘水路の鯉

さて、ここから石馬寺へ向けて歩こうというわけですが、町はずれの店先で柿を売っているのを、つれあいが見つけました。彼女は柿に目がなく、一度にいくつ食べても下痢もしません。
早速、大きな富有柿5個も入った一袋を買い求めました。「荷物になるから止せ」といっても聞きません。では、一つだけでも減らそうとお店の人に剥いてもらって、そこで立ち食いです。

観光センターで道順を聞くべく、車の往来の激しい「きぬがさ街道」を進みますが、いっこうにそれらしい施設に出合いません。さては道を迷ったかと引き返しましたが、何のことはありません、さっき柿を買ったお店そのものが五個荘観光センターでした。
またぞろお店の中に入って行き、道順を聞きましたが、その時思いついて、ここに引き返すから荷物を預かってくれないかと頼みますと、快く引き受けてくれました。

空身で勇躍、石馬寺へ向けて出発です。2.5キロほどで湖東16番石馬寺に着きました。
阿弥陀如来座像、十一面観世音菩薩立像など数々の重文をもつ古刹です。石馬寺とは変わった名だと思って由来を聞きますと、次のような説明でした。

今からおよそ1400前の推古2年(594)のこと、聖徳太子が霊地を近江国にと、行く馬の蹄に任せて繖山の山麓あたりに来ると、馬は歩みを止めて進まないので、ここの松に馬をつないで山に登りました。
この山からの風光秀麗、瑞雲たなびくことに感動され、積年の望みをこの地に得たりとして、再び山を下りると松の木につないだ馬がそばの池に沈んで、すでに石と化していました。この霊験を見て太子は感動され、この地に寺を建立し「石馬寺」と名付けたのでした。

 
(湖東16)石馬寺境内

来た道を五個荘観光センターまで引き返しました。午前11時でした。この観光センターで鰊そばをいただき、昼食としました。
ここから繖山南麓の教林坊まで、タクシーで行くという横着をしました(当初の計画では、石馬寺から直接、観音正寺へ向けて、その裏参道を登る予定でしたが、断念しました)。
教林坊は百八霊場札所ではないのですが、紅葉がきれいだというので訪れたのです。竹藪に囲まれた小さなお寺でした。

 
藁葺きの教林坊山門

観音正寺へ向けて歩みを進めます。
「楽市」の看板を過ぎると、いよいよ登りに差し掛かります。通りがかりの家で庭木の剪定をしていた男性が声をかけてきました。「歩いて登るのか」
「そうです」と答えると
「あの山の上だよ、石段が1,200段ある」という。
目の前の紅葉した山を見上げたとき、一瞬、ため息が出ました。これは大変だ、と心を引き締めることです。

しばらくだらだらと登るうち、ついに石段がはじまりました。息を整えて登ります。
もう半分くらいまで来たかと思った頃、石段の左脇に駐車場がありました。そうか、車で来ればここから登ればいいんだ、と一瞬、損したようなような気になりましたが、でも折角、1,200段もある石段があるのだから、それを登りきるというのも意味あることだと自らを慰めながら、さらに登って行きます。

やっと湖東17番観音正寺本堂が見えてきました。確かにすごい石段でした。あとでカシミールでチェックしたところ、登り口が標高約100m、観音正寺が370mですから、標高差270mを登ったことになります。45分ほどかかりました。

下の写真は本堂です。本堂右横の山側に凄い石積みが見えますが、どういういわれがあるのか、特別な説明はありません。

 
(湖東17)観音正寺本堂

13:20、観音正寺を出発、尾根道を観音寺城址を経て、桑実寺(くわのみでら)へ向かいます。
これがまたすごい山道。これはまさに登山です。この山道に差し掛かるところで、「これより桑実寺の領地で、入山料が掛かります」という立て札があります。この辺りの広大な山林が全部桑実寺の寺領地らしい。
観音寺城址を過ぎたあたりから急坂を下る感じになり、40分ほどで湖東18番桑実寺の裏門に達しました。裏門を過ぎるとき、ベルが鳴りました。入山者のあることを知らせるのでしょう。
下右の写真は琵琶湖方面の遠望です。今春に歩いた西湖を望むことができます。

   
(湖東18)桑実寺へ下る
桑実寺からの展望

桑実寺は標高220m、ここからさらに山道を下り、石段となり、15分ほどで表参道の山門に到着しました。繖山を見上げ、あの山へ登り、そこから下ってきたのかと、久し振りに登山者気分に浸りました。

ここからJR安土駅まで2キロほどを歩き、電車に乗って帰宅しました。
観音正寺へ登る途中、歩数計を失くしてしまい、全体の歩数が分からないので、正確ではありませんが、本日の歩行距離は15キロ程ではなかったと思います。

紅葉を堪能した旅でした。来春に、湖北を中心に歩く予定です。


3.湖西から湖北へ、花の旅へすすむ

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