March,1999 (2)

今月の御題目

コート・ドールの宝石、ロマネ・コンティ
とその仲間達

 「コート・ドールという首飾の中心の宝石」それがロマネ・コンティ。古くから、数々の賛辞の言葉で語られ、その存在はまさに王様。
 いつの時代においても、世界中の人々から注目されるDRC(ドメーヌ・ドゥ・ラ・ロマネ・コンティ)。今回は、そのDRCに縁の深いワインを紹介致します。

DRC(ドメーヌ・ドゥ・ラ・ロマネ・コンティ)
 今では、高級ワインの代名詞のように語られる、ブルゴーニュのヴォーヌ・ロマネに本拠を置くドメーヌ。生産するワインは、かの有名なロマネ・コンティラ・ターシュリシェブールロマネ・サン・ヴィヴァングラン・エシェゾーエシェゾーの赤6種と、モンラッシェの白1種のみ。それらの畑は、「神に約束された土地」と言われ、徹底した品質管理と共に世界最高ともいえるワインを生み出します。
 ワインに詳しくなってくると、ロマネ・コンティ社とは言わず、「DRC(ディー・アール・シー)」と言いたがります。
(写真はリシェブール)



グラン・クリュの宝庫 ヴォーヌ・ロマネ


ヴォーヌ・ロマネのグラン・クリュ地図
 ヴォーヌ・ロマネ村のワインには、実際にはフラジェ・エシェゾー村のワイン(グラン・エシェゾー、エシェゾー等)も含まれます。(この地図には、位置関係を把握するために、ヴージョ村も一緒に表記しました。)

ヴォーヌ・ロマネのグラン・クリュは、次の8つ
ロマネ・コンティ(1.8ha) DRCモノポール
ラ・ターシュ(6.1ha) DRCモノポール
リシュブール(8ha) DRCは、3.5ha所有
ロマネ・サン・ヴィヴァン(9.4ha) DRCは、5.3ha所有
ラ・ロマネ(1ha) ドメーヌ・デュ・シャトー・ド・ヴォーヌ・ロマネ、モノポール
ラ・グランド・リュ(1.5ha) ドメーヌ・ラマルシュ、モノポール
グラン・エシェゾー(9.1ha) DRCは、3.5ha所有
エシェゾー(37.7ha) DRCは、4.6ha所有

 上の地図を見て頂ければ分かるように、ロマネ・コンティの畑は、数々のグラン・クリュを従えるように、その中央に鎮座しています。
 「ロマネ・コンティだけが傑出している訳ではない。周りの畑と、土質、地層、排水なども少しづつ違う。そうしたミクロの違いが累積され、結果的にマクロの差になってワインに現れる。他の区画より少しづつプラスの条件が、ロマネ・コンティに与えられたのだ。」というのは、DRCの代表者、ヴィレーヌ氏
 現在、ロマネ・コンティの畑に植えられているブドウの樹は、平均樹齢51年、約2万本。そこから、1ha当たり20から25hlという低収穫量により、出来上がるワインの平均生産量は約7000本前後。つまり1本のロマネ・コンティは、ぶどう樹3本分に相当します。
 いづれにせよ、ロマネ・コンティは、誰もが認める「ワインの王様」なのでしょう。


ロマネ・コンティの所有者

 今日のロマネ・コンティの区画が、周りの畑と区別されるようになったのが1500年代初め、そして「ロマネ」という名がついたのが、1600年代半ばと言われます。
 しかしながら、このワインを決定的に有名にしたのが、コンティ公。1760年、当時、美術、音楽と芸術の保護者であったコンティ公は、破格の値段で、この畑を買取った。その時に、この畑を手に入れようと争ったのが、有名な王の寵妃マダム・ポンパドール。争奪戦に敗れたポンパドールは、以後、ブルゴーニュのワインを閉め出し、シャトー・ラフィット・ロートシルトを愛飲したといいます。

