ワイン愛好家にとっても憧れのグラン・クリュを数多く有するヴォーヌ・ロマネの存在感は現在でもピカ一。上記の説明通り、ワイン造りにおける諸条件に恵まれた土地なのでしょう。AC上の取り決めにより、隣村のフラジェ・エシェゾー村(FLAGEY-ECHEZEAUX)のワインもヴォーヌ・ロマネの名前で売ることが認められています。ここでは、フラジェ・エシェゾー村、ヴォーヌ・ロマネ村を一緒にご紹介します。 |
このドメーヌの功績は、偉大なグラン・クリュに恥じない品質のワインを生み続けてきた事。ブルゴーニュのワインは他国のピノ・ノワールに比べ、ヴィンテージ差も大きく、その不安定な品質は悩みの種。偉大な畑を持ちながら、それに見合うワインを生み出せない生産者も多い中で、DRCに関しては常に最高品質を保ってきたことはご存知の通り。 ここまでのヴァーチャル・ブルゴーニュ・ツアーで説明した通り、ブルゴーニュにおいては各畑のテロワール(畑の個性)が重要視されるわけですが、実際のところ、一つの畑を多くの生産者が分割所有している現状において、ワインの個体差は造り手による違いが大きく、純粋に畑の個性を比較できる機会はそう多くありません。こうした中で、DRCという名手がロマネ・コンティ、ラ・ターシュ、リシェブール、ロマネ・サン・ヴィヴァン、グラン・エシェゾー、エシェゾーという赤6種の特級ワインを産出している事は絶好の比較サンプルともなり、テロワールを重んじるブルゴーニュ・ファンの間で、崇拝される要因になっているように思います。 |
グラン・クリュ [1] ロマネ・コンティ Romanee Conti (1.8ha) [2] ラ・ターシュ La Tache (6.1ha) [3] リシュブール Richebourg (8ha) [4] ロマネ・サン・ヴィヴァン Romanee-Saint-Vivant (9.4ha) [5] ラ・ロマネ La Romanee (0.85ha) [6] ラ・グランド・リュ La Grande Rue (1.65ha) [7] グラン・エシェゾー Grands Echezeaux (9.1ha) [8] エシェゾー Echezeaux (37.7ha) |
[1] ロマネ・コンティ / Romanee Conti (1.8ha)
フランス革命時にはこの名畑も競売にかけられる事となり、クロ・ド・ヴージョをも所有していた投機銀行家ウヴラールらの手を経た後、1867年、サントネの酒商デュヴォー・ブロシェ氏(注1)に買取られます。ロマネ・コンティの名をドメーヌ名に冠した「ドメーヌ・ドゥ・ラ・ロマネ・コンティ」の発祥とされるのがこの時で、彼は長い年月をかけ現在のDRCにあたる地所をまとめあげたと言います。現当主ヴィレーヌ家はデュヴォー・ブロシェの子孫。(注2) 前共同経営者ラルー・ビーズ・ルロワ女史でさえ「ロマネ・コンティがもっとも偉大なぶどう畑だとわかるのに20年かかった」と語るように、この畑から生まれるワインが周りのものと比べ、別格の酒質を持つものなのか、またその価格に見合うワインであるのかは、運がよくとも一生に数度しか出会えないであろう私達にとっては理解し難い部分があるのも確か。ただし、その桁違いな市場価格を見れば分かるように「神がかった」と形容される神秘性を帯びる畑であり、ロマネ・コンティがブルゴーニュを代表するワインであることは間違いないでしょう。 ■ロマネ・コンティ1.8ha(DRCモノポール) / 年産約5,700本 / 希望小売価格16万円位(しかし市場では30万以上となるのが常) (注1 : Jacques-Marie Duvault-Blochet氏。DRCは1999年を良年と判断し、DRCを創立した祖先への敬意を表したワインとして、若い木から取れるブドウ、通常ネゴシアンに売っていたものを瓶詰し「Vosne
Romanee 1er Cru Cuvee Duvault-Blochet 1999」としてリリース、話題を集めています。) [2] ラ・ターシュ / La Tache (6.1ha)
