びわ湖霊場巡り1

1.湖北から湖東へ


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(写真をクリックすれば、拡大します)


(1)長浜からスタート(03/28)
11時過ぎ、JR北陸線長浜駅に着きました。なにはともあれ、まず腹ごしらえを、と駅前で長浜名物焼鯖そうめんを食します。大変美味でした。
いきなり観光で恐縮ですが、まずは黒壁スクエアを散策しました。旧開知学校前から北国街道に入れば、古い街並みのなかに黒壁ガラス館、黒壁美術館、味わい深い造りのお土産・飲食のお店が軒を連ね、常夜燈門もあります。

   
黒壁スクエア内の浄琳寺入口
北国街道の常夜燈門

黒壁スクエアからすぐ近くの大通寺で「馬酔木展」が開催中とのことで、つれあいが「ぜひ見たい」というので訪れることにしました。いずれ劣らぬ大きな鉢植えのアセビの数々は見事でした。大通寺は7000坪の広大な境内ですが、「びわ湖百八霊場」には加わっていません。

大通寺から、いよいよ「びわ湖百八霊場」のうち、湖北27ヵ寺17番札所(通番43番)知善院に向かいます。ここが私たちの百八霊場巡りのスタートです。
黒壁スクエアのすぐそば、長浜市街のなかにあり、長浜城の搦手門を移したという山門をくぐって、本堂にお参りします。小さなお寺で、人っ子一人見当たらず、やっと寺務所らしきところで呼び鈴を押し、ご朱印札をいただきました。

 
(湖北17)知善院山門

ここから約3キロ北東に向かって市内をシグザクに、観光案内所でもらった案内地図を頼りに、湖北15番神照寺へ向かいます。長く、やや荒れた参道の先に、本堂がありました。ここにも人影はありません。

   
(湖北15)神照寺参道入口
(湖北20)総持寺山門から境内をみる

参拝後、再び長浜市内へ向けて、3キロ以上を南行します。湖北20番総持寺に到着したときは、もう午後3時を回っていました。
ここから今日宿泊予定の駅前のホテルまで、また約3キロを歩かねばなりません。総持寺を出たころ、強い西風にのって激しい雨が降ってきました。この風はびわ湖から吹いてくるもので、私たちにとって正面からの向かい風で、歩くのに大変難渋しました。

やっとホテルに着くことができましたが、これで、私たちは長浜市内を三角形に一周したことになります。
今回は歩数計をもってくるのを忘れてしまって、正確には歩行距離はわかりませんが、12キロ程度を歩いたのではないでしょうか。

夕方から夜にかけて豊公園に出かけ、夕陽と夜桜を楽しむ予定でしたが、この雨ではどうにもなりません。この長浜の「日本夕陽百選」と「日本さくら名所百選」の観賞は夢と消えました。

(2)竹生島へ、さらに彦根へ(03/29)
今朝は、雨は上がっています。間もなく曇って来、また午後はみぞれまじりの雨となったり、目まぐるしく天候の変わる一日になりました。
長浜港9:00発の船で竹生島に渡る予定なので、その前に、前夜恨みの豊公園に出かけました。「さくら名所百選」の桜がお目当てですが、残念ながら、わずかに一輪、二輪と花開いている程度でした。

ここ数日、日本に居座っている真冬並みの寒気団のため、後でもみるように、今回の巡礼周遊の最終日04/01に近江八幡を去るまで、特別な枝垂れ桜などを除くと、ソメイヨシノは遂に「開花」することはありませんでした。

   
(豊公園)長浜城と桜並木
一輪、二輪とわずかに花開く

内陸の湖にしてはかなりの波を切りながら、船は30分後に竹生島につきました。下の写真は船上からみた伊吹山(標高1377m)です。昨日の雨が山上では雪だったようです。
帰りまで80分程度の時間があり、島内の主なスポットをめぐることができます。ここに、8世紀、行基が開いたといわれる名刹、湖北18番宝厳寺があります。写真の、船着き場を見下ろす位置にある唐門は、国宝です。

   
冠雪の伊吹山(びわ湖上から)
(湖北18)竹生島・宝厳寺唐門(国宝)

