September 2002

今月の御題目

ヴァーチャル・ブルゴーニュ・ツアー Vol.10
ニュイ・サン・ジョルジュ / Nuits-Saint-Georges

 ようやくコート・ド・ニュイの最終地点であるニュイ・サン・ジョルジュの村までやってきました。名を見ればお分かりの方も多いと思いますが、ボーヌに並ぶ重要な商業都市であるこの名をとって、コート・ドールの北半分を「コート・ド・ニュイ」と呼ぶようになりました。
 いかにもブルゴーニュの精髄といった村の名前ですが、ワインファンにとってもイマイチ取り上げられる事が少ないように思います。そんなニュイ・サン・ジョルジュ、ちょっと詳しく周ってみましょう。


「ニュイ」という名前

 ACニュイ・サン・ジョルジュは、コート・ドールで最も広いアペラシオンの一つで、南隣のプレモー・プリセ村にもまたがり、南北に細長く続くブドウ畑の栽培面積は300ha以上。グラン・クリュがないため、やや注目度に欠けるのかもしれませんが、40面にのぼる重要なプルミエ・クリュを配しています。写真 : ニュイ・サン・ジョルジュの街並み)

 ボーヌに次いで二番目に人口が多く、大手のネゴシアンや醸造所が本拠とし、ワインを生産・販売していますが、その昔、この村がボーヌポマールと同じく、ある意味ブルゴーニュを象徴するような名前であったが為に、ここで産まれたワインでないものさえ「Nuits-Saint-Georges」の名で売られていたと言います。多くのネゴシアンがひしめく商業都市である事が、福とならず災いに転じたケースもあった様子。

 こうした背景が、ニュイの人気に影を落としたようですが、原産地呼称が確立した現代では、そんな悪行がまかり通ってはいない。ただし、数の多いプルミエ・クリュ、広い栽培面積という事も含め、ブルゴーニュにおけるワイン選びの定石である「生産者」「畑」に気をつけなければいけないアペラシオンだと思います。


ニュイ・サン・ジョルジュ 一級畑


地図上の各ナンバーにマウスを当てると、畑名が表示されます。

 地図を見れば分かるように、ニュイ・サン・ジョルジュのブドウ畑は南北6.5kmに広がっていますので、その個性も畑の位置により変わってきます。村落を挟んで北のヴォーヌ・ロマネ側、村落の南側、そして隣村のプレモー・プリセ。この三つの地区に分けて覚えると理解しやすいと思います。

ヴォーヌ側地区

サン・ジョルジュ地区

プレモー・プリセ地区
1 Aux Boudots
2 Les Damodes
3 Aux Cras
4 La Richemone
5 Aux Murgers
6 Aux Vignerondes
7 Aux Chaignots
8 En la Perriere Noblot
9 Aux Champs Perdrix
10 Aux Torey
11 Aux Bousselots
12 Aux Argillas
13 Les Crots
14 Rue de Chaux
15 Les Proces
16 Les Pruliers
17 Ronciere
18 Les Poulettes
19 Les Perrieres
20 Les Poirets
21 Les Chaboeufs
22 Les Vaucrains
23 Les Cailles
24 Les Saint-Georges
25 Chaines Carteaux
26 Les Didiers
27 Les Forets
28 Aux Perdrix
29 Aux Corvees
30 Les Argillieres
31 Les Grandes Vignes
32 Clos Arlot
33 Clos de la Marechal
この村の一級畑は小区画の名前がラベル表記されることも多いので、記しておきます。
13 Les Crots : Les Crots、Chateaux Gris
16 Les Pruliers : Les Pruliers、Les Proces
20 Les Poirets : Porrets Saint-Georges、Clos des Porrets Saint-Georges
29 Aux Corvees : Clos des Corvees、Clos des Corvees Pagets、Clos Saint-Marc
30 Les Argillieres : Les Argillieres、Clos des Argillieres
27 Les Forets は、Clos des Forets Saint-Georges、31 Les Grandes Vignes は、Clos des Grandes Vignes とも呼ばれます。
また一級畑に接する村名畑に限り、ラベルに畑名を表記できるものがあります。Au Bas de Combe、Aux Lavieres、Aux Allots、Les Hauts Poirets 等は村名格。その品質は一級物に迫りますが、混同しないよう注意が必要。

