変革を迎えたワイン生産国、スペイン。前編ではその重要な産地と世間を騒がすスーパースパニッシュの登場について触れました。後編では、現在スペインの中でも最も脚光を浴びるリベラ・デル・ドゥエロDOと、この地にて古くからスペイン最高峰の地位を保つベガ・シシリア・ウニコについてまとめてみたいと思います。 (注 : リベラ・デル・ドゥエロにおいてのテンプラニーリョ種は、自然環境に適応し、より小粒で果皮の厚いブドウに変化、この地ではティント・フィノ、またはティント・デル・パイスと呼ばれます。このページ内では「ティント・フィノ」と記します。) |
リベラ・デル・ドゥエロに本格的な変革をもたらしたのは、アレハンドロ・フェルナンデスのペスケーラというワインでした。一代で実業家として成功した彼は、家族がペスケーラ村に所有していた畑を基に、1972年ボデガを興します。ティント・フィノを100%用い濃厚な長熟にも向くワインを産み出し、1980年代、R.パーカー氏が高く評価したことにより、一躍脚光を浴びることになります。
その他にも、19年間ペスケーラの醸造責任者をしていたレイエス氏のテオフィオ・レイエス、同じようにベガ・シシリアの醸造責任者を30年以上務めたマリアーノ・ガルシア氏が息子達と造るボデガス・マウロ、ベガ・シシリアが自社ブドウ園のすぐ近くのワイナリーにて新時代のワインを目指すアリオン、ベガ・シシリアの隣に位置しピーター・シセック氏がワイン造りを行うフィンカ・ビラクレセス、巨大なスイス資本を背景に最先端の醸造設備を持ち、シャトー・オーゾンヌのパスカル・デルベック氏をコンサルタントに迎えたアバディア・レトゥエルタなど、様々なニューウェーブ・ワインが生産されています。 こうした流れをみても、現在のリベラ・デル・ドゥエロに対する評価は、ペスケーラの功績と最新のスーパー・スパニッシュによるものですが、それはパーカー氏など評論家の高得点により火がついた世界的な需要の高さから生まれたものであると言えます。しかし、この地のブドウを求める生産者にとっても、ワインを求める世界中の消費者にとっても、その根底には「ベガ・シシリア・ウニコの故郷=ワイン生産地としての高いポテンシャル」という意識が流れているのも事実でしょう。 (注1 : 自社畑のブドウだけを用いて造ったワイン。リオハをはじめスペインでは買い付けブドウによるワイン生産が一般的でした。) |
以上のように、スペインの中で最も活発でエネルギッシュな産地として世界中から注目されているリベラ・デル・ドゥエロですが、この地にあり20世紀初頭からスペインワインの頂点として位置づけられるのが、ベガ・シシリアが生み出すウニコというワイン。 ベガ・シシリアは誕生から現在まで、カベルネ・ソーヴィニオン、メルロー、マルベックといったボルドー品種をティント・フィノにブレンドしてきました。1982年にリベラ・デル・ドゥエロの原産地呼称が制定された際、リオハとは異なり、こうした外来品種が認められたのは、ベガ・シシリアが以前から使用していたためだったといいます。(注2)
その後、農園はエレロ家の所有に。20世紀に入ると醸造家ドミンゴ・ガラミオラが雇われ、彼の手によって初めてベガ・シシリアのワインが造られます。初ヴィンテージは、はっきりとした記録は残っていないものの、1915か1917のどちらかということ。(注3) エレロ家は、そのワインを販売するのではなく、自家消費用と裕福な友人達へプレゼントとして使用。そうした市場に姿を現さないワインは特権性、神秘性を帯び「ベガ・シシリア=スペイン最高級のワイン」という伝説が育てられていく下地となります。 1952年には、プロデス家に売られますが、その時に支配人として登場したヘヘス・アナドンは近代ベガ・シシリアの発展に努め、再度1966年スワントン家に売却された時にも、そのまま責任者として残り、ワインの品質を守るため尽力をつくしました。そしてアナドンの引退と共に、アルバレス家の手へ。1982年にオーナーとなったアルバレス家は、最新のステンレスタンクや新樽を設置した醸造所を建設し、現在もウニコの品質を堅持するため多くの投資をしていると伝えられます。 (注2 : リベラ・デル・ドゥエロDOで認可されているブドウ品種は、ティント・フィノが75%以上、補助品種としてガルナッチャ、カベルネ・ソーヴィニオン、メルロー、マルベック、アルビーリョ。ガルナッチャ以外はベガ・シシリアが使用する品種そのもの。) |
