Part 1 | Part 2 | Part 3 ||| Books | Home

William S. Burroughs in "Fool's Mate" : Part 2


「時」欄の日付は、雑誌や本に関しては奥付の記載に従う。

「記述」欄の引用はすべて『フールズ・メイト』から。誤字・脱字等はそのまま引用し、[ママ]と注記した。バロウズの登場箇所をボールド化したのは引用者である。[……]は中略を表す。

よく出る略語。


[27〜42号]:"RE/Search" のバロウズ・インタビュー訳載まで

記 述補 足
27号

1983年6月

23スキドゥは去年の夏に分裂し、ラスト・フュー・デイズとこの新生23スキドゥの2グループを生んだ。バローズの反言語の哲学に傾倒し、テンプル・オブ・サイキック・ユースの有力なコラボレーターでもあるフリッツ・ハーマン率いるスキドゥの新作は、ちょうどサイキックTVの映像作品を思わせる厳粛なチベッタン・ベルと笛のアンサンブルで幕を開ける。

■北村昌士、23Skidoo "The Culling Is Coming" のレビュー、85ページ。

またも出ました23スキドゥ。

「終末の音楽」とか「世紀末の黙示」とか、日本ではいまだにキワもの的興味でしか扱われていないサイキックTVの思想あるいはそれと密接に関連しているウイリアム・バローズやアリスター・クロウリーなどの芸術家やオカルティストに私が心惹かれてやまないのは、彼らが早くから言葉や情報や感覚に対するオルタナティヴな可能性に対峙し、こうした単一的・唯物的な言語機能と対決し、同時におしなべてこれらを拠りどころとする近代世界と厳しく闘ってきたからだ。

■北村昌士「Last Words」、96ページ。

編集後記。PTVとしっかり「密接に関連」させられてしまってる。

28号

1983年7月

理性的な知の領域に、このような反理性 (アンチ・ロゴス) の世界を真正面から対峙させる試みが、60年代カウンター・カルチャーに底流するひとつの重要な芸術の方法論であった。サイケデリックはいうまでもなく、ジョン・ケージの作業やウィリアム・バローズのカット・アップ、フリー・ジャズ、即興音楽、コンセプチュアル・アート、パフォーマンス、現代詩、ネオ・ダダイズムなど、いわゆる<前衛芸術>と呼ばれるあらゆる表現形式が基本的には<理性―反理性>の対立条項を思想的な拠りどころとして発達したのである。

■北村昌士「タンジェリン・ドリーム」、46ページ。

19号辺りで書いていることと大差はない。

この後しばらくバロウズは登場しなくなる (ネタがなかったのか、北村昌士に原稿を書く余裕がなかったのか)。

32号

1983年11月

「編集発行人=北村昌士」のクレジットが消える。

33号

1983年12月/1984年1月

水上はるこによるサイキックTVのインタビュー。バロウズの名前は出てこない。

39号

1984年11月

ロンドン・オルタナティヴ・シーンの原点ともいえる幻のレーベル "インダストリアル・レコード" が遂に登場!! 1976年から1981年にかけてスロッビング・グリッスルが運営した "インダストリアル・レコード" の貴重な作品を編集したファン待望の貴重なアルバム!!

■『インダストリアル・レコード・ストーリー』(SMSレコード、SP25-5145) の広告、48ページ。

バロウズ「今は何も……」収録。

40号

1984年12月

ここから版型が小さくなる。

FMは穴蔵の様なスタジオで新しいノイズを探求し、様々な音を加えていく。カエルを絞め殺し音を入れる。そんな時、一人の老人 (W. Burroughs) が彼に一本のナイフを渡す。そこにはこの様な活動を行っている地下組織の存在が暗示されていた。

■映画 "Decoder" の紹介、6-7ページ。

スティル写真付き。

久々登場。

この手法の開拓者は、知っている人も多いと思うけど、ウィリアム・バローズとブリオン・ジサンというふたりの気違い爺さんである (ただし、その理論や内容は、ここに表わされているよりも遥かに深遠で複雑だ)。彼らは言語のもつ情報とメッセージの作成機能の大もと (発話者) を、<わたし>でも<あなた>でもない隠された何かに託そうとしたのだ。つまり人間の思考ではない何ものかの思考へと……ヤハヴェ……それともエイリアンだろうか? バローズとジサンについては次号で詳述する。

