September 2002 (2)

今月の御題目

シャトー・ランシュ・バージュ
ボルドー・スタンダード

 ワインは好きだったが、まだボルドー格付けもうら覚えだった頃、このワインに出会った。特別な日に「少し贅沢なワインを」という注文にソムリエ氏が出してくれたもの。それまで「ワインは美味しければいい」と思っていた私がなぜか銘柄をメモした。そこには「Lynch Bages (Pauillac)」と書かれていた。

 改めてワインの深さに気づいた一本。それ以後飲んだワインは出来るだけ名前をチェックするように。ワインについて詳しく調べるようになったのも、ランシュ・バージュがきっかけと言ってもいいと思います。そうした思い出のワインであり、現在もボルドー・スタンダードだと感じているランシュ・バージュの紹介。


メドック格付け第五級

 ボルドー地方、メドック地区の中でも秀逸なシャトーが結集した村、ポイヤック。ムートンやラフィットは村の北端、ラトゥールやラランドといったシャトーは南端にかたまり、そして中央部にはメドックで一番賑やかな町がある。この町を見下ろす小高い尾根は「バージュの丘」と呼ばれ、ここにシャトー・ランシュ・バージュは位置します。

 英国風に発音すると「リンチ」となるLYNCHは、アイルランド系のもので、17世紀末にフランスへ渡り毛皮と羊毛の商売で成功したジョン・ランシュが、ボルドー市におけるランシュ家の始まり。息子のジャン・バプティストはパリの商工会議所のメンバーであったし、革命後にボルドー市長も務めた人物で、このシャトーに「ランシュ」の名を残すことになります。 

 1824年、ランシュ家はこれを手放し、その後二人ほどの所有者を経ることになりますが、この間に有名な1855年のボルドーの格付けが行われ、ランシュ・バーシュは第五級としてランクされました。


カーズ家

 1934年に現所有者ジャン・ミッシェル・カーズの祖父であるジャン・シャルル・カーズがランシュ・バージュを買取り、以後三代に渡りカーズ家の管理となります。ジャン・シャルル・カーズは当時からサンテステフ、トップクラスのブルジョワ級であったシャトー・レ・ゾルム・ド・ペズを手掛けていた人物。1960年にはポイヤックの村長を20年近くも務めることとなる息子のアンドレに両シャトーを任せ、彼の下で素晴らしい成果を収めるようになります。

 アンドレの息子であるジャン・ミッシェル・カーズは、今日のボルドーワインの世界をリードする精力的な人物。現在ランシュ・バージュ、レ・ゾルム・ド・ペズ、ヴィラ・ベレールを所有する他、フランスの大手保険会社アクサ・ミレジム(AXA保険)とピション・ロングヴィル・バロン、カントナック・ブラウン、プティ・ヴィラージュといった名シャトーを共同経営。またポイヤック栽培組合会長、ホテル・レストラン・オーナー、ハンガリーやポルトガルでもワイン生産に携わるという多くの顔を持っています。ワイン業界への功績が認められワイン&スピリッツ誌「マン・オブ・ザ・イヤー」等、数々の表彰も受けています。こうした三代に渡るカーズ家の功績により、ランシュ・バージュの品質が向上、現在の高い評価を勝ち得るようになります。


スーパーセカンド

 ランシュ・バージュはメドック格付け五級とされていますが、今日では第二級同等の評価を受けるシャトーであり「スーパーセカンド」注1の一本として広く認められています。「スーパーセカンド」とは、1855年の格付けが現在では矛盾する要素を持つため、格付け一級以外の多くのシャトーの中で、特に傑出した品質を持つと認識されている銘柄。

 それを証明する事例の一つとして、1996年に行われた「ル・グラン・ジュリ・ヨーロピアン : Le Grand Jury European」注2という優れたボルドーの25シャトーを対象に行われた審査会があったので、この結果を記しておきます。




●1985ヴィンテージ ●1990ヴィンテージ
1. Sassicaia (Tenuta San Guido)
2. Ch. Pichon Longueville Comtesse de Lalande
3. Ch. Cheval Blanc
4. Ch. Lynch Bages
5. Ch. Latour
6. Ch. Petrus
7. Ch. Margaux
8. Ch. Cos d'Estournel
9. Ch. Mouton Rothschild
10. Ch. Lafite-Rothschild
1. Ch. Sociando Mallet
2. Ch. Pichon Longueville Baron
3. Ch. Haut-Brion
4. Ch. Petrus
5. Ch. Leoville Las Cases
6. Ch. Lynch Bages
7. Ch. Mouton Rothschild
8. Ch. Cos d'Estournel
9. Ch. Pichon Longueville Comtesse de Lalande
10. Ch. Trotanoy



 ボルドー全体では8000以上ものシャトーがあり、メドックの格付けだけでも61のシャトーがあるわけですが、たった25本の中に専門家が選出する事だけでも、その評価の高さが伺えます。またこうしたコンテストが数々の問題があるにせよ、85で第4位、90で第6位にランクされるという事自体、ランシュ・バージュが「スーパーセカンド」の名にふさわしいことを証明しています。

注1 : 最近「スーパーセカンド」という名称を、各シャトーのセカンドワイン(格下げしたもの)に対して使っているのを見かけますが、本来の意味からすると間違っています。)
注2 : この審査会を提唱したのはフランスの筆頭的ジャーナリスト、ミッシェル・ベターヌ。1983、1985、1990について行われた。厳選された25シャトーに一本だけ外国のものを入れたが、85ヴィンテージでイタリアのサッシカイアがNo.1になっているのがなんとも面白い。90ヴィンテージ一位のソシアンド・マレも、格付け外のブルジョワ級としては大健闘というところ。)


