福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
菅茶山
かん・ちゃざん
福山藩儒官、藩校弘道館教授、藩校誠之館教授
詩人、思想家、教育者
菅茶山 (出典1)


経 歴
生:寛延元年(1748年)2月2日、備後国神辺(現福山市神辺町川北)生まれ
没:文政10年(1827年)8月13日、享年80歳神辺網付谷(かんなべ・あみづけだに)の墓所に葬る
寛延元年(1748年)2月2日 備後国神辺(現福山市神辺町川北)に生れる
明和3年(1766年) 19歳 京都に遊学し、那波魯堂に朱子学を学ぶ、和田泰純に古医方を学ぶ
明和5年(1768年) 21歳 京都に遊学
明和7年(1770年) 23歳 京都に遊学、飯田玄泉・池大雅・与謝蕪村と交わる
明和8年(1771年) 24歳 西山拙斎を知る、那波魯堂の門に入り朱子学を学びはじめる
安永元年(1772年) 25歳 京都に遊学する
安永2年(1773年) 26歳 那波魯堂に従い西山拙斎と洛西西岡に遊ぶ
安永2年(1773年) 26歳 頼春水を大坂に初めて訪ねる
安永9年(1780年) 33歳 京都に遊学、多くの在京の文人と交流する
天明元年(1781年) 34歳 私塾「黄葉夕陽村舎」を開き、村童に初等の学問を教える
天明4年(1784年) 37歳 門田氏宣と結婚
天明8年(1788年) 41歳 安芸国に遊び、広島で頼山陽や頼杏坪に初めて会う
『芸遊記』『冬日影』を書く
寛政3年(1791年) 44歳 父菅波久助(樗平)が没し、喪に服して詩作を断つ
寛政4年(1792年) 45歳 阿部正倫の指示による五人扶持で藩に関係する
寛政6年(1794年) 47歳 妻宣などを伴い近畿地方を旅する
寛政8年(1796年) 49歳 「郷塾取立に関する書簡」を藩に提出し、郷塾となる
享和元年(1801年) 54歳 福山藩儒官となり、弘道館に出講
文化元年(1804年)1月~
               10月
56~
57歳
藩主阿部正精の命により江戸出府
文化元年(1804年)11月 57歳 藩主阿部正精に従い帰郷
文化2年(1805年) 58歳 『福山地誌』の編纂を命ぜられる
文化4年(1807年) 60歳 神辺宿大火、廉塾は残るが茶山宅は全焼
文化6年(1809年) 62歳 『福山志料』稿本を福山藩へ提出
文化6年(1809年) 62歳 頼山陽が廉塾の都講となる
文化9年(1812年) 65歳 『黄葉夕陽村舎詩前編』が出版される
文化10年(1813年) 66歳 北條霞亭が廉塾の都講として神辺に来る
文化11年(1814年) 67歳 阿部正精の命により再度出府
文化12年(1815年)2月 68歳 江戸を発つ
文化12年(1815年)4月 68歳 神辺へ帰郷
文政元年(1818年) 71歳 福山藩より屋代弘賢の風俗問状への答書の作成を命ぜられる
文政元年(1818年)3月 71歳 『大和行日記』の旅に出る
文政元年(1818年)5月 71歳 神辺へ帰郷
文政2年(1819年) 72歳 『福山藩風俗御問状答書』を提出
文政6年(1823年) 76歳 『黄葉夕陽村舎詩後編』が出版される
文政9年(1826年) 79歳 妻宣が没する
文政10年(1827年)8月13日 80歳 茶山没、神辺川北網付谷墓所に葬る
天保3年(1832年) 『黄葉夕陽村舎詩遺稿』が出版される
天保7年(1836年) 『筆のすさび』が出版される


生い立ちと学業、業績
「菅茶山」   (出典1~11)
生い立ち
名は晋帥(ときのり)、字は礼卿
