福山阿部藩
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福山藩
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永井潜
ながい・ひそむ
生命学者、東京帝国大学教授、日本性学会会長、医学博士
永井潜
生:明治9年(1876年)11月14日、広島県賀茂郡下市村(現竹原市竹原町)生まれ
没:昭和32年(1957年)5月17日、享年81歳
明治18年(1885年) 10歳 漢学塾浚明館(館長・長谷川桜南)に入学
広島師範学校附属小学校に転校
明治22年(1989年)3月 14歳 広島師範学校附属小学校を修了
明治22年(1989年)9月6日 14歳 尋常中学福山誠之館に入学
明治26年(1893年)3月 18歳 生徒退館請願事件
明治27年(1894年)7月16日 19歳 広島県福山尋常中学校(誠之館)卒業
明治27年(1894年) 19歳 上京して1年間ドイツ語を専修
明治28年(1895年)9月 20歳 第一高等学校大学予科第三部(医科志望)に無試験入学
明治35年(1902年) 27歳 東京帝国大学医科大学を卒業
明治35年(1902年) 27歳 東大生理学教室に入局、大沢謙二教授に師事
明治36年(1903年)3月31日 28歳 英独仏留学(3年間)、主にドイツ・ゲッチンゲン大学においてフォルボルン(Max Verworn)教授に師事、哲学・思想についても大いに影響を受ける
明治36年(1903年) 28歳 東京帝国大学医科大学助手
明治39年(1906年) 31歳 東京帝国大学助教授、「生理学」
明治44年(1911年) 36歳 医学博士学位授与「冬眠動物ノ新陳代謝二就テ」
明治44年(1911年) 36歳 叙従六位
大正2年(1913年) 38歳 叙正六位
大正4年(1915年) 40歳 東京帝国大学教授
大正5年(1916年) 41歳 叙従五位勲六等瑞宝章
大正6年(1917年) 42歳 叙正五位
大正7年(1918年) 43歳 勲五等瑞宝章
大正12年(1923年) 48歳 台北帝国大学医学部部長
大正12年(1923年) 48歳 日本性学会会長
昭和5年(1930年) 55歳 日本民族協会会長
昭和10年(1935年) 60歳 日本民族衛生協会の外郭団体として日本優生結婚普及会を設立
昭和12年(1937年)5月 62歳 東京大学名誉教授
昭和12年(1937年) 62歳 叙正三位
昭和12年(1937年)10月 62歳 台北帝国大学医学部長
昭和14年(1939年) 64歳 国立北京大学専任名誉教授
昭和15年(1940年) 65歳 勲一等瑞宝章
昭和22年(1947年) 72歳 北京引揚
昭和24年(1949年) 74歳 九州大学講師
昭和32年(1957年) 80歳 旭日大綬章
生い立ちと略歴
 永井潜氏は明治9年(1876年)11月14日、広島県賀茂郡下市村(現竹原市竹原町)において、永井敬介の、13人兄弟の2男として生まれた。号は静山。
 永井家は代々好学の風があり、潜の父は、当時の小学校教育に満足せず、9才の潜を、広島県沼隈郡松永村(現福山市松永町)の漢学塾浚明館(館長・長谷川桜南)に入学させた。彼は塾生40名中最年少であったが、すでに五経をよく読み神童といわれた。後年児童心理学者となった
高島平三郎氏は、潜の父にすすめて、広島県立師範学校附属小学校に転校させ、正規の学校教育の中でその天分を発揮させるようにさせた。明治22年(1989年)3月、附属小学校を修了して、同明治22年(1989年)9月6日、尋常中学福山誠之館に入学した。中学在校中の成績は、学業・性行ともに群を抜いていた。
 明治27年(1894年)7月16日、福山尋常中学校(誠之館)を卒業して上京、1年間ドイツ語を専修した後、明治28年(1895年)9月、第一高等学校大学予科第三部(医科志望)に無試験入学、明治35年(1902年)、東京帝国大学医科大学を卒業した。