ランシュ・バージュ ラインナップ

ランシュ・バージュ Ch. Lynch Bages
 
ジャン・ミッシェル・カーズ氏がシャトーを受け継いだのは1974年。1980年にはステンレス・タンク25基を導入し、品質も安定、80年代の傑作を生み出します。ブドウは手摘みで完全に除梗。温度調整されたステンレスタンクの中で通常15〜17日かけて発酵。小さなフレンチオーク樽に入れられ、平均で12〜15ヶ月の熟成。新樽比率は1982年の25%から近年では60%まで増加している。瓶詰め前に卵白にて清澄、濾過処理を軽く一度だけ行う。
 カベルネ・ソーヴィニオン73%、メルロー15%、カベルネ・フラン10%、プティ・ヴェルド2%。畑面積90ha、平均樹齢35年、平均産出量45hl/ha、平均年間総生産2万5千ケース。

オー・バージュ・アヴルー Ch. Haut-Bages Averous
 
1976年から造りはじめたセカンド・ラベル。このセカンドは、もともと独立したぶどう園をランシュ・バージュが買取り、この畑のブドウとランシュ・バージュの若い樹からのブドウをブレンドしたものだった。通常収穫の20〜30%がこのセカンドにまわされる。平均年間総生産1万ケース。

ブラン・ド・ランシュ・バージュ Blanc de Lynch Bages
 
カーズ氏は1987年、4haの畑に白ブドウを植え、もう一つの革新、白ワインの生産に乗り出した。初ヴィンテージは1990年。新樽での発酵、約12ヶ月の樽熟成。セミヨン40%、ソーヴィニヨン・ブラン40%、ミュスカデル20%。畑面積4ha、平均樹齢10年、平均産出量55hl/ha、平均年間総生産2500〜3000ケース。

シャトー・レ・ゾルム・ドゥ・ペズ Ch. Les Ormes de Pez
 カーズ家がサンテステフに所有するブルジョワ級で、大変お値打ちな高品質ワインを造るシャトー。名前の意味は「ぺズの楡の木」。ほぼランシュ・バージュと同じ醸造過程を経る。ブドウは手摘みで完全に除梗。温度調整されたステンレスタンク(18基)の中で通常15〜17日かけて発酵。ランシュ・バージュで1〜2年使用されたオーク樽にて15ヶ月の熟成。
 カベルネ・ソーヴィニオン70%、メルロー20%、カベルネ・フラン10%。畑面積33ha、平均樹齢35年、平均産出量50hl/ha、平均年間総生産1万7千ケース。


ランシュ・バージュ 垂直試飲

 もう昨年の春になりますが、エノテカさんが行われた「The Week of Ch. Lynch Bages」ランシュ・バージュの垂直試飲会(大阪)に行ってきました。ここでは、ランシュ・バージュの1975から1997までの優れた10ヴィンテージを中心に、上記のラインナップを含め全18種を試飲。オーナーのジャン・ミッシェル・カーズ氏にもお会いでき、その優しい物腰の中にも、世界中を飛び廻りボルドーワインの普及に努められているエネルギッシュなお姿を拝見でき感激。

 18種と数が多かっただけに、じっくりとというわけにはいきませんでしたが、私の中のイメージにあった「ボルドー・スタンダード」という意識を再確認した思い。特に飲み頃に入った80年代のワインが印象的。このシャトーが素晴らしいと思うのは、ボルドーらしいカシスを中心とした甘さのある果実味があり、酸も丸く心地よい、実直でオーソドックスな雰囲気を持っていること。垂直で飲んでみると、各ヴィンテージの個性がワインに反映されていること。そして、現時点でリリース時の価格が5000円程度であること。

 周りからの賞賛を受け、メドック格付け五級以上の実力を持つと広く認められているランシュ・バージュ。さて、当のミッシェル・カーズ氏は、この格付けについてどう思っていらっしゃるのだろうか?インタビュー記事に面白い事が書いてありました。

 「そもそも55年の格付けはオフィシャルなものではありません。(中略)現実にアレクシス・リシーヌやロバート・パーカー、ヒュー・ジョンソンも独自の格付けを行っている。ともかく55年の格付けはうまく秩序にかない、相対的によく出来ていると認めざるを得ません。そして現時点でそれを改正することは不可能です。(中略)他のたとえ話をしましょう。1889年の万博で建設されたエッフェル塔は、完成した当時、その役割を果たしたあかつきには壊される予定になっていました。当時、誰も100年後にパリのシンボルとなっているなどと想像すら出来ませんでした。しかし、現実に立派なシンボルとなっている。1855年の格付けも同じこと。あの格付けを制定した人たちの誰一人として現在の姿を予想できませんでした。私自身は保守的な人間だし、55年の格付けは十分に価値を持っていると思います。少なくともサンテミリオンの格付けより有名です(笑)。」

 初めてこのワインを口にした時とは違い、メドックにも多くの秀逸なワインが存在する事は理解しているつもりですが、同価格帯で探してみた時、ランシュ・バージュ以上の品質を持つワインを探すのは一苦労だと思う。150年前に「第五級」に格付けされたことが良かったのか、悪かったのか。カーズ氏の言葉には、自らのシャトーの不遇よりも、ボルドーの実力者としての余裕が感じられます。しかしランシュ・バージュは、現代でのボルドー格付けの時代錯誤的な一面に気づかせてくれる重要な一本であり、価格、生産量、品質というバランスに秀でたワインは、いつまでも基準にしたいボルドーだと思っています。


Ch. Lynch Bages
シャトー・ランシュ・バージュ

「葡萄酒の匠」のコーナーへワインリストを掲載しましたのでご覧下さい。


参考文献
ヴィノテーク
ボルドー(第3版)
ワイン王国

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