広島県は、むかしの備後の国と安芸の国から成っています。
むかし、備後・備中・備前の三つの国を合わせて、吉備の国といっていました。この名は、崇神天皇が都から西へ吉備津彦命を使わせたことから付けられた地名ではないかと言われています。
 また一説には、そのむかし、広島地方は穀物のキビ(黍)がよくとれたので、このキビに基づく名だろうとも言われています。阿波の国が『粟』、紀伊の国が『木』に基づくように。
備後の国は、広島県の東部をしめています。(備中・備前の国は、岡山県です。)

 安芸の国は、広島県の西部をしめています。
安芸の名は、鰓(アギ)よりつけられた名であろうといわれています。鰓は魚の頬のことです。
 ある年の六月、仲哀天皇の皇后が渟田(ぬた)の瀬戸の船上で食事をしているときに鯽(セキ)がたくさん船のそばに集まってきました。皇后が酒を鯽(セキ)にそそがれると鯽(セキ)は酔って浮き上がり、漁師はたくさん鯽(セキ)をとって、皇后たちにおいしく食べていただいたといいます。それ以来六月になると魚が鰓をぱくぱくさせて酔ったように浮き上がるということです。




広島の名
広島の地名のおこりについては、いろいろな説があります。
 太田川口の五ケ村(白島・広瀬・平塚・鍛治塚・在間)と呼ばれたデルタの中で、お城のある島が最大で広島と呼ばれていたので、広島と名づけたという説があります。
 また、天正十七年(1589)、毛利輝元が「この五ケ村の名は、城所の名まえにはしにくい(城が五ケ村にあるからといって、五ケ村城という名まえはふさわしくない、という意味)毛利氏の祖先大江広元の『広』と、輝元をこの地に案内し鍬始めまでこぎつけさせてくれた福島大和守元長の『島』の二字を合わせよ。」と命じてつけられたともいわれています。










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