 この村のワインの特徴として「タンニンが強い」「頑強」「長熟」等と言われますが、もしその典型を求めるなら、中央に位置するサン・ジョルジュ地区ということになるでしょう。この中でも村名の原形となった[24] レ・サン・ジョルジュの畑はグラン・クリュに匹敵するとされています。それに寄り添う[22] レ・ヴォークラン、[23] レ・カイユと共に、ニュイの象徴とも言える畑。

 プレモー・プリセ地区は、サン・ジョルジュ地区と繋がっていますので、個性も似ている。(そのためプレモーのワインはACニュイ・サン・ジョルジュを名乗れる。) [29] オー・コルヴェ、[30] レ・アルジリエール等は同村のトップ・クラスと評されます。

 ヴォーヌ側地区は、ご覧のとおりヴォーヌ・ロマネから地続きの斜面。土壌構成も似ているため、華やかで芳醇なワインが産出されます。村境に接する [1] オー・ブード、[2] レ・ダモードはヴォーヌ・ロマネに寄る個性の畑ですし、[3] オー・クラ、[4] ラ・リシュモーヌ、[5] オー・ミュルジュ、[6] オー・ヴィニュロンド等、秀逸な畑が揃っています。

 田崎信也氏がワインライフの中で、おっしゃっていた言葉を拝借すると
「同じニュイでも、レ・サン・ジョルジュ(地図上で24番の畑)を中心として、プレモー側(南側)に行くとだんだん柔らかくなり、逆に北にのぼっていくと柔らかくなる。ですからヴォーヌ・ロマネ側のニュイ・サン・ジョルジュは一級畑が沢山あるでしょ。そちらはヴォーヌ・ロマネ的に柔らかくなるね。」
ということ。端的で分かり易いお言葉。

 やはりヴォーヌ・ロマネの方が接する機会が多いからでしょうか、個人的にもヴォーヌ側地区のものに感銘を受けることが多いように思います。また日本の市場では、比較的サン・ジョルジュ地区のワインの流通量が少なく、地味な印象を持ちます。レ・サン・ジョルジュやヴォークランという畑はもっと飲みたいのですが、なかなか見つからないのが残念。




ニュイ・サン・ジョルジュの生産者

 ブルゴーニュでは「生産量の多い村は要注意」と言われますが、広い面積を持つニュイ・サン・ジョルジュもその中の一つのようです。ジュヴレイ・シャンベルタンもそうですね。) 数多くのワインから確かなものを選ぶ早道は、志の高い生産者を把握すること。

 ここにはモワラール、ジャン・クロード・ボワセ、デュフレール、ラブレ・ロワなど、多くのネゴシアンがありますが、[33] クロ・ド・ラ・マレシャルを単独所有するフェヴレィ (Joseph Faiveley) は日本でも知られたドメーヌ兼ネゴシアン。1社としてはブルゴーニュ最大の115haに及ぶ自社畑を持ち、生産量の8割はその畑からというドメーヌ的な性格の強い生産者。また「新樽200%」で知られるドミニク・ローラン (Dominique Laurent) もここにセラーを構えます。

 またこの村では、オスピス・ド・ボーヌに倣ってオスピス・ド・ニュイ (Hospices de Nuits-Saint-Georges) という慈善オークションを行っています。ボーヌほど規模も大きくありませんが、価格も相応で確かな品質のもの。ワインはニュイ・サン・ジョルジュ一級に限られ、約8haの畑から模範的なワインが造られています注1、写真右

 そしてニュイ最高のドメーヌと目されるのが、ロベール・シュヴィヨン (Domaine Robert Chevillon) 写真左。レ・サン・ジョルジュ、ヴォークラン、カイユ、プリュリエ、アルジリエールなど秀逸な一級畑を計13ha所有し、各畑のテロワールを映し出す生産者として知られています。また、数多くの三つ星レストランにオンメニューしているアラン・ミシュロ (Domaine Alan Michelot)、プレモー村に籍をおき、若手醸造家(今はもう40代だが)達のオピニオン・リーダー的な存在であるダニエル・リオン (Domaine Daniel Rion) らが、同村を代表するドメーヌと言えるでしょう。

 その他、ロベール・シュヴィヨンの従兄弟であるミッシェル・シュヴィヨン (Domaine Michel Chevillon)、近年メキメキと頭角をあらわしているジャン・ジャック・コンフュロン (Domaine Jean-Jacques Confuron)ベルトラン・アンブロワーズ (Domaine Bertrand Ambroise)、デュジャック流のワイン造りで知られるラルロ (Domaine de l'Arlot) に注目。