竹生島から長浜港に帰り、12時少し前、彦根へに向けて湖岸を歩き始めます。しばらく行くと、道路沿いに堂々たる大仏が戸外に立つ、湖北19番良畴寺があります。

 
(湖北19)良畴寺鐘楼堂

参拝の後、再び県道2号線に沿って湖岸に伸びる遊歩道を歩き、12時も過ぎたので湖岸に座り込み、みずうみを眺めながら、長浜港で仕入れたおにぎりで昼食としました。

天候があやしくなってきました。昼食もそこそこに雨具をつけ、完全武装で再び歩きはじめますが、湖から吹きつけるみぞれまじりの強い風に吹き飛ばされそうです。 雨は、米原駅への分岐点あたりで止みましたが、風は依然として強い。
防波堤が築かれているところもありますが、波はそれを超えて遊歩道まで打ち寄せてきます。これは瀬戸内海よりひどい。あたかも四国遍路みち、土佐55号線の如し。にもかかわらず、この道を「さざなみ街道」と申します。
ー―辞書で調べてみたら、「さざなみ(細波、漣)」とは、「細かに立つ波」という意味のほかに、「びわ湖の南西岸地方、また近江国の古名」とあります――

とにもかくにも、彦根城に向けて歩き続けます。13キロも歩いたでしょうか、やっとの思いで彦根城の東にある湖東5番(通番58番)北野寺に到着しました。と思ったら、神社でした、北野神社。神社の広い境内を探し回りましたが、何のことはないその隣に境界も定かでなく北野寺がありました。

 
(湖東5)北野寺本堂

寺務所の前に掲示がありました、「北野神社の社務所は、あちらにあります」。きっと私のように迷う人が多いのでしょう。
彦根市から先は、湖東地域に入ります。

北野寺から大きな彦根城の南側中堀に沿ってお城を廻り込むように、約2キロを歩き、駅前のホテルに着きました。本日の歩行距離、約15キロです。少しばかり、足を痛めてしまいました。

(3)彦根市内を巡る(03/30)
今日は当地に滞在し、市内の札所を巡り、あとは彦根城を訪ねる予定です。
朝8:30、まず彦根市街東端の高台にある湖東6番天寧寺を訪ねます。登り口が分からず、通りがかりの女性に「天寧寺にはどこから入るのでしょうか」と尋ねましたら、
その女性は一瞬「?」顔。
「ああ、五百羅漢さんですね。それはこの道を・・・・・」と親切に教えてくれました。地元では、もっぱら「五百羅漢」という名で親しまれているそうです。

大きな明るいお寺でした。五百羅漢も拝観しました(これには、拝観料が必要)。
石庭もよかったが、何よりも彦根城下町とその先のびわ湖、さらには対岸の比良山地まで見渡すことのできる展望が見事でした。下の写真の、ところどころに雪を被った比良山地を識別していただけるでしょうか。

   
(湖東6)天寧寺本堂
天寧寺から彦根城下・比良山地を望む

来た道を戻り、今度は北へ向かいます。道が分かりにくく、住宅地に迷い込みながら、でもなんとか石田三成の佐和山城址の麓にたどり着きました。
ここに並んで建つ札所、湖東2番龍潭寺、同じく湖東3番清涼寺があります。
いずれも井伊家ゆかりの寺院で、ともに広い境内をもっていますが、趣は全く正反対です。龍潭寺は深い森のなかの森閑とした趣、清涼寺は広々と明るい感じです。
龍潭とは「龍の住む深い淵(勝手な解釈ですが)」という意味でしょうし、清涼は「さわやかに涼しい」ことですから、まさに名は体を表すとはこのことかと思います。

龍潭寺では、本堂に入るなり、いきなり巨大な達磨、その前に無数とも思える(3,000個とのことです)大小のだるまさんが並べられています。ちょうどその並べる作業中に行き合わせました。なんでも4月1日、2日と「だるままつり」が行われるとのことで、その準備中でした。
なぜ、だるまか?――禅宗の始祖、達磨大師の縁起にあやかりたい思いとのことです。

このお寺では、そもそも入山するのに拝観料を必要とします。このようなことははじめてのことでしたが、それだけの価値はありました。方丈南庭の枯山水、書院東庭の泉庭、いずれも見事なものでした。