ウニコとなるブドウの平均樹齢は約40年、収穫の良い年にしか瓶詰めされません。樹齢の若い樹やウニコになれない年には、セカンドワインである「バルブエナ」(注4)にまわされます。そして1990ヴィンテージからはすべて自社畑産のブドウだけを使用するようになりました。(注5) 大きな特徴である長期にわたる樽熟成は、大樽で1年熟成の後、ほとんどが新品の小樽で2年間寝かせ、さらに古樽に移して4年という計7年間。この間、10回以上も樽を替え、澱びきを行うことにより、自然な清澄が行われ透明度が高まるため、瓶詰め時には過度のフィルターは必要なくなります。 樽そのものにもこだわりを見せるベガ・シシリアは、ボデガ内に製樽所を持ち、アメリカのオレゴン等から最上の樽材を輸入、4年間天日で乾燥させた後、熟練された職人により組み上げられます。小樽熟成には約2割のフレンチオーク(アリエやトロンセ産)も使用していますが、こちらに関してはわざと完成品を用いる。何故ならフランスの上質な樽材は製樽会社に売られてしまうから。 瓶詰め後もセラーの中で深い眠りを過ごし、ヴィンテージから早くて10年、遅い場合には20年後に市場に出てくる事もあるほど。最新ヴィンテージである1990は、2000年にリリースされましたし、そのマグナムボトルは2005年、ダブルマグナムは2008年の予定ということ。 こうした時間と人手のかかる製造工程、そして10年以上も換金されないワインをストックする事は、常に経済的な基盤があり、その取引価格が高価であることが絶対条件。新進のワイナリーなどでは不可能。そこには、スペイン上流社会での「友のためのワイン」としての生い立ちが重要な要素の一つとしてあると思われます。 最も古くから外来品種を用いたこと、そして独自の熟成過程は、スペイン全土を見渡しても稀有な存在。これが永きに亘り頂点とされる唯一無二のワイン「ウニコ」の所以。 (注4 : バルブエナの樽熟成は平均3年半、瓶熟成が1年。ラベルに書かれている「Valbuena
5゜」の5゜(キント:5年目)には収穫の5年後に発売されるという意味がある。) |
ウニコは、スペイン政府のパーティーや王室の宴席でも使用されるスペインワインのシンボルとも言える存在。英国のチャールズ皇太子と故ダイアナ妃の結婚を祝うワインとして、エリザベス女王がスペイン国王を経由して購入依頼を出したことも、有名なエピソードとして語られます(注6)。1990ヴィンテージでは約10万本まで生産量も増えましたが、エレロ家の時代と同様、今なお販売先を徹底的にセレクトし、顧客を優先して届けられるため市場に出回る量は限定されてしまいます。
ウニコにおける長期の樽熟、これこそがスペインの伝統を物語っているのかもしれません。ただウニコは、古くから外来品種を使用し、新樽やフレンチオークも採用するなど、現代スーパー・スパニッシュの登場以前から多くの革新を行ってきました。そういった意味では「革新と伝統が息づくワイン」と言えるのではないでしょうか。 古典的なリオハが持つ伝統の味わい、そして今後さらに注目されるであろうスーパー・スパニッシュと称されるワイン達。ウニコを頂点とするスペインは、これからも双方の良さを伝えてくれるような気がしました。 (注6 : 結局は数が揃わないという理由でベガ・シシリアは英国王室の申し出を断った。その代わりにウニコを1ケース[ウニコは1ケース3本]をお祝いに贈ったということ。) |
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