■北村昌士「クリプト戦記」、60ページ。

「この手法」とはもちろんカット・アップのこと。予告通り、次の号にバロウズのインタビューが掲載される。

この頃の北村昌士の書きものは大仰で妄想どっぷりなとこが魅力。「その理論や内容は、ここに表わされているよりも遥かに深遠で複雑だ」という辺りの思い入れ、次号のインタビュー訳註にも反映される。

41号

1985年1月

このインタビューは、米国の急進的カルト雑誌『RE/SEACH』[ママ]の#4/5に掲載された『William Burroughs Interview by Vale』の抄訳 (一部省略) である。同誌の発行年月は1982年の暮だが、インタビューの日時は明らかにされていない。内容からみて82年の前半ではないかと推測される。

■「ウィリアム・S・バローズ・インタビュー」、三谷理恵訳、49ページ。

これが問題のインタビュー。8ページを割いた堂々たるもの。内容については別稿を参照

『RE/SEACH』→『RE/SEARCH』。
こんなとこで間違えてどうする……

70年代後半から現在に到るアンダーグラウンド・ロック・シーンの中で、インダストリアル・ミュージックからノイズ・パフォーマンスへと国際的に展開した一連の動向がある。今、それらを回顧する時、そこに通底する幾つかの共通コードの中から、神秘化された二人の名前が現われる。
 ウィリアム・S・バロウズとアレイスター・クロウリー。

■秋田昌美「Musick and Noise」、57ページ。

これが問題の秋田昌美のエッセイ。 これも詳しくは別稿を参照。

「TGの中ではクロウリーとバロウズの両者インクルーエンス[ママ]が巧妙 に結びつけられていた」(57ページ) という件などが要注意 (多分「インフルー エンス」の誤植)。

マーク・スチュワートのマフィア、チャールズ・ヘイワードのザ・カムバーウェル・ナウ、それにウィリアム・バローズの朗読と、硬派ぽい趣味の編集オムニバス盤 (ただしアイレス・イン・ガザのテイクは残念ながら聴くに堪えない駄音です)。[……]。バローズのテイクはバックの音響が凝っていてまずまず。

■北村昌士、Various Artists "Myths Instruction 1" のレビュー、80ページ。

欲しかったなあ、このレコード (バロウズよりも、マーク・スチュアートとキャンバーウェル・ナウが聞きたくて)。見つけられなかった。
42号

1985年2月

カット・アップの方法とは、書き手によるコラージュなのだ。

ウィリアム・S・バローズ「ブリオン・ジサンのカット・アップ・メソッドについて」、53ページ。

"RE/Search" #4/5 収録のエッセイの翻訳。編集構成=Korpus Crypte (北村昌士)。インタビューに引き続き、こんなものもひっそり訳載されている。

『バロウズ本』で山形浩生が、

とはいえ、いいかげんな物言いが出回るのも、基本的なテキストが読める形で出回っていないからである。ここで出回らせる。そもそもカット・アップとは何か。畳み込みとは何か。それが何を産むか。バロウズ自身に説明させるとしよう (50ページ)。

と書いて同じエッセイ (柳下毅一郎訳) を収録してるけど、実はちゃんと出回っていたのだ。

とはいえ、例によって危うい翻訳。適当に訳し漏れはあるし、「ランボー」であるべき箇所が軒並「シェイクスピア」で置き換えられてるし (謎)、カット・アップ部分は原文そのままコピーで済ませてるし。



[43〜60号]:映画『バロウズ』の公開へ向けて

記 述補 足
43号

1985年3月

巨大な解体機械アメリカ。ちりのように細かく粉砕された一次的現実が大気に吹き上げられて勝手にキラキラと輝き出し、そこには一個の幻想的な劇場がつくられる。それはSFX映画のつくられる過程にとてもよく似ている。が反面では、ウィリアム・バローズのSF小説のようなめちゃくちゃな無法則、無機制性そのものである。

■北村昌士「クリプト記 系列G」、49ページ。

「エイリアン、あるいはウィリアム・バロウズのタイプライター」と題された後半は、リオタールを援用し、『エイリアン』を引き合いに出したバロウズ論。

珍しく洋書の紹介。RE/SEARCH 8・9合併号。バラード・フリークの皆さん、出ましたよ。日本じゃディックに押され気味の御大も、インダストリアル・カルチャーの中ではバローズに追いつき追い越せと言わんばかりに病筆をふるっておりやす。ボードリヤールも自著で触れていた、『CRASH』も含めて小説8本、インタヴュー3本、ノンフィクション9本に、バローズからの寄稿、バラード自作のコラージュなど盛りだくさん。