   
(湖東2)龍潭寺方丈南庭
(湖東3)清涼寺本堂

清涼寺ではご朱印をいただく寺務所がどこにあるのか分かりません。ちょうど参道で草取りをしていた若い女性に聞きましたら、「いま、お留守なんですけど」といいます。がっくりしたような顔をしていたのでしょう、「ちょっと待っていてください」と奥へ引っ込んで行きました。
しばらくすると、僧侶が一人出てきて、無事、朱印札を貰うことができました。四国遍路と違い、簡単にはご朱印が手に入らないこともあり、まだこの巡礼コースがポピュラーになっていないのだな、と感じました。

湖東1番長寿院、同4番長久寺も予定していたのですが、日頃の鍛錬不足(と、ウオノメの処置不良)が災いして、足が痛くて、これらのお寺の参拝は今回はあきらめ、あとは彦根城の見学ということにしました。

彦根城に到着したのは昼少し前でした。平日にもかかわらず、多くの観光客で賑わっています。残念なのは、名物の桜が開花していないことです。
予報では、今日あるいは明日あたりが「開花宣言」の予定なのですが、この寒さのなかでは桜も蕾はいっぱいに膨らんではいるのですが、開花には到らないようです。
桜名所に来ながら桜の花に出合えないとは、誠に残念。つれあいは一輪、二輪の花を求めて、カメラを携え狂奔。
最低気温が0℃あるいは1℃、最高気温が10℃に満たない天候では、嘆いても仕方ない。

世界遺産であり、数々の国宝・重文をもつ彦根城については、私がうんぬんする必要はないでしょう。玄宮園から望む彦根城の写真を1枚掲載しておきます。

 
玄宮園から彦根城を望む

夢京橋キャッスルロードをしばらく散策したのち、少し早めにホテルに歩いて帰りました。
今日の歩行距離はどのくらいになったでしょうか。正確には分かりませんが、10キロほどは歩いたでしょうか。

(4)彦根から近江八幡へ(03/31)
当初の予定は、この彦根から湖岸ロードをたどって近江八幡長命寺港にいたり、そこから内陸に向けて近江八幡市まで歩くというものでした(予想行程 28キロ程度か)。
しかし、足が痛くて、とてもこのルートを歩き切れる自信がなく、急遽、計画変更し、JR安土駅(近江八幡の一つ手前)まで鉄道で行き、そこから「西の湖」の北側をぐるっと回って近江八幡にいたるというルートに変更することにしました。
「それなら、安土城址へ行きましょう」とつれあいがいうので、当初計画になかった安土城址を訪ねることにしました。

朝7:41 彦根駅から電車に乗り、安土駅で下車。駅に詳細な案内図が置いてあり、それを頼りに安土城址入口に着いたのが、8:40。
入口には柵がしてあり、カギがかかっています。掲示をみると、9時開門で、入山料が500円とあります。どうしたものか、と悩んでいたら、ちょうど工事の人が来て門を開けてくれました。
入口の受付に入山料2人分1,000札を置き、飛ばないように石で重しをし、ザックを待合室のベンチに残してサブザックで、時間前ですが入山させてもらいました。登っていくと、間もなく上の方から係りの人(山腹にある總見寺が管理している)が降りてきました。事情を話ししますと、「帰りに寄ってください。案内パンフレットを差し上げます」ということで、そのまま登り続けました。

この道は大手道といい、終始、石段が安土山(標高199m)の天主跡まで続きます。石段の両側、城郭のいたるところに巨石を積み上げた石垣があり、これだけ多くの石をどのようにして運び上げたのか、想像を絶します。石段の踏み石のなかにはお地蔵さんを刻んだものもあり、どこからか持ってきて転用したのでしょう。
これらの石積みや天主・本丸などの礎石を見ただけでも、当時の安土城の雄大さがしのばれます。
天主跡に立てば、すぐ下にこれから歩こうとする西の湖が見え、びわ湖も望むことができます。

