ジュヴレイ・シャンベルタン村を南下すると、次に出会うのが、モレ・サン・ドニ村。名声高いジュヴレイ・シャンベルタン、シャンボール・ミュジニーという両隣の村に比べると、何故か目立たない控えめの存在。 しかし、実際に産出されるワインはその知名度とは裏腹に、非常に高い品質のものが多い。5つのグラン・クリュを持ち、プルミエ・クリュとの面積を合わせると、総面積の半分以上、六割にせまる比率であり、これはコート・ドール随一。 比較的価格も手頃で、安定感のあるモレ・サン・ドニのワイン。ワイン好きには見逃せない土地を見てまいりましょう。 |
モレ・サン・ドニの畑は、海抜250mから300mの東向斜面に広がります。ヴィラージュ(村名畑)が64ha、プルミエ・クリュ(20区画)が43ha、五つあるグラン・クリュが合わせて41.3ha。 「グラン・クリュ街道」を挟み、斜面上部にグラン・クリュ、斜面下にプルミエ・クリュを配しています。では、著名な畑を見て周ります。 (地図上の各ナンバーにマウスを当てると、畑名が表示されます。「等高線表示」をクリックすると、等高線を表示します。) |
[2] Clos Saint-Denis / クロ・サン・ドニ (6.6ha) クロ・ド・ラ・ロッシュは、モレ・サン・ドニで最も大きなグラン・クリュ。ロッシュとは「岩」の意味で、石灰岩の露出が目立つ畑の名の由来となっています。約40軒の造り手が分割所有していますが、それらの生産者のレベルがとても高いことでも知られ、モレの特級の中でも、濃厚、逞しく、長命なワインが産出される。(写真右はクロ・ド・ラ・ロッシュの畑) クロ・サン・ドニは、村名の由来ともなっている畑。約20軒の生産者がいる。海抜の高い場所にあるため、やや傾斜の急な東向斜面。クロ・ド・ラ・ロッシュに比べると、洗練された個性というのが通説のようです。 [3] Clos des Lambrays / クロ・デ・ランブレイ (8.7ha) クロ・デ・ランブレイは1930年代、偉大な畑と思われていながら特級の地位につく事を見送った。それ以後の評判は芳しくなかったものの、1979年に所有者となったサイエ家の努力により1981年、一級から特級への昇格が認められた。これは原産地呼称法が制定された以後、初めての出来事。ドメーヌ・デ・ランブレイが8.7ha中、8.66haを所有しているので、ほとんどモノポールとも言えるもの(注1)。 [4] Clos de Tart / クロ・ド・タール (7.5ha)
[5] Bonnes Mares / ボンヌ・マール (1.5ha) ボンヌ・マールはこの村と隣村のシャンボール・ミュジニーにまたがっています。モレ側はわずか1.5haで、シャンボール側に13.5haあります。この畑はシャンボール・ミュジニーで観察してみましょう。 ![]() この村のプルミエ・クリュは、多くが「グラン・クリュ街道」の下部にあり、隣村ジュヴレイ・シャンベルタンではグラン・クリュとなっている斜面の続きですから、非常にお買い得、そしてこの村の特徴を知るにはいいかもしれません。中でも評判の良い畑は、クロ・デ・ゾルム[7]、レ・ミランド[8]、クロ・ソルベ[9]、レ・リュショット[10]、ラ・ビュシェール[11]。 そして、これらの畑とは別に、クロ・ド・ラ・ロッシュの斜面上部に位置するモン・リュイザン[6](5.4ha)は、特に注目のプルミエ・クリュ。南東向きの急な斜面は、石灰質の量が多くなるため、約2haにシャルドネ、アリゴテ、ピノ・ブランが植えられ白ワインも生産されています。 (注1 : 実際にはトープノ・メルムというドメーヌが、極少量のクロ・デ・ランブレイを造っています。生産量は一樽分くらい、レア物の域。) |
この村はグラン・クリュ、プルミエ・クリュが非常に高い比率で栽培面積を占めているわけですが、それに加え、各生産者のレベルが高いとも言われます。せっかくこの村に来たのですから、ブルゴーニュでも最上のドメーヌに数えられる、ドメーヌ・デュジャックを訪問してみましょう。ここは、評価の高いモレの造り手の中でも、リーダー的な存在。ドメーヌ名はオーナーのジャック・セイス氏の地所という意味(デュ・ジャック)。
