福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
頼春風
らい・しゅんぷう
頼山陽の叔父
来春風 (出典1)


経 歴
生:宝暦3年(1753年)、安芸国竹原(現広島県竹原市)生まれ
没:文政8年(1825年)9月11日、享年73歳、竹原照蓮寺に葬る
明和4年(1767年) 14歳 大坂において、古林見宜に医術を学ぶ
家塾「竹原書院」を開く
安芸藩藩医


生い立ちと学業、業績
 七頼の第二。安芸国賀茂郡竹原(現広島県竹原市)の人。亨翁の次子。頼春水、頼春風、頼杏坪三兄弟の1人である。また、いわゆる七頼の二番目にあたる。名は惟彊(ただはる)、通称は松三郎、字は千齢、春風は号である。
 14歳のとき、兄春水に従って大坂に至り、父の命により、医術を古林見宜に学ぶ。兄弟3人大坂にあり、当時の文人達は、彼等の詩風を、春水の「方」、杏坪の「三角」、に対し、春風のそれは「円」であると評したが、彼は詩風のみならず、人格・家族関係・処世いずれも円満の人であった。
 父亨翁が病んだので、竹原に帰り、父につかえ、家塾「竹原書院」を開き、医を業として宗家を守った。のち安芸藩より藩医に推された。

 
菅茶山年譜によって、茶山、春風の関係を見ると、天明8年(1788年)芸州に遊んだ茶山が、帰途、はじめて竹原に春風を訪のうている。また文化2年(1805年)にも、竹原頼家を往訪して、5日間滞在、頼家の人々と詩会を催して楽しんでいる。
 春風は、郷里において悠々たる生活を送った後、文政8年(1825年)9月11日、竹原春風館に没した。享年73歳。
   (出典1)~(出典3)


誠之館所蔵品
管理№ 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
05360 頼春風 書 七言絶句「山樓水榭」
00027 頼春風 差出 頼春風差出「書状」


出典1:『頼山陽と芸備の文化』、19頁、頼山陽記念文化財団編刊、平成7年11月3日
出典2:『誠之館記念館所蔵品図録』、60頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日
出典3:『菅茶山と頼山陽(東洋文庫195)』、富士川英郎著、平凡社刊、昭和46年9月25日
2005年7月4日更新:レイアウト●2006年6月28日更新:タイトル、所蔵品●2008年1月9日更新:経歴、本文、出典●2009年6月3日更新:誠之館所蔵品●