(れいけい)、通称は太仲(たちゅう)・太中(たちゅう)、茶山と号した。彼は、寛延元年(1748年)2月、備後神辺宿に菅波久助(樗平(ちょへい))の長子として生まれた。母は備中国井原の佐藤安右衛門女である。幼名は喜太郎、元服して百助。父は、農と酒造を業とする豪農であり、家庭に好学の風があった。彼は19歳の時から学に志し、西山拙齋とともに京都に上って、那波魯堂(なわ・ろどう)に朱子学を学び、和田泰純(わだ・やすずみ)に古医方を学んだが、その後数回上京、修学をくり返した。
業績
菅茶山は旧幕時代、備後が生んだ最高の詩人であり、また思想家、教育者でもあった。天明元年(1781年)34歳の時、はじめて私塾「黄葉夕陽村舎」を開き、村童に初等の学問を教える。その舎の近くにある茶臼山から、自ら茶山と号した。その後、茶山はこの塾を福山藩の郷校とするよう願い出て許可され、またの名を「廉塾」と呼ばれるようになった。福山藩と茶山の関係は、寛政4年(1792年)、
阿部正倫の指示による五人扶持というのが最初であった。その後茶山は藩の働きかけを受け入れて、享和元年(1801年)正式に儒官となり、弘道館に出講するようになった。享和3年(1803年)襲封した阿部正精は、茶山に急ぎ出府を命じたので、茶山は文化元年(1804年)1月から10月まで江戸に滞在して藩主につかえた。10年後の文化11年にも彼は再度出府を命ぜられて、江戸に9ヶ月止まっている。正精は文政9年(1826年)6月に没したが、茶山も翌文政10年(1827年)8月13日に80年の生涯を閉じ、神辺網付谷(かんなべ・あみづけだに)の墓所に葬られた。墓誌銘は頼杏坪(惟柔)の撰書。この墓は昭和15年(1940年)2月23日に県史跡に指定された。
名声は全国におよび、
頼山陽北條霞亭北條悔堂河崎敬軒など多くの文人が教えを請うた。著書に『黄葉夕陽村舎詩(初編後編遺稿)』・『筆のすさび』、『冬の日影』、『福山志料』などがある。
撰文と揮毫

文政元年(1818年)、沼隈郡藁江村(現:福山市金江町藁江)に建つ「岡本池碑」の撰文と揮毫を行なった。


菅茶山 歌碑・詩碑・墓碑
場所 名称 揮毫 コメント
神辺西中条・遍照寺 「歳抄寄大空師」 菅茶山
神辺西中条・遍照寺 「黄龍山遍照寺」
神辺西中条・遍照寺 「良夜の碑」 菅茶山
神辺川北・西福寺 「西福寺賞梅」
神辺川北・龍泉寺 「龍泉寺桜」 高橋令之
神辺下御領・国分寺 「国分寺和歌碑・訪ひよれば」 高橋令之
神辺町川南・神辺公民館 「丁谷餞子成卒賦」
神辺町徳田・宝泉寺 「送恵充上人之高野山」
神辺町上御領・一里塚隣 「高屋途中」
神辺町川南・松浦の庭先 「農功」
神辺町箱田 「箱田道中」
神辺町川北・藤井宅前 「神辺駅」
神辺町川北・光蓮寺 「十四日與嶺松師赴鞆浦途中口占」
 神辺町西中条・高居 「時子璐叔姪東遊」 菅茶山
神辺町西中条・高居 「次子璐月夜泛琵琶湖韻」
神辺町西中条・高居 「松井子璐の墓」 菅茶山
神辺町西中条山田 「山田の常夜燈」 菅茶山
神辺町湯野・東福院 「閑行」 菅茶山
神辺町西中条・松風館 「迎碧墩」 菅茶山
福山市駅家町新山・大坊福盛寺 「大坊福盛寺」 門田朴斎
福山市駅家町新山・大坊福盛寺 「柏谷途中」
福山市駅家町永谷・馬屋原家墓地 「對宜子」 菅茶山撰
府中市出口町荒谷 「荒谷即事」
府中市父石町 「遊父石村」
府中市出口町・八幡神社参道 「羽中」
福山市沼隈町 「梔子湾」
福山市金江町岡本池 「岡本池碑」 菅茶山 菅茶山撰
三原市沼田東町・米山寺 「米山寺拝謁小早川中納言肖像」