■書評コーナー、65ページ。

"RE/Search" のこの号からは、後にバラードのインタビューが大々的に訳載されるのであった。「バローズからの寄稿」というのは『残虐行為展覧会』アメリカ版の序文のこと。

44号

1985年4月

たとえばアルチュール・ランボーやウィリアム・バローズの言語空間の<怪物的>である理由、H・R・ギーガーやフランシス・ベーコンの絵画にみられる<怪物的>な強烈さ。それらは顔や名前といった分類可能な固有性の範ちゅうではなく、むしろそのような事態とはまったくかけ離れた多義的で多様な活動、また規定も解釈も意味化も不可能なけっきょくはまったくの暴力でしかないような状態と領域においてくり広げられる活動としかいいようがないために<怪物的>なのであって、それ以外の理由でそう考えられているのではない。

■北村昌士「クリプト記 系列H」、55ページ。

この号でもカット・アップにこだわっている。

45号

1985年5月

──具体的にどういったものに興味をもつのかな。
M:僕は大抵50年代から60年代にかけてのくだらない雑誌や恐怖物を探し回っているよ。好きな本はバロウズの『Wild Boys』、ジョン・レキイの『Vampire』だ。『The Plague Pit』や『Dog Plague』のような本もいいよ。僕がどんな人間なのかを知るにはいいヒントになると思うよ。

■「マーク・アーモンド・インタヴュー」、13ページ。

インタビュアーはクララ・ドレッシュラー、文・構成は石井孝浩。

──バロウズは?
A:大好きさ。昔インタヴューもしたし、彼の詩をポルトガル語に訳して出したこともあるよ。ただ最近のはおもしろくないけど。

■「アート・リンゼイ・インタヴュー」、29ページ。

インタビュー・構成は吉川英。

4月12日づけの『朝日』の一面をみて驚いた。この計画を大きく推進させると目される新型の超大型レーザー・ビーム兵器の名は「ノヴァ」というのだ。以前から某氏よりウィリアム・バローズはNASAの開発局と深い関係にあるときいていたのだが、それがこれほどあけっぴろげになるとは……。もはやSFと現実の間には別段の差異や境界はないのである。

■北村昌士「クリプト記 系列I」、60ページ。

妄想入ってるな。バロウズとNASAの深い関係なんて聞いたことないけど。

46号

1985年6月

蛇足ながらヘロインをつづけざまに5、6本射ち込んで、大音響でルー・リードの『メタル・マシーン・ミュージック』を休みなくかけると、誰でもシスターズ・オブ・マーシーのイノセンスがわかるようになるだろう。これはほんとうだ。ドクター・バローズも保証している。

■鬼形礼「The Beat Gens of Death」、34ページ。

勢いで書かれた、WSBとは無関係な一文。

「ドクター・バローズ」っていうと、同名のカットアップ作成ソフトウェア (正確には「ドクター・バロウズ」) を思い出す。

「ネブラスカでのライヴはおもしろかったよ。バロウズが来てくれてね」

■「Neubauten in Japan」、ブリクサの発言、59ページ。

文・構成、石井孝浩。

インタビューでのバロウズへの言及 (つまりバロウズ関連の質問) が増えてきている。52号のインタビューも参照。

47号

1985年7・8月

そのあまりの危険な表現のため、アメリカでは初版が裁断処分された。序文はウィリアム・バローズ

■「J・G・バラード・インタヴュー」、60ページ。

43号で書評済みの "RE/Search" #8/9 から抄訳された、SPKのグレアム・レベルによるバラードのインタビュー。深津なおみ訳、北村昌士+式場隆成・構成。

このロング・インタビュー訳載もまた『フールズ・メイト』の密かな功績の一つ。個人的にはこちらの方が衝撃的だった。3回分載 (48、53号) で計21ページを費し、バロウズ以上に大きな扱いである。翻訳もバロウズ・インタビューに比べると安定している。

引用部分はバラードの『残虐行為展覧会』(アメリカ版のタイトルは "Love And Napalm: Export USA") についての註。

48号

1985年9月

好きな本はウィリアム・バローズの『ワイルド・ボーイズ』、ジョン・レッキィの『ヴァンパイヤ』、そしてジョルジュ・バタイユの『眼球譚』、マルキ・ド・サド『ソドムの120日』など──彼は正真正銘の芸術青年、つまりアーティストなのである!