 以後、この畑は、複雑な相続を経て、現在でも共同所有者である、ヴィレーヌ家のものとなります。
 今世紀に入り、大不況の折、この偉大な畑が分割所有されるのを嫌ったヴィレーヌ家は、出入業者であった、アンリ・ルロワに財政支援を求め、以来、ロマネ・コンティは、ヴィレーヌ家、ルロワ家の共同所有となります。そして、1942年には、両家の持ち畑を法人化。こうして、DRC(ドメーヌ・ドゥ・ラ・ロマネ・コンティ)が誕生しました。

 その後、オーベル・ド・ヴィレーヌ氏、マダム・ラルー・ビーズ・ルロワを代表とする時代が続きましたが、次第に両家の折り合いが悪くなり、ついに1992年1月15日、ルロワはロマネ・コンティの所有権、販売権を手放すことになります。
 その後、マダム・ラルー・ビーズ・ルロワの甥にあたる、アンリ・フレデリック・ロックが、共同経営者の職に就くことに。今でも、ルロワが共同経営者となっている文献がありますが、どうやら間違いのようです。
(右のサインは、上が83年、下が92年のラベルより。92年より、マダム・ルロワのサインが、アンリ・フレデリック・ロックのサインに変わっています。)

以下、DRCに縁の深い人達によるワインを紹介します。


ロマネ・コンティ、グラン・エシェゾー

Romanee Conti
ロマネ・コンティ
ヴォーヌ・ロマネ 赤 (PN,Pb,PL)
('83 \190,000)

 「ロマネ・コンティ」誰もが認めるブルゴーニュの宝石。あらゆる賛美の言葉を使い、賞賛されるワインの王様。もう、改めて説明する必要もないでしょう。
 83年のロマネ・コンティ。収穫日は10月3日、生産量は3867本です。エッジはややオレンジがかり、全体的に深い赤紫から、茶褐色に移行しつつあります。
 驚く事に、83年にもかかわらす、大変高い酸、そして力強さと深さを感じます。ただ、約2時間もの間、まったく開いてくる様子を見せない香りに困惑。このワインはまだ、熟成が必要なのか?それとも。。。
 平均年産七千本のロマネ・コンティが、この年は四千本弱。調べてみると、この年は雹が降り、酷暑と湿気のせいで腐敗があったとの事。
(ドメーヌ・ドゥ・ラ・ロマネ・コンティ)グラン・クリュ



Grands Echezeaux
グラン・エシェゾー
ヴォーヌ・ロマネ 赤 (PN,Pb,PL)
('77 \33,000)

 「深い森を散策する夢見る貴族」と称されるグラン・エシェゾー。クロ・ド・ヴージョの上部に隣接する畑から産出されます。
 77年のブルゴーニュは、オフ・ヴィンテージ。しかしながら、名手の造るワインは、まったく関係ないようにさえ思えます。十分な熟成による芳醇な香り、滑らで優しいタンニンが、とても心地よい。しかしながら、フィニッシュには、厚さを感じます。さすがにグラン・エシェゾー、グラン・クリュです。
(ドメーヌ・ドゥ・ラ・ロマネ・コンティ)グラン・クリュ




オーベル・ド・ヴィレーヌ

Bourgogne La Digoine
ブルゴーニュ・ラ・ディゴワーヌ
ACブルゴーニュ 赤 (PN,Pb,PL)
('96 \3,200)

 DRCの社長兼共同経営者、オベール・ド・ヴィレーヌ氏がコート・シャロネーズに本拠を構える非常に評価の高いドメーヌ。ここの赤は、いわば「庶民のロマネ・コンティ」かな?
 開けてびっくり、なぜかガメイ(ボージョレを造る品種)のような香りと色。とても活き活きしています。思ったよりもタンニンも多く感じる。果実味がしっかりしていてACブルゴーニュなのに凝縮しているので、早飲みには向かないのでは?96年は、もう少し置いて飲んだ方がよかったようです。
(ドメーヌ・ド・ヴィレーヌ)