尾道市・千光寺公園 「始登鼕石呈遊諸友 石在千光寺南」
香川県牟礼町・柴野栗山 「神武陵詩」
香川県牟礼町・柴野栗山 「詠富士山」
尾道市・千光寺公園 「登千光寺」 菅茶山 頼山陽詩
岡山市磨屋町・薬師院 拓本「不許葷酒入山門」 菅茶山


解 説
備後文人水脈の祖:菅茶山
備後文人水脈とでもいうものがあるとすれば、その源流は菅茶山に違いない。菅茶山にはじまるその流れは、藩校誠之館・福山中学校・福山誠之館中学校という土壌の中で、まず門田朴斎門田重長親子、五十川訊堂福田禄太郎(明治12年入学)などの教育者を育む。それはやがて、詩人・教育者の葛原しげる(明治36年卒)、広島大学学長の森戸辰男(明治40年卒)、英文学者で随筆家の福原麟太郎(明治45年卒)、作家の井伏鱒二(大正6年卒)、劇作家の小山祐士(大正13年卒)や、フランス文学者の村上菊一郎(昭和4年卒)という錚々たる文人たちを生んだ。また福山市御幸町上岩成に生まれ府中中学校に進んだ
木下夕爾は井伏鱒二との交流が深く、この水脈を語るとき欠かすことのできない人物である。
さらに、芥川賞作家・日野啓二は父親が福山中学校で、本人は東京生まれ、朝鮮育ち、16歳で引き揚げ、府中高校、東京大学にすすんだ。この系譜からはずす訳には行かない。


誠之館所蔵品展示品
管理№ 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
04747 菅茶山 書 五言絶句「奇峯列天」
05314 菅茶山 書 七言絶句「掲起孤蓬」
05315 菅茶山 書 七言絶句「雨散蓬窗」 天明6年(1788年)
05316 菅茶山 書 七言絶句「十九夜月」
05317 菅茶山 書 書「未覚」
05318 菅茶山 書 五言絶句「片雲生戸」
00022 菅茶山 差出 「菅茶山差出書状」(林文哉宛)
00023 菅茶山 差出 「菅茶山差出書状」(高戸豊次郎宛1)
00024 菅茶山 差出 「菅茶山差出書状」(高戸豊次郎宛2)
00084 菅茶山 書 板書「天上非一人天下」
t1090 平田玉蘊 画
菅茶山 賛
「墨竹図」
t1200 菅茶山 書 五言絶句「一花香幾陣」
t1220 菅茶山 書 七言絶句「野歩」
t1230 菅茶山 書 五言絶句「十里尋詩志」
00247 菅茶山 著 『黄葉夕陽村舎詩(初編)』 文化9年(1812年)
00248 菅茶山 著 『黄葉夕陽村舎詩(後編)』 文政6年(1823年)
00249 菅茶山 著
頼山陽
『黄葉夕陽村舎詩(遺稿)』 天保3年(1832年)
00250 菅茶山 著 『筆のすさび』 安政3年(1856年)
00257 菅茶山 著 『詩律法門(上下)《藤井氏蔵版》』 藤井伸三 明治14年(1881年)
03862 菅茶山 著 『日本随筆大成 筆のすさび』 吉川弘文館 昭和50年(1975年)
04529 菅茶山 著 『現代文 「備後国福山領風俗問状答』 菅茶山顕彰会 平成17年(2005年)
03762 菅茶山先生遺芳顕彰会 編 『菅茶山顕彰会会報』 菅茶山顕彰会
04855 菅茶山記念館 編 『第1回特別展図録 菅茶山が交わった画人たち』 菅茶山記念館 平成5年
02198 菅茶山記念館 編 『第4回特別展 菅茶山と頼家の人々』 菅茶山記念館 平成8年
02147 菅茶山記念館 編 『第8回特別展 菅茶山の東西紀行』 菅茶山記念館 平成13年
02148 菅茶山記念館 編 『第9回特別展 菅茶山とゆかりの人々』 菅茶山記念館 平成14年
04525 菅茶山記念館 編 『菅茶山記念館 開館十周年記念誌』 菅茶山記念館 平成14年