   
安土城址の大手道石段
天主跡から西の湖を望む

帰りは、総見寺跡、消失をまぬかれた三重塔(重文)を経て、入山受付所まで下って行きました。ここまで、往復1時間30分。

安土城址受付でもらったドライブマップを頼りに、西の湖湖岸からサイクルロードを歩きます。すばらしい桜並木の道がありますが、まだつぼみのままです。
西の湖東南端から左にヨシ原をみながら湖岸を延々と歩きます。途中、びっくりするような風景に出合いました。ヨシ原を焼いているのです。盛んに燃えあがる火炎は恐ろしいほどです。

   
西の湖北岸を歩く
西の湖ヨシ原焼の炎

大中で左折、西の湖北岸の車道下の歩道を歩き、丸山の観光船乗り場で再び左折、県道26号線を近江八幡に向けて歩きます。
長命寺は、ここ丸山から反対方向に3.4キロとあります。足のことを考え、長命寺は明日、バスでお参りすることにして、とりあえず近江八幡市街へ急ぐことにしました。

午後1:45 八幡宮に到着しました。大勢の観光客で賑わっています。彦根城でも感じましたが、ここでもなぜか若い女性やカップルが多い。若い人たちも神社仏閣や城郭に興味をもつ、そういう時代なのでしょうか。
とりあえず八幡山ロープウェーに乗って、湖東20番村雲瑞龍寺へお参りします。

 
(湖東20)村雲御所瑞龍寺の山門

ロープウェーで下山したのは、2:30で、まだ早いのですが、八幡堀周辺の観光は明日に廻し、予約している駅前のホテルに向かうことにしました。
今夜が今回の旅の最後の夜なので、少しばかり奮発して近江牛の鉄板焼きとすることにし、美味しく頂きました。本日の歩行距離は15キロ程度です。

(5)近江八幡を歩き、のち帰宅する(04/01)
荷物をホテルで預かってもらい、なにはともあれ、昨日からの宿題となっている湖東19番長命寺へ向かうべく、駅前からバスに乗りました。
乗り合わせた乗客は次々と降りて行き、終点の長命寺までは私たち2人だけでした。バスは40分かかりました。やはり、バスにしてよかったと、意気地なさを棚に上げて、意思決定の正しさを確認したことです。

団体客がいるらしく、観光バスが1台停まっており、数人の女性が登り口の土産物屋をひやかしています。聞けば、皆はもう登って行った、私たちはここで皆が帰ってくるのを待っているのだ、とのこと。実に、808段の石段ですから、無理もない。
この808段は、確かにすごい。四国の金刀比羅さんの石段もすごいが、それをはるかに上回ります。

上にあがれば、びわ湖の展望などさすがです。そして、帰りに気がつきました。本堂を少し下った808段の最上段、聖徳太子礼拝石のところまで車道が来ており、麓の入口からタクシーがシャトル運行しています。多くの人がこれを利用していました。

   
(湖東19)長命寺石段登り口
(湖東21)願成就寺境内

再びバスに乗り、近江八幡の八幡堀まで帰り、湖東21番願成就寺にお参りしました。境内中、探し回りましたがお留守で、ご朱印札を入手することができませんでした。

――後日のことになりますが、その旨、お寺にお手紙を差し上げたら、ご親切にもご朱印札とお寺の案内パンフレットなど郵便でお送りくださいました。また訪れる機会があれば、そのときは秘仏を開扉してくださるとか、ありがたいことで感激しました――

桜もやっと開花し始めましたが、今日はもう帰らなければなりません。
八幡堀周辺で、郷土民俗資料館、旧伴家住宅、旧西川家住宅などを見学し、美味しい近江牛カレーライスで昼食の後、2時少し前の電車で京都経由、帰宅しました。
この日の歩行距離は、長命寺石段を含めても4キロ程度でしょうか。

この「びわ湖百八霊場」は、札所の位置・配列が四国遍路に比べ複雑で、単純な一筆書きのようにたどることができません。今回経験したように、どこかを拠点として放射状に行き来するか、その拠点からループをいくつか描くような形を取らざるを得ないところが多々あります。
その意味では、車で巡るにはそれほどでなくとも、歩きで通そうとすると相当に苦労するでしょう。よほど綿密な計画が必要かと思います。

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2.湖東三山を中心にへすすむ

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