憲法改正論議に不安

平成三十一年

自民党による憲法改正が具体化しようとしている。ひとたび多数を制すると、たちまち正体を現し、すべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。民主主義はいっぺんに壊れ、独裁主義だけがのさばることになる。先の国会も外国人労働者の受け入れや内容のないまま国会で多数を制する自民党・公明党は法案を通してしまった。

 憲法改正も九条に自衛隊を明記する案は、国を大きく変質させる恐れが強い。よく考えるべきである。基本的人権や国民主権は先進国では標準装備だから、戦後日本のアイデンティティーは平和主義と言える。国の在り方を決定づけているからだ。

 九条一項は戦争放棄、二項で戦力と交戦権を否認する。自民党はこれに自衛隊を書き込む提案をしている。安倍晋三首相が二年前にした提案と同じだ。

 だが、奇妙なことがある。安倍首相は「この改憲によって自衛隊の任務や権限に何らの変更もない」と述べていることだ。憲法の文言を追加・変更することは、当然ながら、その運用や意味に多大な影響をもたらすはずである。

 もし本当に何も変更もないなら、そもそも改憲の必要がない。国民投票になれば、何を問われているのか意味不明になる。今までとなんら変化のない案に対し、国民は応答不能になるはずである。動機が存在しない改憲案、「改憲したい」欲望のための改憲なのかもしれない。なぜなら既に自衛隊は存在し、歴代内閣は「合憲」と認めてきたからだ。

 安倍首相は「憲法学者の多くが違憲だ」「違憲論争に終止符を」というが、どの学術分野でも学説は別れるものであり、改憲の本質的動機たりえない。

 憲法を改正するには暗黙のルールが存在する。憲法は権力を縛るものであるから、権力を拡大する目的であってはならない。また、目的を達成するには、改憲しか手段がない場合がある。憲法の基本理念を壊す改憲も許されない。

 このルールに照らせば九条改憲案は理由たりえない。おそらく別の目的が潜んでいるのではないか。例えば自衛隊の海外での軍事目的活動を広げることだろう。

 歴代内閣は他国を守る集団的自衛権は専守防衛の枠外であり、「違憲」と国内外に明言してきた。ところが、安倍内閣はその約束を反故にし、百八十度転換した。それが集団的自衛権の容認であり、安保保障法制である。専守防衛の枠を壊してしまったのだ。

 それでも海外派兵までの壁はあろう。だから改憲案では「自衛隊は必要最小限度の実力組織」という縛りから「必要最小限度」の言葉をはずしている。

 従来とかわらない自衛隊どころでなく、実質的な軍隊と同じになるのではないか。

それが隠された動機ならば自民党は具体的にそれを国民に説明する義務を負う。それを明らかにしないで、単に自衛隊を書き込むだけの改憲だと国民に錯覚させるなら、不公平である。

 また、安倍首相らの根底には「九条は敗戦国の日本が、二度と欧米中心の秩序に挑戦することがないよう米国から押しつけられた」という認識があろう。しかし当時の幣原喜重郎首相が連合軍最高司令官マッカーサーに戦争放棄を提案した説がある。両者とも後年に認めている。日本側から平和主義を提案したなら「押しつけ論」は排除される。

 歴史学者の笠原十九司氏は雑誌「世界」で、幣原提案説を全面支持する論文を発表する

 他国の戦争に自衛隊も加われば、おおよそ平和主義とは相いれない。日本国憲法という改憲によって戦争する軍隊になる。