04527 菅茶山記念館 編 『第12回特別展 書画への誘い -菅茶山ゆかりの文人たち-』 菅茶山記念館 平成16年
04528 菅茶山記念館 編 『第13回特別展 近世の学び舎 寺小屋~私塾~藩校~』 菅茶山記念館 平成17年
04658 菅茶山記念館 編 『菅茶山と黄葉夕陽村舎を訪れた人々』 菅茶山記念館 平成18年
04811 菅茶山記念館 編 『菅茶山 自然へのまなざし』 菅茶山記念館 平成19年
05211 菅茶山記念館 編 『菅茶山~その生涯と交友』 菅茶山記念館 平成20年
06564 菅茶山記念館 編 『第18回特別展 菅茶山ゆかりの拓本展』 菅茶山記念館 平成22年
06780 菅茶山記念館 編 『菅茶山記念館第19回特別展 生誕125年 葛原しげる ~ニコピン先生の足跡』 菅茶山記念館 平成23年
00252 河崎敬軒 『黄葉夕陽村舎紀行(驥虻日記)』 天保11年(1840年)
05726 島谷真三 『茶山詩三百首 重政黄山先生講述』 茶山会 昭和33年
03053 富士川英郎 著 『菅茶山と頼山陽』 平凡社 昭和46年
05635
島谷真三
北川勇
『茶山詩五百首-黄葉夕陽村舎詩抄解-』 児島書店 昭和50年
05505 神辺郷土史研究会 編 『菅茶山とその弟子たち-神辺の歴史と文化 第4号-』 神辺郷土史研究会 昭和51年
03054 村上正名 『備後人物風土記-歴史をつくった人々-』 歴史図書社 昭和52年
05212 村上正名 『今昔物語 福山の歴史(上下巻)』 歴史図書社 昭和53年
02151 藤井猛 著 『菅茶山』 藤井猛 昭和56年
06775 中山善照 構成 『まんが物語「神辺の歴史」』 神辺を元気にする会 三宅真一郎 平成5年
02984 菅波寛 著 『菅茶山の詠歌』 葦陽文化研究会 平成8年
05558 松本健一 著 『地の記憶をあるく 盛岡・山陽道篇』 中央公論新社 平成14年
03079 井上謙二 著 『現代文 菅茶山翁随筆 筆のすさび』 菅茶山遺芳顕彰会 平成15年
04272 松浦正明 著 『菅茶山の面影を訪ねて』 松浦正明 平成16年
04822 杉原耕治 著 『忘れられた街道をたずねて-福山歴史文学紀行-』 現代教育研究所 平成19年
06537 広島県立歴史博物館 編 「菅茶山と狩谷エキ斎」、柏崎順子
『広島県立歴史博物館 研究紀要(第9号)』
広島県立歴史博物館 平成19年
05531 木部誠二 著 『菅茶山三回忌と忍池宝珠院』 平成21年
05539 菅茶山関係書籍発刊委員会 編 『菅茶山の世界 黄葉夕陽文庫から』 菅茶山関係書籍発刊委員会 平成21年
07291 西原千代 著 『菅茶山』 白帝社 平成22年
03648 『菅茶山年譜』


出典1:『菅茶山記念館第4回特別展 菅茶山と頼家の人々』、9頁、菅茶山記念館編刊、1996年10月30日
出典2:『誠之館記念館所蔵品目録』、59頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日
出典3:『現代文「備後国福山領風俗問状答」』、菅茶山著、「備後国福山領風俗問状答」現代語訳注委員会訳注、菅茶山顕彰会刊、平成17年5月1日
出典4:『忘れられた街道をたずねて-福山歴史文学紀行-』、72頁、杉原耕治著、現代教育研究所刊、2007年10月22日
出典5:HP「関西大学図書館→特別蔵書→コレクション→五弓雪窓文庫」、2009年1月15日
出典6:『今昔物語 福山の歴史(上巻)』、210頁、村上正名著、歴史図書社刊、昭和53年11月20日
