意外かもしれないが、宇宙論の歴史にはカントの名前が欠かせない。それはひとえに、ここに収められた『天界の一般自然史と理論』の故。この巻では他に『自然科学の形而上学的原理』も読める。
原題その他は、
Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels, 1755.
Metaphysische Anfangsgruende der Naturwissenschaft, 1786.
『天界の一般自然史と理論』は1755年の作とはいっても、印刷中に出版社が破産したとかで、ほとんど世間には出回ってない。1791年になって、ドイツ語に翻訳されたハーシェルの著作の付録として抜粋が収録され、ようやく「カントの宇宙論」というものが流通するようになる。1797年には、『時代順カント小論文全集』第1巻、および『カント初期未収録小論文』に再録される。その後単行本としても出版された。
このタイムラグのおかげで、カントの宇宙論は、自然科学の世界ではカントよりずっと大物のラプラスの宇宙論(『宇宙の体系』、1796)と時代的に重なり、共通点も少なくなかったことから、「カント=ラプラス説」として擦り合わせが行われたのであった(幸か不幸か)。
例えば『天文の事典』(平凡社)のような本に「天球の回転について」という項目があるのは不思議でもない。しかし、その少し前のページに「天界の一般自然誌と理論」という項目を発見したりすると、「さすが平凡社」と思わずにはいられない。
I. カントの一連の自然哲学に関する論説中もっとも著名なものであり、1755年の著作。……。この付録は論外として、本書に展開されたカントの太陽系、銀河系宇宙に関する構想は、定性的には現代にも通用するものを含んでいて興味深い。[1]
『西洋思想大事典』(これも平凡社)の「宇宙のイメージ」(エレーヌ・L・テュゼ執筆)という項目では、
世界の形成と進化をめぐる、最初にして最も大がかりな統一的システムは、イマヌエル・カントの『天界の一般自然史と理論』(1755)のそれである。[2]
上の二つの引用元では、カントの論考は歴史的なモニュメントとして冷静に取り扱われているけれど、20世紀初頭には、まだまだ生々しい批判の対象になりえたようだ。アーレニウスの『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(1908)を見ると、
以上述べたところから考へて見てもカントの宇宙開闢説の基礎には實際の關係とは一致しないやうな空想的な假定が澤山にはひつて居ることが分るであらう。まだ此の他にも同樣な箇條を擧げればいくらも擧げられるのであるが、併しさうしたところで別に大した興味はないから先づ此位にしておく。[3]「科学的宇宙観」として論ずるに足るものではない、とわざわざ強調しなけりゃならない程、カントの名前に威力があったわけですね。カントが嫌いらしいアーレニウスも、科学的という尺度を離れると、上で引用したエレーヌ・テュゼと同様、カントの空想の崇高美の魅力までは否定できない。
併しこの美しい哲學的詩に物理學の尺度をあてがふのは穩當ではあるまい。カントでさへ此の詩の美しさの餘りにしばらくいつもの書き振りを違えたのである。此のカントの立派な創作は畢竟自然の永遠性に對する彼の熱烈な要求を表はすもので、しかも餘程迄は眞理に近いものであるが、自然科學的批判の下には所詮烏有に歸してしまふのである。吾々がカントの宇宙開闢論の著述を讚美するのは物理學的見地から見てではなくて、寧ろ其の企圖の規模の偉大な點にある。此の企圖を細密に仕上げることは蓋しカントの任ではなかつたのである。[4]
細密に仕上げられたものでなかったおかげで、この自然史は、カントのいわゆる哲学的著作(「批判」シリーズ)よりも長生きするのではないかと思います。
「この美しい哲學的詩」は、ジュール・ヴェルヌの小道具としても使われている。『地球から月へ』に膨大な註を付して英訳したW・J・ミラーの指摘。
ヴェルヌは以上のたった八行で、彼の時代に「カント=ラプラースの星雲理論」として知られていた太陽系生成理論の要約を試みている。この小説が現れた(一八六五)後、この理論は久しく等閑に付されていたが、我々の時代にかつてない華々しい復権をみている。
哲学者イマヌエル・カント(一七二四−一八〇四)はその『一般自然史と天体の理説』(一七五五)の中で、太陽系は、冷たいガスと塵の回転する塊が凝集し分かれて太陽、惑星、衛星になることによって生成されたと主張した。[5]