ここから生まれるワインは、多くの専門家、ワインファンの間でも絶大な人気を誇り、濃密で野性味溢れ常に安定感のあるワインだと言う。何故そうなるのかは謎だけれども、前回のお題目で取り上げたクロ・ド・ヴージョ的な考え方をすれば、ラ・ターシュは斜面上部から下部にかけて長く伸びており、6.1haという比較的広めの畑をDRCが所有しているため、ブレンドにより均質化がはかれ複雑さを帯びるのではないだろうか? とにもかくにも現実に手の届く(というにはあまりにも高価だが)範囲としては、最も信頼のおけるワイン。 ■ラ・ターシュ6.1ha(DRCモノポール) / 年産約21,500本 / 希望小売価格5万円位 [3] リシュブール / Richebourg (8ha) この畑もラ・ターシュと同じく、1936年に元の5haの畑にレ・ヴァロワイユの区画3haを取り込み、8haに拡大されました。リシュブール(リシュ=富、ブール=豪村)という名の通り、リッチで豊潤、濃厚なワインが産出されます。ここはDRCだけでなく、著名な生産者が名を連ねているところが特徴的で、それぞれが凌ぎを削り高品質なワインを造り上げているため、畑自体の評価もコート・ドール最高位の名声を誇っています。人気、実力ともに上2つの畑と対等に張り合えるのは、ブルゴーニュ広しといえどもリシュブールだけだろう。 ■リシュブール8ha(DRCは3.5ha) / 年産約31,000本(DRCは約10,000本)
/ DRC希望小売価格4万円位 [4] ロマネ・サン・ヴィヴァン / Romanee-Saint-Vivant (9.4ha)
■ロマネ・サン・ヴィヴァン9.4ha(DRCは5.3ha) / 年産約37,000本(DRCは約18,000本)
/ DRC希望小売価格3.5万円位 [5] ラ・ロマネ / La Romanee (0.85ha) たった0.85haの畑、ラ・ロマネはフランスの原産地呼称法上で最小のアペラシオン。長年にわたりリジェ・ベレール家が所有し、現在は同家の法人であるドメーヌ・デュ・シャトー・ド・ヴォーヌ・ロマネのモノポール。ワインの熟成管理、瓶詰、販売はネゴシアンのブシャール・ペール・エ・フィス社が担当する。ロマネ・コンティに隣接し、これほど似通った立地は他にないため必ず比較される運命に。その品質は確かという世評ですが、高価な上に年産はたった3700本程度、確かめるのも難しい。 ■ラ・ロマネ0.85ha(ドメーヌ・デュ・シャトー・ド・ヴォーヌ・ロマネ、モノポール) / 年産約3,700本 / 希望小売価格5万円位 [6] ラ・グランド・リュ / La Grande Rue (1.65ha)
■ラ・グランド・リュ1.65ha(ドメーヌ・ラマルシュ、モノポール) / 年産約7,300本 / 希望小売価格1.5万円位 [7] グラン・エシェゾー / Grands Echezeaux (9.1ha) [8] エシェゾー / Echezeaux (37.7ha) この二つはフラジェ・エシェゾー村に属する畑で、上6つのグラン・クリュの固まりとは異なり、クロ・ド・ヴージョの斜面上部に位置します。エシェゾーとは"集落"の意味。DRCのオーナー、ヴィレーヌ氏によると、400年前にシトー派の修道僧が当時の領地を描いた絵地図にも、クロ・ド・ヴージョ、グラン・エシェゾー、エシェゾーの区画が描き出されており、当時からこれらがはっきりと区別されていたという事。またグラン・エショゾーの「グラン」とは「少し上」というニュアンスを含み、出来上がるワインが上質だったことを意味するようです。 実際にグラン・エショゾーはスケールの大きいワインで、その価格を考えると「もっとも信頼のおける、味わいがいのある特級」と評されるほど。弟格のエシェゾーは、栽培面積の広さ、所有者の多さから安定感に欠け、どうしても見劣りがしますが、それでも秀逸な生産者の手にかかれば、見事なワインとなることは周知の事実。 