アンリ・フレデリック・ロック

Nuits-Saint-Georges Clos des Corvees
ニュイ・サン・ジョルジュ・クロ・デ・コルヴェ
ニュイ・サン・ジョルジュ 赤 (PN,Pb,PL)
('94 \8,500)

 このドメーヌのオーナー、アンリ・フレデリック・ロック氏は、92年より、ロマネ・コンティ社の共同経営者。今、非常に巷を騒がせているドメーヌです。
 ワイン造りのすべての行程において「昔のままに」という造り方。有機栽培、木樽での発酵、そして今でも発酵時の攪拌も人間が樽に入って足でかき混ぜています。
 ニュイ・サン・ジョルジュのプルミエ・クリュ、「クロ・デ・コルヴェ」は、ここのモノポール。「非常に優しいワイン」が第一印象です。全体的なバランスを重視したタイプだと思うのですが、インパクトがもう一つ。
 このワインは、96年物になると15000円になってます。普通のワインに比べてとても高価なドメーヌなので、もう少し何かを感じさせて欲しい。他にも、ヴォーヌ・ロマネやジュヴレイ・シャンベルタンの畑があるので、是非そちらも試してみたいと思いました。
(ドメーヌ・アンリ・フレデリック・ロック)プルミエ・クリュ




マダム・ラルー・ビーズ・ルロワ


Bourgogne Grand Ordinaire
ブルゴーニュ・グラン・オルディネール

ACブルゴーニュ 赤 (PN,Pb,PL)
('96 \1,800)

 DRCと並んで、ブルゴーニュの巨頭と言われるルロワ。ただ、DRCとは違い、ルロワは最上のグラン・クリュから、AOCブルゴーニュまで幅広くワインを造っています。
 このワインは、ルロワが造る最も廉価なワイン、「グラン・オルディネール」。言うなれば「偉大なる日常用ワイン」です。
 おすすめします。とにかく飲んでみて下さい。最も下のクラスと言えどもルロワのワイン造り、こだわりが感じられます。そのバランスと果実味は、普通の村名ワインに十分匹敵するのでは?
(ルロワ)



ワインの旅

 今回頂いた83年のロマネ・コンティ。衰えている感はないものの、決してベストの状態とは言えないものだったように感じます。そして、オフ・ヴィンテージである77年のグラン・エシェゾー。このワインは素晴らしいコンディションでした。
 ある、ワインに詳しい方からこんな話を聞きました。

「えてして、超有名銘柄や、ビック・ヴィンテージのワインは、旅をしやすい。どうしてもオークションや投機の対象になりやすいから。だから、状態の良くないものを掴まされることも多くなる。それに引きかえ、オフ・ヴィンテージのものは、旅をしにくいから、いい状態のものも多いのです。」

ロマネ・コンティ・一九三五年

 今回、ロマネ・コンティを飲んで、思い出したのがこの小説。「ロマネ・コンティ・一九三五年」開高健。1973年に発表された短編です。(文春文庫、369円)
 開高健という作家については、詳しく知らないのですが、ここに登場する「小説家」とは、どうやら本人のようです。
 登場する40歳の「重役」と41歳の「小説家」が飲んだ1935年のロマネ・コンティ。当時、1972年という事なので、37年の熟成を経たワインという事になります。
 しかしながら、そのロマネ・コンティは、衰えきっていた。

「長旅でゆさぶられつづけて上下に傷つけられたり、左右に傷つけられたり、(中略)、旅がこの酒には暴力だったのではあるまいか。」

 だが、このワインは、女を思い起こさせる。「小説家」が若き日にフランスで出会った女。

「よもや一人の女として瓶のなかからあらわれようなどとは、思いもかけないことであった。」

 やはり、ロマネ・コンティとは、そういうお酒なのか?2時間もの間、なにも答えてくれないワインは、それでも「路なき森に、さまよい込む楽しみ」を与えてくれました。今回のロマネ・コンティは、まさに1935年物だったのかもしれません。


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