■北村昌士「聖マーク・アーモンドへの永久反復的接近」、29ページ。

マーク・アーモンドも『フールズ・メイト』のアイドルの一人だった。

49号

1985年10月

だからオマエのような犬とは逆に、ニック・ケイヴは永遠の子供であり、野性の狼であり、したがってロック・ミュージシャンなのだ。[……]。未訳だが、ウィリアム・バローズが『ワイルド・ボーイズ』という小説のなかで、このような人々のことをつぶさに書いている。

■鬼形礼「ニック・ケイヴ」、5ページ。

ニック・ケイヴ初来日決定記念の檄文。「オマエ」というのは、当時『ロッキン・オン』のライターだった岩崎真のこと (ニック・ケイヴを巡って喧嘩してたのである)。

今はまだ機械部の耐久力に問題はあるが、デレク・ジャーマンや他の俺と同世代の人間、もっと若い年代の者は、切りきざんだり、回転を速くしたり、ダブらせたりと、ビデオテープをカットアップするアプローチを行っている。"真実の意味が何であるかを探りだせ" ──このバローズのテーゼに俺は非常にエキサイトしている。

■「サイキックTV・インタヴュー」、28ページ。

久々登場のジェネP。インタビュアーはM・チャールズ、文・構成は石井孝浩。

「TG以来、生きながら伝説化された存在、ジェネシス・P・オリッジにはあらゆる非難、あらゆる賛辞がまとわりつく。しかしそれだからこそ、チャールズ・マンソン、ジム・ジョーンズ、そしてウィリアム・S・バローズの聖痕を受肉した男の「非常事態宣言」に耳を傾けるべきなのだ」という叩き文句付き。

50号

1985年11月

更に66年に発表された原版が大幅な削除を強いられているために、完全版に近い形とはいえ、文中に唐突に出てくる3ヶ所の空白と、劇中劇ならぬ文中文との相乗効果はバローズのカット・アップによる影響をも思わせる、というひさびさのヒット作。

■吉川英、ディック『テレポートされざる者』(サンリオSF文庫) の書評、78ページ。

珍しく正統派な (文学方面な) 使われ方です。

1985年11月増刊号

1985年11月

いかがわしくも壮絶に働くバロウズ (アメリカ、『裸のランチ』『ソフト・マシーン』等) のグラムマシーンとは、二進法の機械として抑圧的に働こうとする言語や情報という権力装置を、捕捉し合う異時界間における結婚、非対称的な塊と塊との出合いという武器によってぶち壊そうというシロモノ―CUT UP!気の遠くなる程の悪に満ちた彼の気鋭とこの言語統辞法は、文学、絵画、音楽など幅広いフィールドにわたって多大な影響を与えている。

■目次での紹介文、152ページ。

『The Wild Documents』という名の増刊号は写真集である。ミュージシャンに混じって何故かバロウズ登場 (非ミュージシャンでは他にSRLのマーク・ポーリン等)。序文に『爆発した切符』からの引用も。

『フールズ・メイト』の真骨頂発揮の惚れ惚れするような煽り文句だ。

51号

1985年12月

とうとう、やっと、何とか、出ました本誌初の臨時増刊号「ワイルド・ドキュメント」。楽屋落ちじゃあないケレド、もう手にとって見た? D-DAYからバロウズまでランダムな全136アーティスト収録の超豪華版だ。

■「VOX VIEW」、50ページ。

ゴシップ欄の宣伝記事。

ポスト・インダストリアル系アーティストのみならず、M・アーモンド、ストロベリー・スイッチブレイド等とも活動を行う一方でアイスランドへの渡行、バロウズとのイベントなどのハード・コンセプチュアルな活動も両立させたこの20世紀ロックシーン最後のカリスマが日本にどのような痕跡を残していくのかが期待される。