ヴェルヌの作品の中でカントに出会うとは思ってもみなかった(もっとも、ヴェルヌの原文にはカントの名前もラプラスの名前も出てこない。名前を出すまでもなかったということか)。
『天文の事典』で「論外」とされた付録というのは、「第三篇 自然の諸類比に基づいて種々なる惑星の居住者を比較する試論」のこと。つまり、地球外生命体(ET)についてのお話だ。
したがってもしこれらの精神的能力がその内在している機構の素材に必然的に依存するとすれば、真実らしいというより以上の憶測をもって、思惟的諸自然の卓越性、その諸表象の敏速性、それが外界の印象によってえる概念の明瞭性、加うるにそれらを総括する能力、最後にまた実際の行使における機敏性、要するに、この思惟的諸自然の完全性の全範囲は、それらの在り場所が持つ太陽からの距離に比例してそれらがますます勝れ、ますます完全となるという一定の規則に従う、と結論することができるであろう(178-9ページ)。
一読しただけでは何のことやらよくわからないが、早い話、太陽から一番遠い惑星(当時は土星)に棲む生物が最も高級である、と。似たような議論がヴェルヌの『地球から月へ』にもある(「空想三昧」のアジ演説の中で)。
第一、地球には衛星がひとつしかないのに、木星、天王星、土星、海王星には、たくさん衛星があって、これは見落とせぬ利点でありましょう。[6]
カントに言わせると、太陽から遠い惑星に衛星がたくさんあるのは、「昼の光の奪われている間十分な代償によってそれを補う」(181ページ)ためである。土星は木星よりも衛星の数が多く、しかも「その構造はそれを取りまく美しい有用な環によって、その性質に関してさらに大きい優越点をなしているように思われ、木星に比べて一層優位を占めている」(181ページ)。
ちなみに、天王星が発見されたのは1781年(ウィリアム・ハーシェル。それ以前にも観測されてはいたが、惑星だとは思われていなかった)。『天界の一般自然史と理論』を書いていた頃のカントはまだその存在を知らない。海王星の発見は1846年(J・G・ガレ。遥か昔、ガリレオも惑星とは知らぬまま観測していた)。
カントになり代わって、「天王星はいかなる点において土星よりも優れているか」を立証してみるのも一興でしょう。
自転軸の傾きと生命体の完璧さとの関係にヴェルヌは目を着けた。
……このような幸運に恵まれ、このようなすばらしい条件下に暮らしているわけですから、この幸運な世界の住民たちは優秀な存在であり、その科学者はずっと科学的だし、芸術家はずっと芸術的であり、悪人はずっと悪くなく、善人はずっと善いはず、とこれだけは少なくとも、明白であろうと思います。ああ! 我々の地球には全体なにが欠けているため、この木星のような完璧さに到達できないのでしょう。大した原因ではないのです! 自転軸の公転軌道に対する傾きがもっと小さくなればよいのです![7]
もちろん、カントがこうした関係を見逃すはずがない。木星の自転軸の傾きが小さいことは知っていた。ただし、土星の軸の傾きが地球のそれより大きいことも知っていた。土星が地球よりも不完全であっては困るので、カントが重視するのは自転周期である。木星の一日が10時間であることから、
……もし木星に地球人よりも繊細に形成されていてより弾力的な力とそれを行使するのにより大きな敏捷さとをそなえた一層完全な被造物が住んでいるとすれば、われわれは、この五時間が木星人にとっては、地球上の人間という卑小な部類のものにとって真昼の十二時間に相当すると同じ、またそれより以上であると信ずることができる(181ページ)。
木星人は素材が繊細なので、太陽から受ける光や熱が少なくても足りる。逆に金星人は粗大かつ鈍重で、大量の光と熱の刺激を受けないと身動き取れないのである。
目次
『天界の一般自然史と理論──別名、ニュートンの諸原則に従って論じられた全宇宙構造の体制と力学的起源についての試論』
捧げの言葉
序
全著作の内容
第一篇 恒星間の体系的体制の概要、同じくそのような恒星系が多数あることについて
注:
本書は天文学を離れて社会全般に与えた影響も大きく、本書で<回転>の意味に用いられた revolutio は1600年ころから<革命>の意味に使われるようになり、またカントはその著《純粋理性批判》第2版(1788)の序言で、従来の主観が客観に従うという立場をすてた主観的観念論への転回を<コペルニクス的転回>ということばで表現した(同上、475ページ)。