 その後の経歴は、まことに輝かしいものであった。すなわち英独仏留学<明治36年(1903年)より3年間>、東大助教授<明治39年(1906年)「生理学」>、学位授与<明治44年(1911年)「冬眠動物ノ新陳代謝ニ就テ」>、東大教授<大正4年(1915年)>、台北大学医学部部長・日本性学会会長<大正12年(1923年)>、日本民族協会会長<昭和5年(1930年)>、北京大学教授<昭和13年(1938年)>、北京引揚<昭和22年(1947年)>、九大講師<昭和24年(1949年)>等である。
 氏はまた、生理学に物理、化学の理論と実験技術を導入し、優生学に関心を持ち、人類遺伝学に通じ、民族衛生学会を創立した。
 書をよくし、また文章に秀で、和歌・俳句・刀剣・書画を終生の趣味とした。
 郷土との関係では、「芸備医学会」第2代会長に推されて、後輩の育成につとめている。
 昭和32年(1957年)5月17日、藤沢市に於て逝去、享年81歳。藤沢市大鋸の遊行寺に葬られている。(
江川義雄著『広島県医人伝』・『性科学と郷土の先哲たち』による)。

誠之館時代の事件のこと
 誠之館において、彼が4年生であった明治26年(1993年)3月、
若井遜川又両教師の退任に反対して生徒がおこした「生徒退館請願事件」に際しての彼の態度は、まことに公明で潔いものであった。6年後の明治32年(1899年)、母校「校友会雑誌」に書簡を送り、事件を回想してその当時の心情を述べるとともに、後輩への忠告3箇条を提示して、母校の発展を念願している。
 「まさに此れ吾が福山中学のダークエイジ已に去って、□々
(けいけい)たる明星天の一角に顕はれんとするものの如し。聊か大白(大杯)挙げて、諸兄と共に左の三大綱目を大呼せむ乎。
□=
 第一 善美なる校風を樹立し、以て自治自制の念を養成すること。
  (かつて自分の在学中には、各級倶楽部があり、自治自制、校風樹立の実をあげた。もし廃弛しているならば、これを復活すべきである。)
 第二 時々全校の集会を催し、校長諸教授及び地方有力者の出席を乞うこと。
  (会合によって一致団結の風を養い、諸先輩に親炙してその感化を蒙ることが肝要である。)
 第三 内外の連絡を完からしむること。
  (校外の同窓生が内のものを愛し、校内の後輩が、先輩を尊ぶことにより力を得ることができる。)」
 カッコ内は、永井の文章を要約したものである。この提言によっても、彼の識見の高さと母校後輩への愛情の強さをうかがうことができよう。
 つぎに在校中の作品が2篇、明治26年(1893年)の「福山校友会雑誌」第1号に残されている。
(1) 「スコット 湖上の美人」・・・・・・「夕ぐれ烟たち初めて」という初句にはじまる、七・五調二七連の新体詩形和訳である。
(2) 「囮字解」・・・漢字の字形解釈。漢字読解力の高さをうかがうことができる。

学問上の主題
 氏の学問上の主題は、『医学と哲学』<大正14年(1925年)刊>・『生物学と哲学の境』<大正5年(1916年)刊>・『哲学より見たる医学発達史』<昭和25年(1950年)刊>などの著作の中で体系づけられているように、生理学者の立場から、生命・性など人間の根元に関する探求であった。これを基礎として、学問の範囲が性学・優生学に拡がり、さらに性教育や民族の優生問題にも情熱をもやすようになって、究極的には「性は生、性は聖なり」という宗教的境地にまで達したのである。
   石井和佳(昭和25年卒)
誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付 コメント
00067 永井潜 差出 「松阪昭二宛書状」 昭和27年
02971 永井潜 著 『生命論(第3版)』 洛陽堂 大正4年
03918 永井潜 著 『人性論』 実業之日本社 大正5年
03917 永井潜 著 『生物学と哲学の境』 大正5年
02972 永井潜 著 『生命論(第13版)』 洛陽堂 大正9年
00366 永井潜 著 『道と自然』 人文書院 昭和11年
02978
02979
永井潜 訳 『人間における男性の性行為(上下)』 コスモポリタン社 昭和25年 共訳