注1 : [26] レ・ディディエ はオスピス・ド・ニュイの単独所有。競売の日程が、オスピス・ド・ボーヌは収穫後の11月第三日曜日であるのに対し、オスピス・ド・ニュイは翌年の3月末から4月にかけて行われる。この方が適正な判断が下せるため、理にかなっていると言われる。価格が暴騰するオスピス・ド・ボーヌに比べ、本当にお値ごろなのが良い。)




「ドメーヌ元詰」 アンリ・グージュ

 最後にニュイで忘れてはいけない造り手がアンリ・グージュ (Domaine Henri Gouges)。低収量型品種のクローンを作る名人でもあった創設者の故アンリ・グージュは、原産地呼称制度の誕生と発展にその生涯をかけた人物注2

 先に記したように、1930年代まではこの村を含めブルゴーニュ全土において、偽者ワインが横行し、ローヌ産のワインまでもが高名な村名をまとったボトルに化けていました注3。ワインは樽で売買されるのが商慣行で、それから先の品質は良くも悪くもネゴシアンに委ねられていた。そうした事態に対し、悠然と立ち向かったのが、ヴォルネィのマルキ・ダンジェルヴィル氏やアンリ・グージュ氏。彼らは本来の生産地をラベルに記載することを重視、商人(ネゴシアン)の手を離れ、自らワインを瓶詰めする事を決意。これが「ドメーヌ元詰」の誕生となります。大恐慌により普通でもワインが売れなくなっていた経済状況において、1933年、アンリは最初の元詰めワインを売り出します。こうした英断により、今日我々がまがい物を掴まされずにすんでいます。

 彼は1920〜30年代の不況下、土地の価格が低落して数多くのブドウ畑が売りに出される中、最良の区画を次々と買収してドメーヌの基盤を築いていきます注4。サン・ジョルジュ地区を中心とした優れた一級畑から生み出されるワインは、その功績と共に、ニュイ・サン・ジョルジュの指標と称えられていました。

 1967年、アンリの死去により、二人の息子が引き継ぐことになりますが、残念なことにその評価は激変、酷評にさらされるようになります。先代の偉大なる実績にアグラをかいた結果といえるのでしょうが、1980年代後半からは、それぞれの息子(従兄弟同士)が仕事を分担してドメーヌを切り盛り。低迷した時期を、ピエール(栽培担当)とクリスチャン(醸造担当)が立て直しそうだと伝えられます。

 ブルゴーニュにおいては、名声を極めた生産者が地に落ちるという「諺」のような事象が散見されますが、こういう話を聞くにつけ、ワイン造り、もの造りの深さを思い知らされるような気がします。

写真 : ドメーヌ元詰のワインに記されることが当たり前となった「MIS EN BOUTEILLE AU DOMAINE」の文字。アンリ・グージュのボトルは、その文字が誇らしげに見えます。)
注2 : アンリ・グージョではピノ・ノワールの変種より白ワインも生産しています。詳しくはこちらで。)
注3 : ローヌワインがブルゴーニュに入っていった過程や原産地呼称の誕生については、こちらで詳説しています。)
注4 : 故アンリ・グージュがまとめあげたニュイ・サン・ジョルジュのプルミエ・クリュ。Clos des Porrets Saint-Georges [Monopole] 3.5ha、Les Pruliers 1.7ha、Les Saint-Georges 0.95ha、Les Vaucrains 0.98ha、Aux Chaignots 0.5ha、Les Perrieres 0.39ha )


お知らせ:ヴァーチャル・ブルゴーニュ・ツアーについて
 ヴァーチャル・ブルゴーニュ・ツアーも10回をかけてコート・ド・ニュイを巡ってきました。読んでいただきありがとうございます。私もいつまでもブルゴーニュにいるわけにはいきませんので、ここらでちょっと一休み(笑)。コート・ド・ボーヌの旅は、他のお題も混ぜながら徐々にアップしていきます。


今月の味わいのあるワイン2002年9月
ではニュイ・サン・ジョルジュのワインを紹介しています。

ヴァーチャル・ブルゴーニュ・ツアーにおける参考文献や使用写真についてはこちらをご覧下さい。

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