大正11年に刊行された非ユークリッド幾何学の「通俗的」な解説書。
箱入り。246頁。定価3円。
ラムの『ユリシーズの冒険』はジョイスにユリシー
ズを教えた本であった。
この『非ゆうくりっど幾何學』は稲垣足穂に非ユークリッド幾何学を教えた本で
ある(ついでに言うと、刊行されたのは "Ulysses" と同じ1922年)。
足穂がこの本と出会ったのは昭和八年(1933年)、明石在住時代のこと。
昭和八年もすでに九月に入っていた。その頃私は、町の西外れにある浄土宗 のお寺の庫裡に寝泊りして、夕方にはいったんステーション近くの我家へ顔を 出し、改めて少し東へ隔たった少年の許をたずねる例であった。……。
縁側に晩夏の夕日が射していた。板敷きの一端に置かれた本棚から、五、六 冊がくずれ落ちているのを直そうとして、私は内田老鶴圃の出版カタログを見 付けた。冊子の頁を繰っているうちに、梶島二郎著『非ゆうくりつど幾何学』 が眼にとまった。……。待望の非ユークリッド幾何学の本にめぐり合ったこと は、別に飛び付く思いでもなかった。そのうち出版元へ葉書を出してみようと いう程度であった。
……。ある午後、湯かげんを見るために何回目かに裏口を出てみると、そこ の黒光りのした広縁の上に、A2型、白クロース張、天金の『非ゆうくりつど幾 何学』がほうり出されているではないか!
表紙の麻布は少しよごれていたが、学術書特有のがっちりした造本にはゆる ぎもなかった。…… [1]
筆者の手元にあるこの本は、随所に付された書き込みから察するに、少なく とも二人の所有者の真面目な学習に利用され、「白クロース張」というよりは茶 色に近いベージュに変質し、造本も大分緩んできている。しかし刊行から4分の3 世紀を経た本、しかも気合いを入れて繰り返し繙かれたに違いない本にしてはしっ かりしている。この先、何人の所有者の手に渡るかわからないが、
私はこの片仮名横書き、西洋びらきの本を懐ろに突っこんで、牛込横寺町の、松井須磨子ゆかりの旧芸術倶楽部に隣合った飯塚縄のれんで、焼酎をひっかけていた。[2]
足穂のように携帯して持ち歩いたりしなければ、当分の間分解する恐れは なさそうである。
タイトルからも想像されるように、この本は「片仮名横書き」である。 「序言」の冒頭を出来る限り忠実に引いてみよう。
ぼりあいガ吾ガ新シキ幾何學ヲ五輪ノ高塔ニ比較スレバ,今マデノ幾何學ハ單ニ紙製ノ家屋ニ過ギナイト喝破シテカラ,既ニ百年ノ歳月ヲ經過シテ居ル。然ルニ,非ゆうくりっど幾何學ノ名稱ハ弘ク世ニ知レ亘テイルニモ拘ラズ,内容ガ多ク知ラレテ居ラナイノハ何ニ基因スルノデアラウカ。一ツハゆうくりっど幾何學ノ先天的確實性ヲ過信スル謬見ト,一ツハ學科ノ内容ノ難解ニ據ルノデハアルマイカ(1頁)。[3]
高木貞治は「数学を書く日本文は、カタカナ横書きが望ましい」と言って
いるのだが、これは辛いぞ。[4]
小倉金之助の『数学教育史』によると、
横書きの先鞭者──少なくとも一般的に普及を見た数学書における──は、長 沢亀之助(一八六〇‐一九二七)であった。明治二〇年(一八八七)七月出版 の
長沢亀之助、宮田輝之助同訳『チャーレス・スミス氏代数学』
は、横書きであり、しかも非常の流行書であった。[5]
明治12年(1879)に刊行された『幾何問題』(荒川重平+中川将行訳)の 解答編が、横書き数学書の嚆矢であるらしい。
「非ユークリッド幾何学の名称は弘く世に知れ亘ているにも拘らず、内容 が多く知られて居らない」という状況は、この本が出てから4分の3世紀経った 今も余り変化なさそうである。
目次
第一章 非ゆうくりっど幾何學ノ沿革
第二章 平行線ノ公準ヲ含マヌ諸定理
第三章 双曲線的幾何學
第四章 双曲線的平面三角法
第五章 橢圓的幾何學
第六章 橢圓的平面三角法
第七章 非ゆうくりっど幾何學ノ近世ノ發達ト空間ノ觀念
附録一 さつけーりノ假設ノ一般性トるじやんどるノ命題
附録二 双曲線凾數
注:
「中味には関係のないことだけれども、数学を書く日本文は、カタカナ横 書きが望ましい。女文字と言われたひらがなは通俗的だけれども平明の点に於 てカタカナに及ばない。行く行くは科学書などはすべてカタカナ横書きになる 時が必ず来ると思つている。漢字は制限したいし、洋語のカナ書きは自由に用 いたいから、カナは当然多くなる。それを読み易くするために語の切り離しが 必要になるであろう」。
幸か不幸か、その予言「科学書などはすべてカタカナ横書きになる時が必 ず来る」はまだ実現していない。