02980
02981
永井潜 訳 『人間女性における性行動(上下)』 コスモポリタン社 昭和29年 共訳:朝山新一ほか
02973 永井潜 著 『性教育』 有山閣 昭和31年
00372 江川義雄著 『廣島縣醫人傳(広島県医人伝)第1集』 江川義雄 昭和61年
00365 永井勇
永井醇三
『永井家系譜図』 平成2年
04730 河本テル 編 『河本亀之助追悼録』 河本テル 大正10年
05569 亀岡豊二 編 『久遠の寿 高島寿子夫人追悼録』 東京芸備社 大正11年 永井が誄辞
探しています
氏  名 書 籍 名 制作/発行 日 付 コメント
永井潜 著 「原生動物の生殖法に就きて」(論文) 明治40年
永井潜 著 「冬眠動物の新陳代謝に就て」(学位論文) 明治44年
永井潜 著 『医学と哲学』 吐鳳堂 明治41年
永井潜 著 『保健衛生 一日二食論』 文会堂書店 大正8年 共著:岡崎桂一郎
永井潜 著 『医学と哲学』 洛陽堂 大正11年
永井潜 著 『反逆の息子』 文化生活研究会 大正14年
永井潜 著 『最新生理衛生教科書』 明治書院 大正15年
永井潜 著 『民族衛生』
永井潜 著 『性教育講話』
永井潜 著 『人及び人の力』 人文書院 昭和2年
永井潜 著 『内分泌』 興学会出版部 昭和2年
永井潜 著 『アリストテレースよりニュートンまで』 春秋社 昭和4年
永井潜 著 『健康増進叢書 性編』 春陽堂 昭和4年 共著
永井潜 著 『性の生理』 春陽堂 昭和4年
永井潜 著 『科学的生命観 春秋文庫1』 春秋社 昭和4年
永井潜 著 『生命と自然界』 日本衛生会 昭和8年
永井潜 著 『自然観より人生観へ ザインよりゾルレンへ』 人文書院 昭和8年
永井潜 著 『偉人論及び偉人研究 偉人傳全集第24巻』 改造社 昭和10年 共著
永井潜 著 『優生学概論』 昭和11年
永井潜 著 『結婚読本』 春秋社 昭和14年
永井潜 著 『新生命論』 春秋社 昭和15年
永井潜 著 『科学と道徳 教学新書11』 興亜教学研究会 昭和18年
永井潜 著 『哲学より見たる医学発達史』 杏林書院 昭和25年
永井潜 著 『第二結婚読本』 春秋社 昭和25年
永井潜 著 『近代日本のセクシュアリティ4 性をめぐる言説の変遷』 ゆまに書房 平成18年 共著:斎藤光
R・L・ディキンスン 『世界性学全集(20巻)』 河出書房 永井監修
東京大学医学部生理学教室 編 『日本生理学文献 明治六年〜昭和五年』 東京大学医学部生理学教室 昭和7年 永井潜25年記念出版
B・マリノウスキー 著 『未開人の性生活 世界性学全集9』 河出書房 昭和32年 永井監修
(※永井潜についての資料は、広島県医師会、広島大学医学部医学資料館、竹原公民館などにあります。)
出典1:『誠之館百三十年史(上巻)』、594頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日
出典2:『講談社 日本人名大辞典』、講談社編刊、2001年
出典3:『新潮日本人名辞典』、新潮社編刊、1991年
出典4:『福山校友会雑誌(第1号)』、33・39頁、福山尋常中学校友会編刊、明治26年12月1日
出典5:『廣島縣醫人傳(広島県医人伝)第1集』、46頁、江川義雄刊、昭和61年4月19日
出典6:『河本亀之助追悼録』、33頁、「誄詞」、永井潜、河本テル発行、大正10年1月30日
出典7:『広島県の医師群像−明治時代−』、阪田泰正著、安芸津記念病院郷土史料室刊、昭和61年1月1日
2005年4月14日更新:本文、所蔵品●2005年6月27日更新、本文、論文、著書、所蔵本、参考資料●2006年4月28日更新:タイトル、所蔵品、所蔵本、その他の著書●2007年4月6日更新:所蔵本、参考資料●2007年4月9日更新:未所蔵の著書●2007年8月29日更新:経歴●2008年5月1日更新:本文●2009年10月14日更新:経歴、本文、誠之館所蔵品●2010年2月8日更新:誠之館所蔵品、未所蔵の著書・関連書