■「VOX VIEW」、サイキックTV来日速報、52ページ。

1986年1月
『WAVE』5号

■『WAVE 5 メタフィクション』、ペヨトル工房。

「W.バロウズのサブ・ヴォーカリゼイション」と題する坂本龍一+武邑光裕の対談他を収録。

いわゆる「バロウズ神格化勢力」の筆頭格。

「武邑●バロウズは特にこの十年程の間に、いろいろなミュージシャンに影響を与えてきたわけでしょ。そういうことから考えると、いままでは単にビートとかドラッグという側面だけで彼の神話的な存在感というものが形成されてきたけれど、実はもっとラディカルなテクノロジーのエッセンスみたいなものを彼らはバロウズから抽出してきたのではないかと思います。単にビートとか生きざまそのものを祭るんじゃなくて、むしろバロウズのシステムみたいなものを非常に貪欲に抽出してきた部分が出てきてるんじゃないかと思います」(16-7ページ)。

52号

1986年1月

言語の閾には幻影しか存在しない。ウィリアム・バローズが「ウィルスの悪夢」と呼んだ可逆性の勢力、配分された妄想、低級であればあるだけ自由と感じるようなある種のネットワークが厳密に他を排除する。これはアンチ自然淘汰の原則ではないのか。

■北村昌士「悪夢の戦場──サイキックTV来日」、3ページ。

サイキックTVの来日を迎え撃つ文章。

ことし25才になったというジョブソン。デュラス、バロウズ、ランボー、ルー・リード、レナード・コーエンといった名前が矢継ぎ早に飛び交う中で、今の彼は言葉を信じポップ・ミュージックを愛し、そして友人を思う優しさに満ちていた。

■能野哲彦、7ページ。

リチャード・ジョブソン論。

──初来日時に、アメリカでのライブにバロウズが来たと聞いたのですが、その話をもっと詳しく話して下さい。
B:彼のマネージャーに会ったんだ。カンザス・シティでライブを演った時、彼がそこに住んでいることを知らなかったんだ。それで、「何故、ゲストに招待しなかったんだ」って、マネージャーが訴えに来たんだ。知り合いなんだから、当然だろうってね。
──実際には会っていないんですか。
B:ムフティ (F・M・アインハイト) が知っているんだ。『デコーダー』で共演しているからね。だけど、私は会ってはいない。個人的には、あまり好きではないんだ。ただ、彼の息子が書いた本『スピード』は凄く気にいっている。

■「ブリクサ・バーゲルト・インタヴュー」、39ページ。

インタビュー・石井孝浩、構成・たいとしはる、通訳・小笠原靖子。

さすがへそ曲がりのブリクサ (46号での発言を参照)。バロウズJr. が好きってのもウケ狙いじゃなくて本気かと思われる。

53号

1986年2月

──ああしたフィルムのセレクションなどから、あなたのサブ・カルチャーへの傾倒が感じられたんですが、例えばウィリアム・バロウズのような作家には興味がありますか。
J:彼については何もしゃべりたくないね (笑)。

■「ジム・フィータス・インタヴュー」、24ページ。

インタビュー・文は石井孝浩、通訳は溝口彰子。聞き手がバロウズについて話させたがっている例。

──他に好きな作家は?
M:P・K・ディック、J・G・バラード、ウィリアム・S・バローズ

■「モンテ・カザザ・インタヴュー」、52ページ。

ここまでど真ん中な回答も案外珍しい。

54号

1986年3月

ボルヘスならともかく、バロウズなんて今の日本のどこに読者がいたりするんだろう (いたら顔が見たい)。というのも初めてまとまった形の作品集が訳されたこの人、先の二人に代表される実験的スタイルを自在にかつポップに操る、なかなかにしたたかな現代作家なのである。

■永田久、ジョン・スラデック『スラデック言語遊戯短編集』(サンリオSF文庫) の書評、84ページ。

『フールズ・メイト』の書評コーナーで取り上げられるのは大体、SF、 映画本、コンスピラシー物、マンガ、現代思想系。

55号

1986年4月

──Qが音楽から少しハズれるけど、作家なんかではどんな人が好き? ベケットやジュネは好きかな。
M:ベケットはそうでもないけれど、ジュネは好き。バローズは「WILD BOYS」が好きだけど彼の作品全部が好きという程でもないな。

■「マーク・アーモンド・インタヴュー」、16ページ。

インタビュー・文は阿部曜、通訳は溝口彰子。

カヴァー・アートにキース・ヘリング、ダブル・ジャケットの内側とスリーヴにはバロウズ、ブリオン・ジシンがバンバンに御登場、収録アーティストにバロウズ、マイケル・ギラ、ソニック・ユース、ダイアマンダ・ガラス、コイル、キャブス、デビッド・ヨハンセン、ハスカー・ドゥ等全11組、とメンツをながめただけで目の玉がひっくり返るヒトもいるだろうが、オムニバス物の一般的なコンセプトである「アーティスト紹介」のレコードというよりも、むしろマニア向けの色彩の濃い一枚。