ドメーヌの創設は1967年、当初はパリでの仕事も兼ねていたものの、70年代にはブルゴーニュに移り住み、ディジョン大学醸造科で最新の醸造法を学んだ。4.5haであった所有畑も現在では12.7haとなり、その中には、クロ・ド・ラ・ロッシュ、クロ・サン・ドニ、ボンヌ・マール、シャルム・シャンベルタン、エシェゾーというグラン・クリュが含まれます。また1990年にはDRC社のオベール・ド・ヴィレーヌ氏とともに、南仏エクサン・プロヴァンスの南に畑を購入、ドメーヌ・ド・トリエンヌを創設し、成功を収めたことでも話題となりました。 ジャック・セイス氏の基本理念はテロワールの尊重であり「いじりすぎないブルゴーニュワイン」。無農薬で収穫を抑え、選果を大切にしている。ブドウが健全であれば除梗は行わず、補糖を抑え、アルコール発酵も温度コントロールをなるべく行わない(最高33℃)。天然酵母を使用し、2〜3週間醗酵。当然のように清澄、濾過処理もしない。 こうした考えは今のブルゴーニュでは当たり前のようになっていますが、創設時から行ってきたというのは、当時では革新的なことであったようです。さらに彼は、若いワイン生産者達にこうした信念を伝え、多くの醸造家が影響を受けたと言います。デュジャックのワインは、まさにブルゴーニュの気品と風味を伝えるものでしょうし、こうした志を持つ人が、この村全体のレベルを上げたことは間違いなさそうです。【Domaine Dujac HP】 (写真右上 : オーナーのジャック・セイス氏。柔らかい物腰の紳士。) |
【モレ・サン・ドニ村の著名な生産者】 【モレ・サン・ドニを産するネゴシアンと他村の著名な生産者】 |
あとこの村で重要なのが、由緒ある畑であり、大きなグラン・クリュを単独の所有者が占有するクロ・デ・ランブレイとクロ・ド・タール。今回は原産地呼称法の制定以降、初めてのグラン・クリュへの昇格が許された、クロ・デ・ランブレイを訪れてみます。
そんな畑を買収したのが、メルキュレのサイエ兄弟で1979年のこと。兄弟はブドウ畑の改植を行い、醸造所を改修、そうした努力が実り、1981年4月27日、クロ・ド・ランブレイはグラン・クリュへの昇格を果たします。以後ドメーヌは、醸造学者でもある支配人のティエリー・ブルーアン氏により精力的に運営され、かつての栄光を取り戻す事となります。1996年にドメーヌはドイツのフロンド・グループの手に渡りましたが、ブルーアン氏は引き続き運営を任されています。 |
さて、このワインを語る上で必ず悪者にされるコッソン一族。20世紀中期に所有していた間、ランブレイを貶めた犯罪人とでも言えるのでしょうか。 しかし、R.パーカー氏の"ブルゴーニュ"では「1930年代と40年代にクロ・デ・ランブレは伝説的なワインを生み、途方もないボディ、芳醇さと熟成力で大喝采を博した。以前の所有者であるコッソン家の作になる1937、45、47、48、49は比類ない味わいであった。」と記されています。
ある意味、古木と収量制限は現在においても重要視されることですし、この一族が全くワインに無関心であったというのは、言い過ぎかなとも思われます。ただし、末期においては、手の施しようがないほど荒れていたというのは事実なのでしょうが(注4)。実際はどうであったのか定かではありませんが、こんな事をふと思ったのも、1962年産のクロ・デ・ランブレイに出会ったからで、そのワインは悪しき世評を払拭するほどの素晴らしさだったのです。 1962年のものは、現在と全く違うエチケット。「GRAND CRU CLASSE」と書かれていますが、これは歴史的な背景から見ても、非公式な表示でしょうね。1962年のブルゴーニュは、作柄としては非常に優れていた年ですが、この時代のランブレイの評判を知っていただけに、軽んじていた。まさかこんな事があるとは! この畑は当時からグラン・クリュだったんだと痛感させられる味わい・・・これだからワインは面白い。 (注4 : 1979年にブルーアン氏がこのドメーヌに来た時、1973年のワインがまだ樽で眠っていたという。) |
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