DRCはグラン・エショゾー、エショゾーにそれぞれ3.5ha、4.6haを所有していました。「していた」と過去形で書いたのは、1988年にその中から0.4ha、4.2haをストラスブールの保険会社に売却したからで、後述するロマネ・サン・ヴィヴァンの区画を購入する資金に充てた。現在、売却した区画に関しては賃貸契約を結び、以前同様の畑からワインを造っています。 ■グラン・エシェゾー9.1ha(DRCは3.5ha) / 年産約36,000本(DRCは約10,000本)
/ DRC希望小売価格2.7万円位 |
グラン・クリュを8つも有するヴォーヌ・ロマネは、当然のようにプルミエ・クリュも高いポテンシャルを持っています。地図を見ると15面ある一級畑のほとんどが特級畑に接し、村名格の畑は一本の道を挟み斜面下部にあるという風に、見事に線引きされています。 エシェゾーとロマネ・サン・ヴィヴァンの間を埋める大きな区画レ・スショ[10]や斜面上部のレ・ボーモン[11]は名の通った畑。リシュブールに接し、かつては神様と謳われたアンリ・ジャイエが別格のワインを生み出していたクロ・パラントゥ[12]とオー・ブリュレ[13]。ラ・ターシュの南隣のオー・マルコンソール[14]。立地から見るとグラン・クリュから離れ良く思えないものの、ドメーヌ・ミッシェル・グロ(かつてのジャン・グロ)の単独所有で、みなが誉めそやすクロ・デ・レア[15]等、注目すべきプルミエ・クリュが揃っています。 |
この村の生産者に関しては、それぞれの特級畑の欄に併記した造り手らが、非常に質の高いワインを生み出しているわけですが、やはり「ヴォーヌ・ロマネ=DRC王国」のイメージが強い。1988年、ドメーヌ・ルロワがリシュブールとロマネ・サン・ヴィヴァンの畑を取得し、現在ではDRCを凌ぐ市場価格をつけていますが、それでも王国の牙城一角を崩しかけているといったところでしょう。
ロマネ・サン・ヴィヴァンは1790年以降、ブルゴーニュの大地主であるマレ・モンジュ家(Marey-Monge)が全区画を所持していました。以後、少しづつ切り売りされたわけですが、子孫のネラン家は1988年まで全9.4haの半分以上にあたる5.3haを維持し、DRCはその区画を借りてワインを造っていました。同家はフランスにおける高額な相続税のため、その区画さえ手放すこととなり、1988年、長期間の賃貸契約を結んでいたDRCが買取ることとなります(注3)。その際、先に説明したようにグラン・エシェゾーとエシェゾーを売ってまで、サン・ヴィヴァンを入手したわけですが、そこにDRCとヴィレーヌ家の想いが伝わるような気がします。
「ロマネ・サン・ヴィヴァンは個人的に好きなワインです。このワインは非常に印象深くて、相反する2つの面を持っています。つまり香りが非常にロマネらしい感じで、デリケートでエレガント。それでいながら、口に含むと厳格さというか、いかめしさみたいなものが出てきます。これはやはり、ロマネ・サン・ヴィヴァンという修道院の修道僧が非常に厳格な戒律のもとでの生活をしていたということを彷彿とさせます。」 ブルゴーニュの生産者の中には「リシュブールの畑が欲しい」という人はいますが「サン・ヴィヴァンが欲しい」という人はあまりいない。さらに「ロマネ・コンティは欲しいけど、その重圧が大変だ」という声も聞きます。DRCワインが高品質を維持している理由として、栽培、醸造上における出来うる限りの努力が伝えられますが、そこにはこうしたブルゴーニュ・ワインの歴史を解し、文化としてのワインを継承する意識が多大に働いているからこそ、という気がします。 (注3 : DRCはマレ・モンジュ家に敬意をはらい、ロマネ・サン・ヴィヴァンのエチケットに「Marey-Monge」の名を残しています。) |
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