■石井孝浩、"A Diamond Hidden In The Mouth Of A Corpse" のレビュー、104ページ。

ディスク・レビューへの登場は久しぶり。

56号

1986年5月

A・ハックスリーの『知覚の扉』を始めドラッグの意識拡大の作用は多くのテキストに書かれているが、一方でバロウズの『ジャンキー』という私 (?) 小説の存在も忘れてはならない。

■たいとしはる「Six Six Sixties」、41ページ。

60年代を振り返るエッセイにおける意味のない言及。

──狂気とか異常といわれるものごとに関してはぼくもたくさんのことを考えました。ここでそれをぜんぶいうのはちょっと不可能だけど、もともと自分がそういうものにすごく魅せられやすいっていうか、ちょっとおかしなところがあったし、まあサイキックTVやW・バローズを好きになることじたいが一種のキチガイみたいなものだしね (笑)。

■北村昌士、ジェネシス・P・オリッジとの対話、52ページ。

いや、バロウズを好きになるって、別にそういうことじゃないような (笑)。

[……]メッセンジャー役のW・S・バロウズなど今までFMが扱ってきた大物級が揃いぶみ。

■石井孝浩、"Decoder" のサントラのレビュー、106ページ。

57号

1986年6月

一方、先鋭的文化状況に深い影響を与え続けているもう一人の巨人、ウィリアム・S・バロウズの伝記映画「バロウズ」の日本初公開が5/17に京都文化センターで浅田彰、武邑光裕のトーク・インとのカップリングで行われる。

■石井孝浩「Cult Films Special」、8ページ。

「アレン・ギンズバーグが弁護士、W・S・バロウズがマフィアのボス役でそれぞれ出演」の『映画を探して!』も紹介されている。

58号

1986年7月

また、読書家としてもジェフリーに共名[ママ]できる作家名を尋ねると、大方の予想通りW・バロウズ、J・ジュネ、H・ミラーなどを掲げてくれた。

■「ジェフリー・リー・ピアス・インタヴュー」、7ページ。

インタビュー・文は柳瀬伸子。

59号

1986年8月

──H・ブルックナーの「バロウズ」でWSBがゲイ批判者を撃ち殺してやる、と酔ってピストルをふり回すシーンが出てきますね。
W:そういう政治は大好きだ。そういえばバロウズの70歳の誕生日パーティはおもしろかった。

■「ジョン・ウォーターズ・インタヴュー」、8ページ。

石井孝浩・構成。

所謂広義のインダストリアル・エリアに於けるバロージアン、クローリー主義者によるカット・アップからリチュアル・ノイズへ到る道程、或いはアンチ・ヒロイズムを核にしたパワー・エレクトロニクスの展開、それらに於けるミスティックな衝動については以前述べた。

■秋田昌美「オカルト音楽の最新事情」、44ページ。

41号の文章を指している。

アレン・ギンズバーグを弁護士に、ウィリアム・バロウズをマフィアのドンに、そして他にはビル・ライス、どういうわけか作家の戸井十月まで配したバークハート初のこの長編作は、とある若い映像作家が自分の作品を盗まれたことに端を発す。

■石井孝浩、ヴィデオ『映画を探して』のレビュー、111ページ。

60号

1986年9月

この秋、到来が予想される本格的なバロウズ・ムーヴメント。ビデオ・ソフトというかたちで "動く" 神様が待機中だ。既にWSBがゲスト出演しているJ・バークハートの「映画を探して」がリリースされているが今秋には、先頃PFFのオープニング・イベントで未曽有の観客が突めかけた[ママ]ハワード・ブルックナーによるWSBの伝記フィルム「バロウズ」ともうほとんど伝説化してしまっているノイズ・シネマ「デコーダー」の2本のソフト・リリースが決定されている。

■「VOX VIEW」、69ページ。

いよいよ盛り上がってまいりました。水面下で進行していたブームが浮上してきます。

Next >

Part 1 | Part 2 | Part 3 ||| Books | Home


Copyright (c) 2002-2003 KIWADA Kats-Hiro
Last Modified: Mar 13, 2011