出典7:『備後人物風土記-歴史をつくった人々-』、222頁、村上正名著、歴史図書社刊、昭和52年10月31日
出典8:『広島県の医学歴史散歩』、114頁、「菅茶山の墓(県史跡)」、阪田泰正著、安芸津記念病院郷土史料室刊、昭和57年8月1日
出典9:『芸備両国医師群像』、18頁、「菅茶山」、阪田泰正著、安芸津記念病院郷土史料室刊、昭和58年1月1日
出典10:『福山の今昔』、158頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日
出典11:『福山の碑』、99頁、三上勝康著、福山市文化財協会刊、昭和50年11月10日
出典12:『新編「福山いしぶみ散歩」』、126・128頁、佐野恒男著、福山文化財協会刊、1996年9月1日
出典13:『菅茶山の面影を訪ねて』、松浦正明編刊、平成16年6月
関連情報1:HP「菅茶山遺芳顕彰会」、2009年1月15日
関連情報2:『福山学生会雑誌(第48号)』、附21頁、「茶山菅先生墓誌銘」、頼惟柔、福山学生会事務所編刊、大正5年7月27日
関連情報3:『福山学生会雑誌(第50号)』、附7頁、「大戸士孝墓銘」、菅晋帥、福山学生会事務所編刊、大正5年7月27日
関連情報4:『特別展 町人文化の栄華-鞆の津の風雅-』、50頁、「菅茶山」、福山市鞆の浦歴史民俗資料館編、福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会刊、2005年10月14日
2005年7月28日更新:レイアウト●2006年2月27日更新:所蔵品・関連情報●2006年6月23日更新:タイトル・所蔵品●2007年4月4日更新:所蔵品●2007年4月20日更新:本文●2007年9月6日更新:所蔵品・関連情報●2007年9月7日更新:本文・関連情報●2007年10月3日更新:誠之館所蔵品●2007年10月4日更新:関連情報●2007年12月3日更新:経歴・出典●2007年12月12日更新:本文・関連情報・出典●2008年3月5日更新:本文・誠之館所蔵品●2008年7月24日更新:本文・関連情報●2008年7月30日更新:関連情報●2008年8月4日更新:本文●2008年9月16日更新:経歴・本文●2008年11月14日更新:経歴・本文・誠之館所蔵品・出典●2008年11月26日更新:誠之館所蔵品・出典●2009年1月15日更新:誠之館所蔵品・出典・関連情報●2009年1月20日更新:誠之館所蔵品●2009年2月25日更新:関連情報●2009年9月30日更新:経歴・本文・出典●2009年10月1日更新:本文・誠之館所蔵品・出典●2009年10月7日更新:誠之館所蔵品●2009年10月20日更新:出典●2009年10月28日更新:本文●2009年11月11日更新:誠之館所蔵品●2009年12月9日更新:経歴・本文・誠之館所蔵品●2009年12月21日更新:本文●2010年2月17日更新:誠之館所蔵品●2010年3月19日更新:本文・誠之館所蔵品・出典●2010年10月18日更新:誠之館所蔵品●2010年12月24日更新:誠之館所蔵品●2011年11月15日更新:誠之館所蔵品●2012年3月8日更新:本文・出典●2012年3月16日更新:本文・出典●2012年6月21日更新:誠之館所蔵品●2012年6月25日更新:誠之館所蔵品●2014年3月13日更新:誠之館所蔵品展示品●2014年7月15日更新:誠之館所蔵品展示品●2015年1月31日更新:誠之館所蔵品展示品●2016年3月9日更新:誠之館所蔵品展示品●